2017年7月2日

クリヨン・ホテル オープニングパーティー

世界中が待っていたクリヨン・ホテルのリニューアル。
そのオープニングパーティーはパリならではの豪華さ。
4年以上かけてリニューアル大工事を行っていたクリヨン・ホテルが7月5日に再オープン。コンコルド広場に面した伝説的なホテルだけに、世界中が大きな関心を寄せています。

中庭にも華やぎが飛び散ります。
その再オープンの数日前の7月1日夕刻、華やかにオープニングパーティーが行われました。磨きあげたようなホテル外観を目にしただけで心が浮き立ちます。

木寺昌人大使とシャンパンで乾杯。
様々の会話に花が咲きました。
レッドカーペットの両サイドに黒服の装いのホテル関係者が並び、にこやかに丁寧に「ようこそ」と迎えられ中に入ると、日常は一気に飛び去り、心地よい夢の世界が展開します。

着飾った人々で華やぎが倍増します。
すでにお会いした総支配人が、満面の笑みを浮かべながら親しげにご挨拶して下さり感激。
その上
「私と一緒にお写真はいかがですか」
と、ツーショット。
知性とエレガンスが全身から漂よっているのは、さすが世界に誇るクリヨン・ホテルならでは。

時折ヴァイオリンの演奏があり、高級感に拍車がかかります。
大勢の人が談笑を楽しんでいる中で、
クラシックが聞こえるのか気になったのですが、
さすがすべてに長けているクリヨン。
ホテル内だけでなく中庭にも音楽が響く装置があったのです。
その後、ロゼのシャンパンを手にしながら、シャンデリアの輝きの下で挨拶や会話が始まります。バー、サロン、中庭、ブラスリー・・・・すべてに豊かに花々が飾られ、 キャビア、フォアグラ、牡蠣、サーモン、お肉料理、種類豊富なチーズ、スイーツなど、どれも最高級のお味。
あまりにもステキなソワレに、
日が暮れても去りがたい。
上質のシャンパン、カクテル、美味なお料理、天井から煌びやかな光を惜しみなく放つ無数のシャンデリア、大理石の床、満面の笑みを浮かべるドレスアップした人々、笑い声。元々貴族館だった建物にふさわしいソワレでした。
 
オープニングパーティーの前に
貴重なお時間を割いてくださった佐藤直也さん。
クリヨン・ホテルで重視されているのが、日本人のシニアマネジャー、佐藤直也さんです。
日本を始めフランスの著名なパラスで多くの経験を積んだ佐藤さんは、ベテラン中のベテラン。知識が豊富なだけでなく、日本語、英語、フランス語をこなし、気品があり、柔和なお人柄です。
日本のお客様に安心感を持たせる貴重な方です。

2017年7月1日

メトロの駅名は語る 47

Jaurès
ジョレス(5号線)

この駅名になったのは、社会主義者であり政治家のジャン・レオン・ジョレス。
学業を終えた後、しばらくの間教師を務めていたジョレスは、 26歳の若さで議員に選出され政治家の道を歩みます。

フランスの重要な社会主義者で政治家の
ジョレス。
労働者の味方であり、差別や権威、不正に対する強固な態度を示す彼は、フランスを二分したドレフュス事件で一躍名を語られるようになります。

ドレフュスの裁判。
1894年、陸軍参謀本部のユダヤ人大尉ドレフュスがスパイ容疑で逮捕され、彼の無実を信じたジョレスは人種差別を激しく非難し、ドレフュスを徹底的に庇護したのです。作家エミール・ゾラも同様でした。
世論は有罪、無罪の二つに分かれますが、12年後、ドレフュスは無罪判決を勝ち取り名誉を挽回します。

街頭で雄弁に演説するジョレス。1913年。
この一年後に暗殺されます。
1902年には社会党設立者との一員となり、1904年には共産党の機関紙「リュマニテ」を発行。現在は党から独立した新聞になっていますが、ジョレスが創立者。

1914年7月31日、
モンマルトル通りのカフェ「クロワッサン」で食事中に、
暗殺されたジョレス。
後年に当時の様子を再現したデッサン。

1914年、狂信的な愛国者ヴィランによってパリ市内のカフェで暗殺され、55歳で生涯を閉じた彼は、10年後にフランスの偉人たちに捧げられるパンテオンに葬られます。

1755年に、
パリの守護聖人サント・ジュヌヴィエーヴに捧げる教会として建築。
革命時に偉人たちを祀る墓所にすると決定。
1795年、国のために偉業を成した人々が眠るパンテオンになりました。


ミッテランが大統領に選ばれた1981年、社会党のシンボルである赤いバラを一輪手にしながら、ジョレスが眠るパンテオンにひとりで入って行きました。今でもフランスで語られてるほど感動的な場面でした。

2017年6月29日

OECD大使公邸のガーデン・パーティー

今年は、突然、猛暑になったかと思うと、翌日にはセーターが必要な気温と変化が激し日々が多いパリです。

雨模様だったので、テントの下でのガーデン・パーティー。
情緒があって深く印象に残ります。
そうした天候の中で開催されたOECD日本大使公邸でのガーデン・パ-ティーも一時期雨。でも、お庭に張ったテントの何と優美なこと。

大江博大使とチャーミングな夫人。
おしゃれ上手な夫人で再会が楽しみ。
大使はピアノの名手だそうです。
満開の花々を生かしたテントの下で、通常と異なるガーデン・パ-ティーは情緒があっていいもの。大江博大使のご挨拶によると、20年ぶりの雨の中のイヴェントだそうです。
白いテントの下を歩いていると、清められるような印象を受けるのが不思議。
 
お寿司、天ぷら、肉団子、フランス風味の種類豊富なおつまみなどが並ぶビュッフェをはさんで、再会を喜ぶ言葉が行き交います。
そうしている間に雨があがり、青空が広がり、そのあまりにもきれいな澄み切った空に歓声があがったほど。

紫陽花キントンを目の前で手早く作ります。
6月のお菓子だそうで、
季節を大切にする日本人ならではのクリエーション。
今年は和菓子の実演があり、多くのフランス人が興味深く見つめていました。
甘みをおさえた数種類の和菓子は、どれも一口でいただける大きさ。
あまりの美味に2度もおかわり。

和服姿の女性の行き届いたおもてなしに、皆、感激です。
冷たい緑茶もいただきました。
OECD日本大使公邸でのガーデン・パ-ティーは、毎年、とてもとても楽しみ。
日仏交流に欠かせないイヴェントです。

2017年6月25日

快晴の日曜日、幸せいっぱい

見事なシンクロナイズドスイミングを見せるカモたち。
何度もリハーサルをしたのでしょうね。
このところ猛暑が続いて外出を控えていましたが、日曜日はひさしぶりに爽やかな気候。さっそくたくさんの緑を求めて公園に。

ナンと、お目にかかったことのない、
黄色いヒナが2羽いるではないですか。
すると、どうでしょう。池で大異変が・・・
今まで見たことのない黄色い鳥がスイスイ泳いでいるのです。
黄色い鳥といえば、小さいころに飼っていたヒヨコしか知らない私。
でも、ヒヨコは泳ぐのかしらと半信半疑。

小さいのにスイスイとお上手に泳いでいる。
君たちはヒヨコではないわよね。
カモのヒナ?
生物学の知識がとぼしいので、まったく自信がない。
家に帰っていろいろ調べたら、カモのヒナらしい。
とにかく小さい体でお上手に泳いでいるのが、たまらなくかわいい。

カモの母親と子供たちが、気持ちよさそうに眠っている。
起こさないように足音を忍ばせて近寄ってパチリ。
その、カモのヒナと思われる鳥に心を奪われていたけれど、ふと、足元を見ると、ナンとそこではカモらしいカモの母親が、子供たちとお昼寝、というか朝寝。

私の携帯の音が起こしたのではなく、
たっぷり熟睡したので子供たちが次々に起き上がり、
水の中に飛び込む。オドオドしたその光景もかわいい。
でも、こっちのヒナは黄色ではなく、茶色みたい。
黄色いヒナがいたり、茶系統のヒナがいたり・・・・あれこれいて頭の中が大混乱するばかり。
 
カモが晴れの舞台に立って、
歌か踊りを披露するのかと期待して待っていたけれど、
結局、何の芸も見せてくれなかった。
ちょっとがっかり。
頭に新鮮な空気を入れようと右手を見ると、一段高いところで一羽のカモが何やら準備を整えている。美声を聞かせてくれるのか、バレーを見せてくれるのか、まるで古代ギリシャ時代の屋外劇場の舞台のよう。観客席はもちろん池の水の上。

と、まあ、いろいろな発見があって心機一転。
やはり公園にはまめに足を運ばなければ。驚きや楽しみに出会うために。

2017年6月24日

オリンピック開催を目指すパリ

2024年のパリオリンピックのロゴ。
2020年の東京オリンピック後、2024年の夏季オリンピック開催を目指して本格的アーピルを始めたパリ。最終に残った2都市はパリとロスアンジェルス。

2024年は絶対にパリでと意気込んでいるのは、1924年の最後のパリオリンピックからちょうど100年。この記念すべき年こそパリにふさわしいと、街中に熱気が漂っています。

カラフルなボートがセーヌ川をうずめて、
お祭り気分満点。
パリの象徴のセーヌ川に浮かぶ陸上競技場を作ったり、カラフルなボートを浮かべたり、アレキサンダー橋からセーヌ川へのダイビングの妙技を見せたり、マクロン大統領は車椅子テニスに参加して大喝采を受けたり・・・

開催都市の決定は9月。それまでいろいろなアピールをするそう。
アイディア豊富なパリジャンのこと、何が出てくるか楽しみ。

近代オリンピックの父、
フランス人のクーベルタン男爵。
ギリシャに発祥した古代オリンピックに感銘を受け、現在も続く近代オリンピック開催を提唱したのは、フランス人貴族クーベルタン男爵。それによって1896年、アテネで第一回オリンピックが実現されたのだから、やはりパリに花を持たせたい。

パリの犬たち 133

あっちに行きたい・・・
あッ、あそこに見えるのは新しいペットショップ。
きっとワタシに似合うドレスやアクセサリーがあると思う。
ネ、あそこに行きた~い。

そっちじゃないの、あっちなのよパパ。
ちっとも言うことを聞いてくれない。
もう、お散歩に連れて行ってあげないからネ、プンプン。
ママンはショッピング大好きだからいっしょだったらよかったのに・・・・・

2017年6月21日

メトロの駅名は語る 46

Hoche
オッシュ(5号線)

メトロが延長された1942年に生まれた駅に、将軍ルイ=ラザール・オッシュの名がついていますが、彼の名前はパリに住む日本人にお馴染みです。凱旋門から延びるオッシュ大通りに日本大使館があるから。

革命の時代の英雄ラザール・オッシュ。
16歳で早くも軍に入り、革命のときには革命に同調し民衆側にいたにもかかわらず、反革命派とみなされ逮捕され監獄に入れられます。

オッシュと同じ監獄に捕らわれている間に、
彼の愛人だったジョゼフィーヌ。
後にナポレオンと結婚し皇后になります。
同じように投獄されていれたジョゼフィーヌ・ド・ボーアルネと知り合い愛人になります。ジョゼフィーヌは夫が貴族だったために逮捕され、オッシュは裏切りものと告発され、ふたり揃って死刑の判決を下されます。

ジョゼフィーヌ最後の肖像画。
彼女が健康を害したため未完成。
けれども運の強いことに、処刑寸前に革命家たちが仲間割れし次々に失脚。危ういところで釈放され、 ジョゼフィーヌはその後出会ったナポレオンと結婚し、皇后になり歴史の華となります。

ヴェルサイユにあるオッシュの凛々しい銅像。
彼はヴェルサイユ近郊生まれです。
一方オッシュは王政復活を強く望む王党派を見事に鎮圧し、英雄と称えられ、戦争大臣の地位を約束されますが、健康を害し29歳の若い生涯を閉じます。
彼の名はメトロや通り、広場になっているだけでなく、銅像も随所にあります。それほど偉大な軍人だったのです。