ルイ・ブラン(7号線)
ジャーナリストであり歴史学者、左翼の政治家でもあった知性の人、
ルイ・ブランを称える駅名。
ルイ・ブラン(1811-1882) |
優秀な生徒だったブランでしたが、母が世を去り父が悲しみで精神的な大打撃を受け、19歳で家長になります
若き日のルイ・ブラン。右下は彼のサイン。 |
複数の機関紙を発行した後、議員になり、労働時間短縮など働く人々の待遇改善につとめます。
会議で熱弁をふるうルイ・ブラン。 |
第三共和制になり議員になったブランは、常に労働者の味方でした。
けれども体調をくずし南仏に暮らすようになり、71歳の惜しい生涯をカンヌで閉じます。
パリ5区のモンジュ広場にあったブランの彫刻の前で、 生誕100年記念のセレモニーが行われました。 この彫刻は後年に取り除かれ、今は見られません。 |
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