オペラ (3,7,8号線
第三共和制の時代に完成したオペラ座。 着飾った紳士淑女により、 さらなるきらめきを放っていました。 |
正面入り口から中に入ると、大理石の幅広い階段が目の前に見え、
それをのぼっていくに従って高揚感が増し、自分が価値ある人になったような喜びを与えるオペラ座。
この殿堂の建築を命じたのはナポレオン三世皇帝ですが、彼はその後失脚し、ロンドンに亡命。完成を見ずにその地で世を去ります。
1875年に完成し、 落成式はマクマオン大統領列席のもとにおこなわれました。 |
このオペラ座の前にあるのがオペラ広場。多少離れた場所に造られました。
というのは、壮麗なオペラ座の全景をじっくり見るのに、その方がふさわしいと考えられたため。
メトロ3号線の工事が始まりました。 |
当時はアール・ヌーヴォーの時代。 その巨匠といわれるエクートル・ギマールが大活躍し、今でも数箇所に残っているメトロの入り口を随所につくります。
オペラ座の美観をそこねないよう、 メトロの入り口は背が低くシンプル。1904年、メトロ開通の年の写真。 |
けれども
「ネオ・バロックのオペラ座と調和がとれない」
「ギマールのメトロ入り口は背が高すぎて、せっかくの殿堂が損なわれる」
ギマールが生み出したメトロの入り口。 背が高いのでオペラ座の前にこの入り口をつくったら、 華麗な全景を損ないます。 |
たしかに、ここの主役はオペラ劇場で、メトロの駅ではない。
さすが、都市の美観に才知を発揮するパリジャン。学ぶべきことです。