2019年11月11日

パリの犬たち 214

いつもこうなのだワン

あ〰〰あ、もう絶望。
カフェのお気に入りのイスに腰かけて、
携帯を握ったらもうダメ。
コーヒーを飲みながら短くても1時間は動かないパパ。
だから遊び相手を見つけなくては・・・・

パパは相変わらず携帯を放さないし、
遊び相手になってくれそうな人も犬も見えない。

ん? このお兄さんどうかなぁ。
性格が良さそうだから話しかけてみよっと。
あのぉ~~、もしもし、ハロー、ボンジュール、グッドアフタヌーン・・・
警戒しているのか逃げ足になっている。

ああ、世の中厳しい。
パパのおしゃべりが終るのをじっと待つしかないのかなぁ。🐾

2019年11月9日

靴の展覧会 古代から現代まで

リヴォリ通りの装飾芸術博物館で11月7日から靴の展覧会を開催しています。古代エジプトのサンダルからクリスチャン・ルブタンの非現実的な靴まで、様々な作品が展示されている中で、もっとも興味深いのはマリー・アントワネットの靴。

マリー・アントワネットが
チュイルリー宮殿で使用していた靴。

サイズが33であることが分かるような展示方法。
あまりにも小さくて驚きます。

1789年に革命が起き、ヴェルサイユ宮殿からパリに連行され、国王一家がチュイルリー宮殿に暮らしていた時代に、国民衛兵が王妃の部屋から盗んだ靴とされています。装飾がほとんどないシンプルな靴で、質素な生活を強いられていたからかとちょっと心が痛みます。

驚くことは靴のサイズが異常に小さいこと。サイズは何と33で長さ21 cm、幅5cm。マリー・アントワネットの時代の18世紀もそれに続くナポレオンの時代の19世紀も、高貴な女性はほとんど歩かなかったので、履き心地がいい靴というより、見た目に美しい靴が好まれていたのです。小さい靴はフェミニンで殿方たちにも称賛されていて、ほっそりした靴が履けるように布地で足をきつく縛るという努力も必要だったのです。いつの時代にも美しくなるのに努力は必要なようです。

ナポレオン皇帝の妃のための靴。
最初の妃ジョゼフィーヌか2番目の妃マリー・ルイズのかは、
判明していないそうですが、皇帝妃ご用達の職人作。
この時代も足が小さく見える靴が愛用されていました。
イギリス国王ジョージ5世王女メアリーの子供のための
プレゼント。ため息を誘うほど愛らしい。

日本の芸術的な駒下駄も注目の的だし、貴族男性たちの靴のバックルの豪華さも驚きで、これでは革命が起きるわけだと思いました。靴といえばイタリアですが、緻密な刺繍を施した靴はまさにアート。イタリア人の卓越した感性が伝わってきます。

江戸時代の駒下駄。

18世紀初期の貴族の優雅な靴。
宮廷の雅な香りが漂っているようです。
手前はイタリアの1630年作のエレガントな靴。

向こう隣は1660年作のルイ14世の弟フィリップ・ドルレアン公の靴。
このように、ルイ14世時代の高位の貴族はハイヒールを履いていたのです。
国王は威厳を保つためにハイヒールを愛用するようになったのですが、
好んでいたのは赤いハイヒールで輝くバックルがついていました。

男性貴族の象徴的存在だった豪華なバックル。

コンテンポラリーの作品も多く展示していますが、実用的というよりオブジェのような感じがほとんどで、靴にはこれほどの可能性があるのを示しているようです。

クリスチャン・ルブタンの発想がすごい。
火の鳥のように見え、今にも動きそう。

2020年2月23日まで開催。

2019年11月6日

メトロの駅名は語る 138

Télégraphe 
テレグラフ(11号線)

クロード・シャップが発明したテレグラフと呼ばれる「腕木通信機」を、この近くに設置したためにそれが駅名になりました。19世紀末ころから腕木が表現する文字のコードを望遠鏡で読み取り、それを次々と受け継いで遠方まで伝達していた通信方法がテレグラフです。

テレグラフを発明したクロード・シャップ
(1765-1828)

テレグラフを発明したクロード・シャップは神学を学び聖職者の道を選びましたが、その後、機械と物理に興味をいだくようになります。4人の兄弟と共に通信機の発明に熱中し、クロード・シャップは1791年3月に遠方との通信に成功します。同年にパリとリールの間の遠距離通信で実力を評価され、通信機を自らテレグラフと名付けたのでした。

クロード・シャップによるテレグラフ。

敏速な通信は主に軍の連絡に役立ちナポレオンも取り入れ、全国的な通信網になったし、外国にもまたたく間に浸透。ナポレオンのエルバ島脱出の情報もテレグラフでパリに一早く知らされたそうです。

その後近代的な通信法が生まれ、シャップのテレグラフは最盛期を終えます。クロード・シャップは41歳の若さで自ら生涯を閉じますが、ガンを病んでいたからだという説もあるし、うつ病だったという説もあります。

かつてサン・ジェルマン大通りにあった、
シャップに捧げるモニュメント。

2019年11月2日

ナポレオン生誕250周年記念の会食

2019年はナポレオンが生まれて250周年の年。生誕地コルシカ島はもちろんのこと、ナポレオンにちなむ様々な地で記念行事があり、この記念すべき年が終わりに近づいた日に、パリで盛大な会食がありました。

アールデコのレセプション・ルーム。
「洋上の宮殿」と呼ばれていた豪華客船ノルマンディ号の、
ダイニング・ルームからインスピレーションを受けています。

凱旋門近くの重厚な建造物のレセプション・ルームがその会場。1935年に就航したフランスが誇る豪華客船、ノルマンディ号のダイニング・ルームからインスピレーションを受けているとのことで、直線とシンプルが特徴のアールデコ様式の整然とした美しさが漲っています。

いつもの通り唯一の日本人でしたが、ナポレオン史学会主催なので出席者は顔なじみの会員が多く、話も弾み楽しいひと時でした。ナポレオンは素早く食事をとる人でしたが、私たちは時間をかけてゆったりと美味を味わいました。3種類のアミューズ・ブッシュとキールで始まり、白味魚とシャンピニオン料理に合わせてシャブリのホワイトワイン。続く鶏肉料理のレッドワインはもちろんシャンベルタン。

大きなデザートを客席近くに運び、
目の前でブランデーでフランベして切り分けるギャルソン。


話題は当然ナポレオンに集中。
数年後に計画されているセント・ヘレナ島へのツアーの話に、
特に熱気がこもっていました。

ブルゴーニュで生産されるシャンベルタンはしっかりした味で男性的と言われ、ナポレオンが愛飲していたのはジュヴレ村の名酒、ジュヴレ・シャンベルタン。なので、この日はもちろん皇帝が好んでいたこのワインで乾杯。心地よい音をあげながらグラスに注がれたジュヴレ・シャンベルタンを手にし「皇帝バンザイ」と高らかにお祝い。

レセプション・ルームの入り口で。

参加者は高齢の方が多かったのですが、食欲旺盛だしワインにも強い。お料理はどれもヴォリュームがあったのですが、皆、きれいに全部いただいたのには驚きました。ひっきりなしに続く会話といい、気を配った服装といい、人生を横臥しているフランス人ばかりでした。

2019年11月1日

秋のウィンドウが好評なので・・・

やはり動物は大人気。
前回のブログで生き物たちがウィンドウを飾っている姿を紹介したら、とても好評。なのでその続きです。

フカフカのおイスに座ってウトウト。
可愛すぎるベビー製品のブティック。
ファーストフードのお店もおしゃれ。
ブルーのパッケージで有名なジュエリーのお店は、
さずが小鳥といえどもゴージャス。

手作りのセーターを着てご機嫌なワンちゃん。
このお店のカシミアは最高。私も愛用しています。
やはり動物は愛らしくて心が和みます。

2019年10月30日

オペラ座350周年記念、オルセ―美術館「オペラ座のドガ」展

2019年はいろいろな記念の年で、それにちなんだセレモニーや催しものが多いのですが、オペラ座350周年記念を祝うオルセー美術館の「オペラ座のドガ」展もそのひとつ。オペラ座の踊り子たちを様々な角度から描いたドガの作品を集めた展覧会です。

イタリアで発祥したバレエは、アンリ2世の妃になったイタリアの大富豪カトリーヌ・ド・メディシスによってフランスに紹介され、時と共にフランス宮廷でもてはやされるようになります。

1653年、「夜のバレエ」で太陽の役を演じた
15歳のルイ14世。

この役から国王は
太陽王と呼ばれるようになったという説もあります。

「夜のバレエ」の舞台装置の一場面。
それが大きな飛躍を遂げたのはルイ14世がこよなくバレエを好み、自ら踊っていただけでなく、1661年に王立舞踊アカデミーを設立したためで、バレエは華麗な花を咲かせます。1669年には王立音楽舞踊アカデミーが生まれ、それがオペラ座の起源となり今年350周年となったのです。オペラ座の重厚な緞帳の上の方に「ANNO 1669」とラテン語で年号が書かれ、太陽王ルイ14世の黄金色に輝くエンブレムがその中央にあります。1670年になるとルイ14世は年齢的にバレエを踊れなくなり、バレエは宮廷から劇場に移りプロの踊り子の時代を迎えたのです。

オペラ座の踊り子たちの姿はエドガー・ドガによって数多く描かれていますが、裕福な銀行家に生まれたドガはバレエが好きで、オペラ座の定期会員になっていたほど。そのために、通常入れない楽屋やレッスン室などに出入りを許されていたドガは、舞台では見られない日常的な姿を描くことが出来たのです。

ドガが踊り子たちの絵を描き始めた、
ル・ペルティエ通りのオペラ座。
ドガが当初描いていたのはル・ペルティエ通りにあったオペラ座で、それが1873年に火事で消え、その後現在見られるオペラ・ガルニエが建築され1875年にオープン。当然ドガはその新しいオペラ・ガルニエ座にも通い、踊り子たちを描き続けていました。

オルセー美術館は19世紀以降の親しみやすい作品ばかりなので、訪問者が多いのですが、今は「オペラ座のドガ」展もあり長時間並ぶ覚悟が必要。本格的寒さ到来の前にドガの名作を鑑賞してきました。

平日でもすごい行列。
代表作「エトワール」はやはり大人気。このパステル画は1878年に描かれたので、新しいオペラ・ガルニエで公演されるようになって間もない作品です。美しい衣装をまとったエトワールが踊る姿はエレガントで引き込まれます。彼女の顔をじっくり見ていると、恍惚とした表情がうかがえます。それは、多分、ここに達するまでの努力の結晶を観客に見せる喜びと同時に、自分への満足感もあるように私には思えます。

「エトワール」
レッスンの成果を舞台で披露する喜びは計り知れないほど大きいに違いない。そこに至るまでの厳しいレッスンや、疲れ果てた姿、息抜きの場面など、ドガは舞台裏を数多く描いていて、踊り子たちの日々の様子が分かるのは意義あることです。舞台の上で超人的な、あるいは幻想的な踊りを見せる彼女たちも、生身の人間であることが伝わってきます。

「踊りのレッスン」リハーサル・ルーム。
「リハーサル・ルームの踊り子」
「腰かけて足のマッサージをする踊り子」
「バーの踊り子」
「踊り子たち」
「フォアイエでのリハーサル」

フォアイエでのリハーサルの絵は1873年から描き始めたので、火事で消滅したル・ぺルティエ通りのオペラ座で描いたものです。いまでは見られない当時のオペラ座の一部分が分かるので、そういう意味でも貴重です。

デッサン帳もあるしオペラ・ガルニエの大きな模型もあり、見応えがある展覧会です。

2019年10月27日

秋のウィンドウ

今年のパリの秋のウィンドウは、なぜか生き物が多い。いろいろな出来事があったので、心を慰めるためでしょうか。

子供服のブティックのモフモフのぬいぐるみ。
私も欲しい。
超高級時計店のハリネズミ。
じっくりご覧ください。
顔にも体にも無数のダイヤモンドを付けているのです。
もちろん本物のダイヤモンド。

大きな巣の中でご機嫌な小鳥。
なかなかのお洒落さん。
チョコレートの葉の上で遊ぶ
チョコレートのカニとカエル。
サロン・ド・ショコラの季節です。