2017年1月16日

プティ・トリアノンでの出会い

非常に寒いパリ。
その中を、気温がパリよりさらに低いヴェルサイユ宮殿へ。
午後のすいている時間を選んで行ったかいがあり、わりとゆったり見学。

この宮殿も変わらないようで変わっているのにびっくり。
修復工事がいろいろな箇所で行われていて、ルイ14世の怒りにふれないか心配なほど。

プティ・トリアノン庭園内にある「愛の神殿」
せっかくだからと、プティ・トリアノンまで足をのばし庭園も散策。
「愛の神殿」に近寄ったそのとき、なにやら雑草の中で動くものが。

「君の名は」
「ヌートリアだよ」
目をしっかり開けてみると、大きなネズミのような色と姿の動物がいる。落ち着きなさも似ている。でも、結構大きい。
「君の名は?」
と聞いても返事がない。
あたりに不審者がいないかキョロキョロ見回しながら、食べてばかりいる。

手前の小川ではカモたちが優雅に泳ぎます。
ツーリストも「愛の神殿」どころではなくなって、ひたすら彼を見て写真を撮る。
これほどの人気者が一体何者か知りたくて仕方ない私は、ついにフランス人に聞いてみる。
またたく間に謎は解明。
「ヌートリアといって、ネズミの一種です」
博学なフランス女性から教わりました。

プティ・トリアノンのマリー・アントワネットの寝室から、
ロマンティックな「愛の神殿が」見えます。
王妃はどんな思いでこの神殿を見ていたのでしょう。
世の中にはいろいろな生き物がいるのですね。
でも、まさか プティ・トリアノンの庭園でヌートリアに出会えるなんて思ってもみなかった。
調べてみると、水辺に生息し、泳ぎが上手で草や野菜を食べるそう。
大きいのは50cmもある。畑を荒らす悪さがあるようだけど、初めて見るヌートリアはとてもかわいかった。

大発見があった日でした。

2017年1月15日

大使公邸で新年賀詞交換会

門松に思わず心が引き締まります。
新しい年を迎えて一番の楽しみは、大使公邸での新年賀詞交換会。
入り口には門松が飾られていて、日本特有のおもてなしが心にしみます。

木寺大使ご夫妻がエントランスの両サイドで迎えてくださり、まず、新年のご挨拶。
おふたりの温かい微笑みに、外の異常な寒さを一気に忘れます。

木寺昌人大使が、
日本語とフランス語で新年のご挨拶を述べられました。
生け花があちらこちらに飾られていて、その周りでドリンクを片手に新年の挨拶の声が交わされます。
しばらくして木寺昌人大使が金屏風の前に立たれ、
日本語とフランス語で新年のお言葉。
その後、鏡開き、カンパイ、そしてお雑煮を含む種類豊富で美味のおせち料理。

女性が3人揃うとやはり華やかですね。
チャーミング極まりない玲子さん(左)と梨紗さん(右)。
私は若いお二人の引き立て役。
再会を喜び顔がほころび、話が弾んで誰もがその場を去りがたく、予定時間をオーバー。
輝きある年であることを願いながら別れを惜しみました。

2017年1月14日

メトロの駅名は語る 21

Opéra
オペラ (3,7,8号線

第三共和制の時代に完成したオペラ座。
着飾った紳士淑女により、
さらなるきらめきを放っていました。
パリの名所オペラ座は外も中も絢爛豪華で、これぞパリといった印象を受ける人が多いようです。
正面入り口から中に入ると、大理石の幅広い階段が目の前に見え、
それをのぼっていくに従って高揚感が増し、自分が価値ある人になったような喜びを与えるオペラ座。

この殿堂の建築を命じたのはナポレオン三世皇帝ですが、彼はその後失脚し、ロンドンに亡命。完成を見ずにその地で世を去ります。

1875年に完成し、
落成式はマクマオン大統領列席のもとにおこなわれました。
建築開始は1862年7月21日で第二帝政時代、完成は1875年1月5日で第三共和制時代。その間に普仏戦争もあり工事が中断され、10年以上の年月を必要としました。

このオペラ座の前にあるのがオペラ広場。多少離れた場所に造られました。
というのは、壮麗なオペラ座の全景をじっくり見るのに、その方がふさわしいと考えられたため。

メトロ3号線の工事が始まりました。
1904年、メトロ3号線がオペラ座近くを通ることになり、その入り口をどうするか論議がなされます。
当時はアール・ヌーヴォーの時代。 その巨匠といわれるエクートル・ギマールが大活躍し、今でも数箇所に残っているメトロの入り口を随所につくります。

オペラ座の美観をそこねないよう、
メトロの入り口は背が低くシンプル。1904年、メトロ開通の年の写真。
当然、オペラ駅にも同じようにアール・ヌーヴォーの入り口をと案が出されます。
けれども
「ネオ・バロックのオペラ座と調和がとれない
ギマールのメトロ入り口は背が高すぎて、せっかくの殿堂が損なわれる

ギマールが生み出したメトロの入り口。
背が高いのでオペラ座の前にこの入り口をつくったら、
華麗な全景を損ないます。
このような判断が下され、現在見られるような背が低く控えめなものとなり、遠くからでもオペラ座の全景が見れるのです。
たしかに、ここの主役はオペラ劇場で、メトロの駅ではない。
さすが、都市の美観に才知を発揮するパリジャン。学ぶべきことです。 

2017年1月10日

メトロの駅名は語る 20

Havre-Caumartin
アーヴル-コマルタン (3,9号線)

オスマン通りに面したデパート、オ・プランタンに行く人が主に利用するこの駅は、
二つの名前からなっています。「アーヴル」と「コマルタン」です。 
「アーヴルはノルマンディー地方の港ル・アーヴルのことで、「コマルタンは旧体制の有力な貴族の名前です。

1847年、
ルアンからル・アーヴルまでの鉄道開設を祝うセレモニーが行われました。
パリのサン・ラザール駅からノルマンディーのルアンまでは、19世紀初頭にすでに鉄道で行くことが出来ました。

1847年のル・アーヴルの駅。
ルアンからその先にある港ル・アーヴルまで鉄道をのばせば、貨物の輸送も速くおこなえるし、パリ市民がル・アーヴルまで気軽に行って休暇を楽しむことも出来る。
この案が実現されたのは1847年。これによってサン・ラザールからル・アーヴルまでの228キロメートルの長い鉄道が生まれました。

これにちなんでサン・ラザール駅前の道路がリュー・デュ・アーヴル(アーヴル通り)と名づけられ、その近くのメトロなのでアーヴルの名が選ばれたのです。

それに平行する道路は、コマルタンという貴族の命令で1780年に造られたコマルタン通りだったために、アーヴルと一緒になってこの駅名が生まれました。

邸宅が多かったコマルタン通り。
自分の名を冠した道路を造らせたコマルタンは、侯爵と伯爵の称号を持ち、革命前にパリ市長を務めたこともある有力者でした。コマルタン通りは邸宅がいくつも並ぶ瀟洒な通りで、ミラボーや文豪スタンダールが暮らしていたこともありました。

今でも良き時代の面影が随所に残っています。
現在はさまざまなブティックが並び庶民的な雰囲気がある道路ですが、良き時代の建物の装飾がホテルの外壁などに残っています。   

2017年1月9日

パリの犬たち 110


ボクたち、同じファミリーか・・・
「キミ、ずいぶん脚が開いているネ」
「まッ、ずいぶん失礼ネッ」



♪そういうキミの脚もずいぶん開いているわヨ~♪
「そうかなぁ~」
「そういわれてよく見ると、そうね」
「じゃ、ボクたち同じ仲間なんだ」
「そうなのね。同じファミリーなの」
「だったら仲良くしよう」





2017年1月7日

寒すぎるパリ


「冬は冬のおしゃれが楽しめていいわ」
などと優雅に言っている場合ではないパリ、メチャメチャに寒い。

ダウンコート、帽子、ブーツ、手袋。中はもちろん、ユニクロのヒートテック。
それでも寒い。骨の中まで差し込むように寒い。
マフラーで口と鼻をおさえて、冷たい空気から身を守らなければならない。

とてもとても寒いパリ。
フランス人はマスクをしない国民。マフラーはその代わりになるのです。
マスクはいかにも実用品といった感じがするけれど、マフラーはおしゃれ。

こうした日には家から出ないのが私の主義。前もって気温を調べ、寒い日にはショッピングをしないですむように計画します。
でも、お勤めの人はお出かけになるのだから、尊敬します。

予報ではこの寒さが数日続くみたい。
インフルエンザもあるし、皆様お気をつけてくださいね。

2017年1月6日

ガレット・デ・ロワの日

1月6日は東方の三博士がキリストに会いに行き拝んだ日で、公現節と呼ばれます。
この日に家族で切り分けていただくガレットは、諸王のガレットという意味の
「ガレット・デ・ロワ」で、実際には三博士を意味します。

キリスト誕生を祝うために、
東方の3人の博士が
彼の生誕地のベツレヘムに駆けつけました。
長い間待ち望んでいた世の救い主であるキリストがベツレヘムで生まれたと聞いて、三人の賢人がそれぞれ贈答品を持ってお祝いに行きます。

若者を現す「黄金」、壮年を現す「乳香」、老人を現す「没薬」が、彼らからキリストへの贈り物でした。

この記念すべき日をお祝いし、ガレットを切り分けていただく当初の目的は、貧しい人々に分け与える神からの、あるいは、聖母マリアからの贈り物だったといわれています。

華やかに1月6日を祝う
富裕階級の人々。
14世紀のブルボン公は慈善を示すために、1月6日にもっとも貧しい子供を選び、その日限りの王にして冠をかぶせ、豪華な装いをさせ、ご馳走をたっぷり食べさせました。

農民たちは家族そろってテーブルを囲み、
つつましくガレット・デ・ロワを分かち合います。
宮廷生活のすべてに厳かな儀式を義務づけていた国王ルイ14世も、食卓でガレットを会食者と分けて口にしたと記録が残っています。

やがて革命がおき、食べものに事欠く時代を迎え、貴重になった小麦粉はパンを作るためのみに使われ、ガレットどころではなくなります。一時期にはガレット・デ・ロワの廃止も考えられましたが、結局、ほそぼそながら生き延びます。

ソラマメ、フランス語でフェーヴ。
たしかに胎児に似ていますね。
 ガレット・デ・ロワはパイのお菓子で、中にソラマメの形のフェーヴが入っていて、それが入っているのに当たった人は冠を被る権利があり、その日だけ王様、あるいは女王になれます。

 ソラマメは胎児の姿に似ているので、キリストの象徴としてガレットに入れたようです。昔は本物のソラマメを入れ、その後18世紀ころから陶器のフェーヴになりました。革命のときには、革命家たちの象徴の三角のフリジア帽がフェーヴになったのです。

名前も「ガレット・デ・ロワ」 の代わりに、自由のガレットという意味の「ガレット・ドゥ・ラ・リベルテ」などと呼んでいたこともあります。

店頭にずらりと並ぶガレット・デ・ロワ。
私が好きなのはアーモンド入り。軽いからいくらでも食べられます。
1月6日どころか、その前にも、その後にもいただいてしまうほど大好き。
現在、フェーヴの形は様々でコレクションしたいほど楽しいものばかり。こけしやキティちゃんもあるし、ミニカーやサンタクロース、ケーキもある。

お菓子が辿る歴史も長いものなのですね。