2015年11月1日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 17

天真爛漫なマリー・アントワネットは、故郷とまったく異なる宮廷生活に
なかなか馴染めないでいましたが、幸いなことに夫のふたりの弟が遊び仲間になっていました。
プロヴァンス伯、後のルイ18世

プロヴァンス伯は彼女と同い年で、アルトワ伯は2歳年下。年齢的にも気兼ねなく楽しめる仲間的存在だったのです。

やがて革命が起き、不自由な生活を強いられていたプロヴァンス伯は、兄ルイ16世とその家族が国外脱出を試みたのと同じ1791年6月20日、変装し、偽のパスポートを手にしながらオランダに無事に逃れます。その後ベルギーのブリュッセル、ドイツのコブレンツなどに暮らし、一時期ロシアに住んでいたこともあります。

兄の処刑を亡命先で知ると、捕われの身の甥の摂政を名乗り、甥ルイ17世の死亡説が流れると、待ってましたとばかりに、自らルイ18世を名乗ります。

アルトワ伯、後のシャルル10世
その後ナポレオンの時代が到来し、彼が失脚した際に王政復古を行い、正式にフランス国王の座に就きます。ルイ18世が68歳の生涯を閉じたのはチュイルリー宮殿でした。

兄ルイ18世の死後、末弟のアルトワ伯がシャルル10世として即位。
彼は革命が起きた初期に、王制危機をすばやく察し、1789年にイギリスに亡命し、かなり贅沢な生活を営んでいました。
ルイ18世亡き後国王になったとはいえ、彼には国を治める充分な才知がなく、国民に不評で反感をかい、1830年に7月革命が起きロンドンに逃れます。

結婚当初は仲良くしていたマリー・アントワネットでしたが、徐々に夫の弟たちの露骨な野心がイヤになり、言動に注意するほどでした。
宮廷内といえども、安全な地ではなかったし、気を許せる人は誰もいなかったのです。