2020年4月27日

パリの犬たち 230

早くさっぱりしたいよ。

いろいろな制限があって、ペットサロンもお休み。
これがもう1ヵ月半以上続いている、

5月11日に制限が解除されるみたいだけれど、
何もかもオープンしていいわけではないの。
レストランとかカフェはまだまだ先だって。

ペットサロンはどうなるのかな。
ボクのあちこちの毛が伸びてきて、
ちょっと見苦しい。
早くさっぱりしたいワン。

2020年4月22日

パリの犬たち 229

窓辺は許可書いらないの

外出のときに証明書を持っていないと罰金というフランス。
だから倹約家のフランス人は、ブツブツ言いながらも
ちゃんと外出許可書を忘れないように持ってお外に行く。
余計なお金なんか使いたくないからネ。

ワタシは見ての通りワンちゃんだから、
お散歩は許されているの。
ワンちゃん一匹につき一人の付き添いはOK。

便利なことに小さいワタシは窓辺に座って、
時間の制限もなく、お外を見たりお昼寝したり。
何しろここはお外ではなくて、住まいの一部だから
許可書も必要ないの。

このところ晴天続きのパリ。
太陽がコロナウイルスを退治してくれないかなぁって思っている毎日。

2020年4月21日

メトロの駅名は語る 149

Rennes
レンヌ(12号線)

ブルターニュ地方の首府レンヌの名を冠する道路名がこの駅名の起源。現在のモンパルナス駅は以前レンヌ駅と呼ばれ、ブルターニュ地方行きの列車が発着していました。そこからサン・ジェルマン大通りまでのびているのがレンヌ通り。両サイドにブティックが軒を並べていて、一年中若者たちをひきつけています。

ブルターニュ地方の首府レンヌはモン・サン・ミッシェル観光の拠点にもなっているし、旧市街には歴史的建造物が多く残っていて観光も盛んです。自動車産業で大きな発展を遂げ、1857年にレンヌ駅が建築され他の町との行き来が頻繁になり、さらなる飛躍をしたのです。

レンヌ市の駅。
パリのレンヌ駅、後のモンパルナス駅。
ここからレンヌ通りが始まります。

パリのレンヌ通りは19世紀半ばナポレオン3世の時代から何度かの中断を経て完成。現在Fnac(書籍、音響製品、cdなどを取り扱っている)があるレンヌ通りのほぼ中央に、1907年、美しいアール・ヌーヴォ―のデパート、グラン・バザールが誕生してから遠方からも買い物客が訪れるようになり、それ以来商業が盛んな通りとしてパリ市民に親しまれています。

レンヌ通りの中央に
1906年9月29日にオープンしたデパート、グラン・バザール。
グラン・バザールの内部。
地下1階地上4階の5階建て。
著名人も足跡を残していますが、映画を発明したリュミエール兄弟がレンヌ通り44番地で、1895年に初めて映画上映をしました。実存主義で有名なシモーヌ・ド・ボーヴォワールは71番地に暮らしていました。エレベーターも水道もない不便な7階の屋根裏部屋でした。このようにいろいろな顔を持つレンヌ通りです。

2020年4月18日

パリの街中を悠々と歩くカモさん

5月11日から徐々に外出制限が緩和されるまでパリは静かそのもの。いつもは公園の池の周りに暮らし、街中に入ってこないカモさん。でも今はだ~れもいない。その貴重な情報をちゃんとキャッチして、短い脚でヨタヨタとやってきて、我がもの顔で歩き回っています。こんな光景を見るのは初めて。

テレビでも鹿やイノシシ、あるいはピューマが道路を横切っている映像を見ましたが、動物たちには危険があるかないかを察知する特有の直感があるのでしょう。鹿やイノシシは怖いけれどパリにはカモさんのお散歩が似合います。

誰もいないパリ。短い脚で安心して歩くカモさん。
今度はお友だちも連れてきてね。

2020年4月16日

夜空に鳴り響いたノートル・ダムの鐘の音

毎晩8時にフランス各地で住民が窓辺に立って、コロナウイルスと戦う医療従事者に感謝の拍手を送っていることは、すでにブログでお知らせしましたが、それは4週間経った今でも続ています。外出禁止令がさらに延長され5月11日まで続くと、4月13日、テレビを通してマクロン大統領から正式に発表があり、コロナウイルスの厳しい現状が国中に伝えられました。

こうした中で昨夜8時、ノートル・ダム大聖堂の鐘が鳴り響きました。昨日4月15日は、ノートル・ダム大聖堂が大火災にあって1年目だったのです。多くのパリ市民が窓辺で拍手を送る時間に合わせて、マスク、手袋、防護服に身を包んだひとりの男性が、奇跡的に火災を逃れた鐘楼に入ってゆっくりと鐘を打ち鳴らしました。パリの空高く上るその音は重厚で、落ち着きがあり同時に力強く、心に沁みる音色でした。

一年前の火災の翌日、ノートル・ダム大聖堂に駆け付けました。
凛とした姿を保っていた鐘楼に安堵したのを思い出します。

この鐘の音にコロナウイルスに共に打ち勝とうと団結心を新たにした人がいるでしょうし、必ず勝つと希望を抱いた人も多数いるでしょう。12世紀からパリ市民を見守っている聖母マリアさまに捧げられているノートル・ダム大聖堂。その鐘の音にはそれぞれ格別の思いがあるのです。

2020年4月12日

忘れがたいイースタ―

復活祭前の金曜日はイエス・キリストの受難と苦悩の日。つまりキリストがゴルゴタの丘で処刑された日です。今年は4月10日がその日にあたり、約1年前に大火災で廃墟のようになったノートル・ダム大聖堂で式典が行われました。

とはいえ、コロナウイルスで式典に参加する人を徹底的に絞り、わずか7人。奇跡的に火災の難を逃れたキリストの「茨の冠」の前で、パリ大司教は「命はまだここにある」と感動的な言葉を述べました。焼け跡が克明に残っている痛々しい大聖堂の中でのこの言葉は、テレビ中継を見ていた多くの人の心を打ったようです。

その後、防護服に身を包んだヴァイオリニストが奏でる音色が静かに流れ、同じように防護服の俳優の朗読と女優が歌うアヴェマリアの歌声が響き、キリストの受難と苦悩、それと同時にコロナウイルスの犠牲者、感染者への祈りを捧げた聖金曜日。シンプルで清らかな忘れがたい日でした。


2019年4月16日の火災で大きな被害を受けたノートル・ダム大聖堂。
コロナウイルスの影響を受け、修復工事は中止されています。

キリスト復活をお祝いする祭典は4月12日、日曜日。この日は聖母マリアさまが出現したピレネ―山脈近くのルールドで、5人の神父さまによる祈りが捧げられました。もちろん一般の人は参加禁止。この様子はすべてテレビで見ることができる配慮がなされました。

聖母マリアさまが出現した、ルールドの洞窟。
いつも世界中から巡礼者が集まり、
大勢の人でにぎわっている洞窟です。
コロナウイルスで例年とまったく異なる聖金曜日とイースタ―のミサ。簡素だっただけに感慨深いものがありました。

2020年4月11日

コロナウイルス 外出禁止令また延長

3月17日から3月末までフランス全土に外出禁止令が出されましたが、コロナウイルス感染者、犠牲者は一向に減らず4月15日まで延長。その間、医療従事者の驚異的活躍にもかかわらずコロナウイルスの威勢は衰えず、8日、大統領府は外出制限をさらに延長することを決定。4月13日、マクロン大統領がテレビで二度目の延長を正式に発表します。

軍用機、ペリコプター、高速列車TGVなどを使い、ベッド数が充分ある地方の病院、あるいはドイツにまで感染者を運ぶ映像をテレビで見るたびに、心強さを感じています。それでも収束のめどが立たず、外出制限を延長せざるを得ない状態なのです。フランスが誇る空母の乗組員の内50人以上がコロナウイルスに感染したという報道もありました。昨日夜のフランス保健省発表によると全国の死者13、197人、集中治療を受けている人は7、004人。緊張感がさらに高まっているフランスです。

車も人もほとんど通らない大通りで、
幸せそうに飛び交うハトたち。

嬉しそうに水浴びするハトたちの姿に、心が癒されます。

首都のパリから活気が失われ、車も人もほとんど見かけなくなって4週間目。車がほとんど通らない目抜き通りの真ん中を、ハトたちがのんびり歩いたり、道端の水たまりで水浴びを楽しむ姿を頻繁に見かけるこの頃。ずっと以前からこうした生活が営まれているように錯覚することもあります。

晴天が続き、空気も澄んでいて、街角に植えた花が咲き始めたパリ。外で思いっきり楽しみたいこのイースターのヴァカンス期間に、多くの違反者が出る恐れがあり、コントロールが一段と高まっています。まだ感染のピークに達していないフランス。個人個人の自覚がますます要求されます。

2020年4月8日

コロナウイルス 日本、フランス

日本もついに緊急事態宣言が発令され、その内容についてフランスのル・フィガロ紙は「見せかけ」と書いています。

多くのことを禁止し違反者には多額の罰金を科すフランスから見れば、ほとんどが自主要請だけで、それに違反した場合に罰金もない日本の緊急事態宣言は、生ぬるいと思えるのでしょう。でも、日本人の高い衛生観念、規律を守る几帳面さ、特有の道徳念などを考えると、自主要請だけでかなり効果があると私には思えます。

多くのマスコミが医療従事者をヒーローと呼び称えています。

コロナウイルスとの戦争状態にあるフランスでは、拡大を防ぐために多くの厳しい規制を設けましたが、感染者は全土に広がりつつあるし、死者は1万人を越えました。フランスの人口が日本の約半分であるから、この数字には恐怖を覚えます。

今までジョギングを許可していたパリですが、今日から10時から午後7時までは禁止になりました。マスクをしないでジョギングする人が多いし、同じコースを間隔を開けずに走る人が多いためです。さらにパリ市の住民に200万枚のマスクを提供する考えを発表しています。その数字はパリの人口約210万人に匹敵。

さまざまな対策を打ち出していますが、収束からほど遠い現状です。

2020年4月7日

パリの犬たち 228

えら~い、見直した。

土曜日から始まった2週間のイースターのヴァカンスで、
たくさんのパリジャンが違反して地方に行くかと思ったら、
ちゃんと規則を守った人が多かったと内務大臣が発表。
リッパ、リッパ。

お天気がいいので運河のほとりをジョギングしたり、
ベンチに座って本を読んだりしていた人もいるけれど、
住んでいるところから1km以内、1時間以内で
外出許可書を持っていればOK。

レストランにもカフェにも、
美術館、劇場、ショップ、デパートにも、公園にも行かないで
その上、友人や遠方にいる家族にも会えず、
毎日同じ空間で同じ顔を見て暮らすようになって3週間。

みんないろいろガマンしている。
この危機を一緒に乗り越えようという団結心が
小さいワタシの体にも心にも伝わってきます。
えらい、ほんとうにえらい🌹🌹🌹

2020年4月5日

パリの犬たち 227

ボクもちょっとお手伝いしなくては。

昨日の土曜日からイースターのヴァカンス。
たくさんのパリジャンが休日を楽しむために出かける時期だけれど、
今は不必要な外出禁止令が出ているフランス。

それでも車や列車で地方に行こうとする人がいる。
そうした違反者を取り締まるために、駅や道路などに警官たちが待機。
地方ではヴァカンスで来る人を泊めないように、ホテルも民宿も閉めている。

こうした事情の中、大変だからボクも街角に潜みながら
違反する人の車が通らないか見張っているんだワン。

2020年4月4日

パリの犬たち 226

一人ぽっちで寂しいワン

昨日は誰も来なかった。今日も誰も来なかった。
もしかしたら明日も?

ママンは人気の美容師さんで、
ワタシはお客さまをお迎えする看板娘。
なのに、2週間ほど前からお店を閉めているから、
だ~れも来ない。

お店の前を通る人もだ~れもいない。
いったいどうしたのかなぁ。あれほどいた人間たちはいずこに?
じっと考え込むワタシ。

2020年4月2日

メトロの駅名は語る 148


Rue du bac
リュ・デュ・バック(12号線)

バックは平底の渡し船のことで、その名の道路に面したメトロの駅名です。

セーヌ川を横切るバック。

かつて左岸のヴォジラールは石灰石が豊富な地域でした。そこで採石した石灰石を運ぶために現在のバック通りを通り、その後、渡し船にのせて右岸に渡り、チュイルリー宮殿建築に必要な石材を運んでいたのです。16世紀のことでした。

バック通りメトロはルーヴル対岸のヴォルテール河畔から、学生街のセーヴル通りまで続く1000メートルを超える長い道路です。パリ左岸のほぼ中央にあるこの通りには18世紀に多くの邸宅が建築され、後年著名人が足跡を残しています。

44番地にはアンドレ・マルローが住んでいたこともあり、ここでゴンクール賞を受賞した「人間の条件」の一部を執筆し、97番地の邸宅には評論家で作家のスタール夫人が数年間暮らしていました。98番地にはかつてキャバレーがあり、そこにナポレオン暗殺計画の首謀者カドゥーダルが隠れ住んでいたこともあります。当時の2人のエンジェルのレリーフが、現在のお店の入り口の上に残っています。作家シャトーブリアンは120番地の邸宅に住みそこで生涯を閉じています。

スタール夫人が暮らしていた邸宅。

ナポレオン暗殺を企てたカドゥーダルが隠れ住んだ家。
当時はキャバレーで、
その時代のエンジェルの装飾は今でも残っています。

シャトーブリアンが住み生涯を閉じた邸宅。

修道女カトリーヌ・ラブレに聖母マリアが出現し、「奇跡のメダイユ教会」とか「不思議なメダルの礼拝堂」と呼ばれる祈りの場があるのは140番地です。

世界中から人々が集まる「奇跡のメダイユ教会」
リュ・デュ・バック駅でメトロをおり、バック通りの左右に並ぶ小さなブティックを見ながらをゆっくり散策するのは結構楽しいです。