2020年1月30日

大使公邸、令和初の賀詞交換会

1月29日、令和初の賀詞交換会が大使公邸で開催されました。昨年末に就任なさった伊原純一大使ご夫妻にご挨拶し、ドリンクを受け取りレセプションルームに入ると、パリ在住の日本人がすでに大勢いらして賑わっていました。

伊原純一大使。
フランスは2度目の赴任だそうです。


大使のご挨拶の後は、鏡開きと日本酒での乾杯。

招待客がそろったころ、大使の日本語とフランス語のスピーチで賀詞交換会が始まり、鏡開き、日本酒での乾杯の後、お正月にふさわしい和食の数々を手にしながら、会話に花が咲きます。この日の話題のトップは何といっても、27日にミシュラン3つ星を獲得した、レストランKEIのオーナーシェフ小林圭さんの偉業。

レストランオープンからわずか9年で、フレンチ最高峰にのぼったのは画期的なこと。しかも圭さんは42歳、若い。日本人で初めてミシュラン3つ星に輝いた小林圭さんは、当日も翌日もフランスのメディアの寵児になり、自分たち日本人シェフに居場所を与えてくれてありがとうと、素晴らしい感想を述べていたのが深く印象に残っています。

顔なじみの4人。
いろいろな機会にお会いしますが、
顔を合わせるとそのたびに歓声があがります。
「今年もヨ・ロ・シ・ク」

そういえば数年前の大使公邸でのイヴェントで、圭さんが焼肉をその場で切り分けてサーヴィスしてくださったことがありました。そのお味が今でも忘れられない。これがお肉の本来の味だと初めて知ったかのようでした。その時ご一緒した人たちとその話をし、「3つ星シェフになったからには、もうそのようなことはないでしょうね」「レストランに行かなくてはね」「でもお値段も上がるでしょう」「とても行けそうにない」「でも、ランチならどうにかなるかも」など、会話はつきません。

12時に始まった賀詞交換会は約2時間続き、お寿司の他にお雑煮やお汁粉もあり、おいしくてどちらもおかわり。やはり日本のお正月はいい。

2020年1月24日

ディオール 工事中でも美しい

アヴェニュー・モンテーニュに面したディオール本社で、今、大々的な工事が行われています。この工事期間中も美の殿堂のイメージを損なわないように、作業がいっさい見えなうようにすっぽりくるんでいて、思わず見とれてしまうほど優美な姿。

トロンプ・ルイユの窓も、きめ細やかな細工を施したバルコニーも、その上を飾る歴史を刻んだようなレリーフも、息をのむほど美しい。すべての色を排除した静謐で凛とした空気がそこから流れ、パリの本物のエレガンスを周囲に届けています。

フランスエレガンスの王者、ディオール本社。
工事中でも失わない美への探求心に心が動かされます。

ジレ・ジョーヌ運動、長引くスト、デモ・・・日常生活に支障があっても、工事中でも美を保とうとするパリジャン、パリジェンヌの高い美意識を目の前にすると、つい許してしまうのです。

2020年1月23日

ジャン=ポール・ゴルチエ 衝撃的引退 

デザイナーのジャン=ポール・ゴルチエが、今回のオートクチュールのショーが自分にとって最後になると、1月17日にSNSで突然発表。それ以来モード界がざわついています。

22日のシャトレ劇場でのショーは、ゴルチエのキャリア50周年記念のもの。それが彼にとって格別な意味を持っていることは、容易に想像できる。だからコレクションも今までと異なる内容に違いない、と皆が大きな期待を抱いていた。それが、まさか、モードから身を引く最後のショーだと誰が想像できたでしょう。ファッション界の風雲児ゴルチエは当初から既成観念を打ち破り、独創的発想で絶え間なく世に刺激を与え、モードの幅広さ、奥深さを示してきた稀有な存在。その貴重なデザイナーが、今、モードの舞台からおりる。それはやはり大きな衝撃で、ファッションウィークの最大の話題でした。

67歳のゴルチエは、まだまだ現役でクリエーションを続けていける年齢。なのに、あえてこの年齢でモードをやめるからには、それなりの理由があるはず。それは明らかにしていないがゴルチエは、ファッションから引退するけれど、ブランド名「ゴルチエ パリ」は継続していくと宣言しています。つまりオートクチュールは異なるコンセプトで続くのです。

1月22日にモードから引退したゴルチエ。彼の決断の裏に何があるか・・・今のファッションに疑問を抱いているとか、自分の心が求めることはすべて実現したとか、若手のデザイナーに道をあけたいからとか、「ゴルチエ パリ」にフレッシュな息吹を吹き込み活性化したいのかも、あるいはキャリア50年を人生のひとつの節目と考えているのかも・・・新たな出発を遠くない日に発表すると約束したゴルチエ。チャレンジ精神旺盛なジャン=ポール・ゴルチエがこの年齢で完全に引退するはずがない。彼の情熱が何に向けられるか、一日も早く知りたい。

いずれにしても、華やかに、高らかにデザイナーに別れを告げられるゴルチエは幸せだといえます。なぜなら、様々な理由で自分が築いたメゾンから離れ、あるいは離れざるを得ず、その後世間から忘れられた存在になったデザイナーが少なくないからです。

シャトレ劇場での最後のショーは、イヴ・サンローランのポンピドゥーセンターにおける、ファイナルショーを彷彿させないではいませんでした。あの時は、感動があまりにも強く、涙を流した人が多かった。そういえば、何という偶然。イヴ・サンローランの最後のショーは2002年1月22日。ゴルチエの最後のショーも1月22日。これはもしかしたら単なる偶然ではなく、ゴルチエの意図だったのかも知れない。むしろ、そうだと確信しています。サンローランのショーにゴルチエが姿を見せていたこともあるし、彼の後継者にふさわしい才能を持つデザイナーはゴルチエのみ、と語られたこともある。ポンピドゥーセンターでのサンローラン最後のショーにも出席していた。何の前触れもなく突然引退宣言をして、衝撃を与えたのも同じだし、モードから身を引いたのはサンローランーは65歳、ゴルチエは67歳で年齢も近い。

ゴルチエ最後のショーが行われたシャトレ劇場。

ゴルチエは世界中から駆けつけた顧客やジャーナリストの賞賛の言葉と、鳴りやまない拍手を全身に浴びながらデザイナーを引退した。1700人の招待客を前に200人のマヌカンがゴルチエの代表作をダイナミックなスペクタクルのように披露。このような栄光に包まれながらオートクチュールの一線から退いたゴルチエは、フランスの誇りです。

2020年1月21日

ダミアーニ、新作ジュエリーとヴェニーニ作品を発表。

輝かしい歴史を持つジュエリーの老舗ダミアーニが、新作発表をヴァンドーム広場のブティックで開催。それだけでも華やかなのに、今回はダミアーニグループ傘下のひとつ、ヴェネツイアグラスで名を轟かせているヴェニーニの作品も発表。しかも、アメリカの建築家ピ―タ―・マリノとのコラボレーション。

ダミアーニのジュエリーで特に重要なのは、今年20年周年記念を迎えるディサイド( D,side)コレクション。Damiani のD 、ダイヤモンドのD、2重のリングの両サイドにダイヤモンドをあしらって繋いだこのジュエリーが誕生したのは2000年。この年にブラット・ピットとジェニファー・アニストンが結婚し、ブラット・ピットのデザインのリングがダミアーニでクリエイトされ、ディサイドの歴史が始まったのでした。

その後メゾンのアイコニックなジュエリーになったディサイドは、2020年に20歳を迎え、その記念にダミアーニがブレスレットとネックレスを発表。どちらもノーブルな美しさを輝かせています。

ディサイド・コレクションが発表され、
センセーションを起こしてすでに20年。
その記念すべきすべき2020年に披露されたブレスレット。


ディサイド・コレクション誕生20周年記念に
特別に制作した華麗なネックレス。
610以上のダイヤモンド、42グラムのホワイトゴールド。

ヴェニーニと著名な建築家のコラボレーションは、毎回話題になっていますが、日本の建築家安藤忠雄さんとのコラボレーションは、2017年に発表した「アンドーコスモス」が特にインパクトがありました。立方体と球体を組み合わせた画期的なデザインは、不可能を可能にしたかのような衝撃そのもの。

ピーター・マリノとヴェニーニのコラボレーションで生まれた
オリジナリティーあるライト。

ディオール、ルイ・ヴィトン、シャネルなど高級ブランドのブティックを数多く手がけたスター的存在の建築家ピ―タ―・マリノが、コラボレーションで発表したのは、ライト。独自の黒がポイントになっているインパクトあるライトは、部屋に飾った途端に別世界が生まれそうです。

左にピ―タ―・マリノのライト、
右と奥にダミアーニのジュエリーが展示されています。

ソワレには黒い服装の人が多いパリ。
フィンガーフードにお寿司もあって感激。
パリのパーティーも変わったものです。

ジュエリーの高貴な輝きとヴェネツィアガラスの透明感ある輝きが店内で交差し、マジカルなアンビアンスがいっぱいのステキなひとときでした。

2020年1月18日

高田賢三さん、ニューブランド発表

デザイナー高田賢三さんが新しいブランドを立ち上げました。その名は「K三」。ケースリーです。服装デザイナーとして世界に名を轟かせていた賢三さんは、数年前からホテルのインテリアを手がけたり高級家具店とのコラボレーションで話題を呼んでいましたが、ついに本格的にライフスタイルに取り組み、自身のブランドK三を発表。

50年以上パリに暮らしている賢三さんの格別なセンシビリティーは、モードの世界から大きな翼を広げて飛び立ち、アール・ド・ヴィーヴルの世界に降り立ちました。

アール・ド・ヴィーヴル。それは日々の生活をアーティスティックに過ごすことによって、日常生活を意義あるものとすること。フランス人のデリケートな感性から生まれた、まさにフランス的生き方。衣、食、住、そのすべてにこだわるのです。

日本と西洋の画期的な融合でモード界に新風を吹き込み、プレタポルテに大きな影響を与えた賢三さん。K三ではインテリアに力を入れ、家具、オブジェ、カーペット、陶磁器、室内装飾用テキスタイルなど、クリエーションは多岐にわたります。「桜」「舞子」「将軍」の3つのテーマを通して賢三さんは、人生に喜びや楽しさを与えてくれる稀有な人。
メルシーケンゾー!!

ショールームに展示された賢三さんのクリエーションの数々。
カラフルで人生が大きな喜びで満たされそう。

ソフィスティケートされた色合いから
気品が漂います。

現代の息吹が体中を駆け巡りそうなコンテンポラリーな作品。

ニューブランドK三誕生をお祝いするパーティーは、アトリエとショールームの2ヵ所であり、賢三さんは祝福と称賛の言葉に包まれこの上なく幸せそうでした。今後も新たなことに挑戦しそうな元気が全身から放たれていて、近くにいるだけでパワーが伝わってきます。

最初のカクテルは賢三さんのアトリエで。
壁の純白の折り鶴はいつ見ても心に平和を広げてくれます。
アトリエのサロンにもニューブランドの作品が何気なく飾ってあります。
いつもハツラツの賢三さん。
健康にはいつも心配りをしているそうです。
アトリエでのパーティーの後は
ショールムーで2番目のパーティー。すごいにぎわい。
K三 ショールーム
242 bd. Saint-Germain
75007 Paris
日本式の2階です。

2020年1月17日

パリの犬たち 220

フードが邪魔

本格的に寒くなったからって、
ママンがフード付きのダウンコートを買ってくれたの。
でも、とってもうっとうしい。
右を向くときも、左を向くときも
フードがしつっこくついてくるの。
なのでワタシも知恵を絞ったの。
その結果、頭をブル~ン、ブル~ンって大きくふると、
フードから解放されるの。これでいいのだワン。

2020年1月13日

メトロの駅名は語る 143

Saint Georges
サン・ジョルジュ(12号線)

聖人ジョルジュを称える駅名。日本語では聖ゲオルギオス。303年4月23日に殉死。

ラファエロ作の「サン・ジョルジュ」

ドラゴンの生贄にされそうになったカッパドキアの王女を、ひとりで勇敢に戦って救ったのが、ローマ人兵士だったジョルジュ(ゲオルギオス)だったと伝えられています。

キリスト教徒の軍人を父として生まれ、同じように軍人になった彼は、度々迫害に会ったにもかかわらず、キリスト教布教を続けていました。けれども当時のローマ帝国皇帝ディオクレテイナヌスが、増える一方のキリスト教徒に不安を感じ、帝国安泰のためにローマの神々崇拝を義務付けます。にもかかわらずキリスト教に改宗する人は後を絶たず、逮捕、処刑の命令が出され、ゲオルギオスも捕らわれ殉死したのです。

その後ヨーロッパ各国で守護聖人と崇められるようになり、様々な画家の創作意欲も掻き立てたし、彼の命日は聖ゲオルギオスの日とされ祝っている国もあります。聖ゲオルギオスがドラゴンを退治したとき流した血が赤いバラになったという伝えもあり、イングランドでは「セント・ジョージの日」に赤いバラを胸に飾ることもあるそうです。聖ゲオルギオスの象徴の白地に赤い十字はそのままイングランドの国旗となり、イギリス国旗にもセント・ジョージ・クロスが入っています。

イギリス国旗。
中央にセント・ジョージ・クロスが見られます。

スペイン語では「サン・ジョルディの日」とされ赤いバラや本を贈答する地域もあるそうです。本を送るのは、聖人が殉死した4月23日が文豪シェイクスピアの誕生日であるからという説と、スペインでは20世紀初頭から始まった軍事独裁政権で、カタルーニャ語使用を禁止され、住民たちが民族団結を唱えながら秘かにカタルーニャ語の本を贈り合っていたという説があります。

ユネスコでこの日を「世界本の日」として、様々な国で様々なイヴェントを行っていますが、これはカタルーニャで4月23日に本の贈呈を行っていた習慣からの発想だそうです。

ギュスタヴ・モロー作
「ドラゴンを退治するサン・ジョルジュ」

一方、ゲオルギオスを処刑させたローマ帝国皇帝ディオクレテイナヌスは健康を害し、305年に引退し、クロアチアの首府スプリトに建築させた壮麗な宮殿で余生を送りそこで生涯を閉じます。


ローマ帝国皇帝ディオクレテイナヌス
(244-311)
ディオクレテイナヌスが引退後暮らし生涯を閉じた宮殿を再現した絵。

サン・ジョルジュの名はパリのメトロの駅名の他、広場や道路名にもなっています。特にサン・ジョルジュ通りには著名人が足跡を残しています。8番地で画家ドガが生まれ、ルノワールは35番地にアトリエ兼住まいを持ち、文学の巨匠ゴンクール兄弟は43番地に暮らしていました。

ルノワール作「サン・ジョルジュのアトリエ」