なかなか馴染めないでいましたが、幸いなことに夫のふたりの弟が遊び仲間になっていました。
プロヴァンス伯、後のルイ18世 |
プロヴァンス伯は彼女と同い年で、アルトワ伯は2歳年下。年齢的にも気兼ねなく楽しめる仲間的存在だったのです。
やがて革命が起き、不自由な生活を強いられていたプロヴァンス伯は、兄ルイ16世とその家族が国外脱出を試みたのと同じ1791年6月20日、変装し、偽のパスポートを手にしながらオランダに無事に逃れます。その後ベルギーのブリュッセル、ドイツのコブレンツなどに暮らし、一時期ロシアに住んでいたこともあります。
兄の処刑を亡命先で知ると、捕われの身の甥の摂政を名乗り、甥ルイ17世の死亡説が流れると、待ってましたとばかりに、自らルイ18世を名乗ります。
アルトワ伯、後のシャルル10世 |
兄ルイ18世の死後、末弟のアルトワ伯がシャルル10世として即位。
彼は革命が起きた初期に、王制危機をすばやく察し、1789年にイギリスに亡命し、かなり贅沢な生活を営んでいました。
ルイ18世亡き後国王になったとはいえ、彼には国を治める充分な才知がなく、国民に不評で反感をかい、1830年に7月革命が起きロンドンに逃れます。
結婚当初は仲良くしていたマリー・アントワネットでしたが、徐々に夫の弟たちの露骨な野心がイヤになり、言動に注意するほどでした。
宮廷内といえども、安全な地ではなかったし、気を許せる人は誰もいなかったのです。