2017年1月14日

メトロの駅名は語る 21

Opéra
オペラ (3,7,8号線

第三共和制の時代に完成したオペラ座。
着飾った紳士淑女により、
さらなるきらめきを放っていました。
パリの名所オペラ座は外も中も絢爛豪華で、これぞパリといった印象を受ける人が多いようです。
正面入り口から中に入ると、大理石の幅広い階段が目の前に見え、
それをのぼっていくに従って高揚感が増し、自分が価値ある人になったような喜びを与えるオペラ座。

この殿堂の建築を命じたのはナポレオン三世皇帝ですが、彼はその後失脚し、ロンドンに亡命。完成を見ずにその地で世を去ります。

1875年に完成し、
落成式はマクマオン大統領列席のもとにおこなわれました。
建築開始は1862年7月21日で第二帝政時代、完成は1875年1月5日で第三共和制時代。その間に普仏戦争もあり工事が中断され、10年以上の年月を必要としました。

このオペラ座の前にあるのがオペラ広場。多少離れた場所に造られました。
というのは、壮麗なオペラ座の全景をじっくり見るのに、その方がふさわしいと考えられたため。

メトロ3号線の工事が始まりました。
1904年、メトロ3号線がオペラ座近くを通ることになり、その入り口をどうするか論議がなされます。
当時はアール・ヌーヴォーの時代。 その巨匠といわれるエクートル・ギマールが大活躍し、今でも数箇所に残っているメトロの入り口を随所につくります。

オペラ座の美観をそこねないよう、
メトロの入り口は背が低くシンプル。1904年、メトロ開通の年の写真。
当然、オペラ駅にも同じようにアール・ヌーヴォーの入り口をと案が出されます。
けれども
「ネオ・バロックのオペラ座と調和がとれない
ギマールのメトロ入り口は背が高すぎて、せっかくの殿堂が損なわれる

ギマールが生み出したメトロの入り口。
背が高いのでオペラ座の前にこの入り口をつくったら、
華麗な全景を損ないます。
このような判断が下され、現在見られるような背が低く控えめなものとなり、遠くからでもオペラ座の全景が見れるのです。
たしかに、ここの主役はオペラ劇場で、メトロの駅ではない。
さすが、都市の美観に才知を発揮するパリジャン。学ぶべきことです。