2020年8月13日

ますます倹約するフランス人

フランスで夏のセールは通常6月末にはじまるのが、今年はコロナの影響で多少ずれて、7月15日から8月11日まで。ロックダウンがあったためですが、それから解放されたとはいえ、その期間中に何も新しいものを買わなくても、レストランに行けなくても、まあまあの日々を送れたために、人生観、というか、価値観が変わってきたようです。

ソワレも気取ったレストランでの会食もないから、カジュアルな服装で十分。第一、屋外でもマスクが義務付けられている街が増えているので、お洒落をする必要もない。自宅で気ままな服装でテレワークができる。

ということで、セールで売り上げが伸びず被害を被っている洋服店が多い。70%引き、と派手に宣伝してもパリジェンヌたちは心を動かされない。見向きもしない。

すべて60%引きの洋服店。
工事前のひときわ目立つ表示。


パリに限らずフランス全土でもっとも関心を呼んでいるのは、貯蓄。すこしでも利息がつく口座が大人気のようです。コロナ第二波に備えてという人もいるでしょうが、もともと倹約精神があるフランス人。不必要な出費は最大に控える固い決心を新たにしているのです。

今年の夏のセールは正式には終わりましたが、目立たない一角で続けているブティックも多いのが現実。

「品によっては最高50%引き、9月1日まで」
と入り口に表示しているデパートもあります。

2020年8月11日

メトロの駅名は語る 155

Corentin Celton
コランタン・セルトン(12号線)

第二次世界大戦でレジスタンス運動に参加し、ナチス・ドイツに捕まり処刑されたコランタン・セルトン(1901-1943)の名を伝える駅名。

ブルターニュ地方の小さな村プロアレに生まれたセルトンは、その地でしばらく漁師をした後、パリ12区のサント・アントワーヌ病院で病室の仕事につきます。24歳の時にフランス共産党に入り、ソ連国際赤色救援会で積極的に活動。その後パリ南近郊のホスピス、プティ・メナージュで恵まれない老人たちの相談係りになります。

セルトンが最初に働いた
18世紀に建築された
パリ12区のサント・アントワーヌ病院。


セルトンが働いていた老人たちのホスピス。
左のチャペルは姿を消しましたが、アーチが連なる回廊は残っています。

第二次世界大戦がはじまった1939年に看護士として動員され、1940年5月に始まった対ドイツ戦での勇敢な行為が評価され、名誉ある勲章を授け取ります。その後レジスタン運動に加わりますが、1942年春逮捕され、監獄に入れられ1943年、裁判で死刑判決を受け、要塞があったパリ近郊のモン・ヴァレリアンで、多くの同士たちと同じように処刑されます。後年、レジスタンスを呼び掛けたド・ゴール将軍が大統領に就任した際に、小高いモン・ヴァレリアンの丘の上にフランス戦士に捧げる記念碑を建築させ、毎年戦争記念日には盛大なセレモニーが行われます。

ミリタリ―・クロス勲章。
第二次世界大戦で功績があった人々に授与した勲章で
セルトンもその名誉に授かりました。

1945年2月9日にセルトンが働いていたホスピスに彼の名が付けられ、2004年、ホスピスは再建され、現在コランタン・セルトン病院となっています。その病院の庭と、セルトンが最初に働いていたサント・アントワーヌ病院内に、彼の名が刻まれ記念碑があります。

2020年8月8日

いつもと違うヴァカンス

新しい年が始まるとすぐに、夏のヴァカンスをどう過ごそうかと話題になるパリ。ところが今年はコロナウイルスのために早めの予定が立てられず、ぎりぎりで決める人が多い。

行き先は、90%以上の人がフランス国内。テレビでも連日フランスの未知の魅力を宣伝し、フランス国内でお金を使うように促している。実際にこうした報道をみると、フランスがいかに変化に富んだ国であるかわかる。今まではとにかく外国に行かないと、ヴァカンスを過ごした気分にならないので、あちこちにで出かけたけれど、今年はコロナが怖いのでできる限り動かないと固く決意。

パリを離れて海辺や山に行くにしても大多数が列車を避け、車を利用。たしかにTGVは高速で便利だけれど、感染を恐れて家族だけ、あるいは親しい友人だけで移動するのです。このためにTVGは採算がとれないほど利用者が少ないし、飛行機も同じ。

いつもは大賑わいの避暑地のホテルもがら空き。見知らぬ人と同じ建物の中で数日間過ごすのもキケンと判断するからです。当然レストランも半分か3分の1くらいしかうまらない。

もっとも賑わっているのは、海辺のバーとかディスコテック。音楽が鳴り響きそれに合わせて若者たちが我を忘れて踊っている。マスクもしていなければ、ソーシャルディスタンスも守っていない。「だってヴァカンスだもん」とコロナなど関係ないといった感じ。自分は感染しないと思っているらしい。

何度もヴァカンスを過ごした大好きな南仏のサントロペ。
以前の写真です。
今年も二人の友人が滞在しています。
私も行きたかったけれどガマン。来年にはぜひ!!

若者たちは聞く耳を持たないので閉鎖したバーもあるし、立ち入り禁止にした浜辺もある。屋内だけでなく、屋外でもマスクを義務化している町もある。首相が語っていたように、コロナにはヴァカンスはない。夏が終わってそれぞれ自宅に戻るときウイルスも一緒に帰宅し、感染者が全国に広がるのではないかと、とても心配。

2020年8月6日

レバノンの大惨事

8月4日、レバノンのベイルート湾岸地帯で2度にわたる大爆発があり、フランスでは連日トップニュースになっています。救援活動のためにフランスから3機の軍用機が直ちに飛び立ち、6日にはマクロン大統領が首相、外務大臣、そのほか関係者を伴って現地入りしました。レバノンの国民に、フランスはこの耐え難い苦しみ、怒り、悲しみを分かち合い、援助を惜しまないことを伝えるためです。

レバノンとフランスの関係は深く、第一次世界大戦後からレバノンはフランス委任統治領だったのです。けれども第二次世界大戦初期、フランスがドイツに占領されている間の1941年に独立宣言をし、1943年に正式に独立。

このような経緯があるめにフランス語を話すレバノン人が多いし、レバノンに暮らすフランス人も多く2万人を超えているそうです。地中海沿岸の首府ベイルートの街並みは、まるでパリのように美しく、実際に「中東のパリ」と呼ばれているほど。

経済危機、食料危機にみまわれているレバノンが、今回の爆発事件でさらなる窮地に陥るのを見逃せないと、宿敵とされている国でさえも大規模な援助を開始。地中海交易で活躍し、要所に植民地を建築したり、アルファベットの基礎をつくった古代の偉大な文明人であるフェニキア人のふるさと、レバノン。

国旗の中央に描かれている杉からわかるように、レバノン杉は国の象徴。丈夫なので船や建物に適した木で、しかも品格ある香りを放ち多くの国が手に入れたいと思う針葉樹。パリの植物園に立派なレバノン杉がありますが、これはルイ15世の時代、1734年に偉大な植物学者ジュシューがロンドンから苗木を持ってきて植えたもので、旅の途中で傷まないように帽子の中に入れてきたと記録が語っています。その後年月をかけて見事に育ち、現在も枝をなびかせながら訪れる人々の賞賛をかっています。

レバノンの国旗

多くの国が団結して援助を行い、一日も早く大惨事から立ち直ってほしいと祈るばかりです。

2020年8月5日

スペイン元国王 どこに?

コロナウイルス感染者が急激に増え、諸外国から冷たい目で見られているスペインで、8月3日、フアン・カルロス元国王がスペインから離れることを明らかにし、国内だけでなく外国にも大きな衝撃を与え話題になっています。

息子の現国王フェリペ6世への手紙では、その理由は、疑惑がある自分がこのままスペインに留まることは、息子が公務を行う上で不都合だと判断したためのようです。

その疑惑は、サウジアラビアのメディナとメッカをつなぐ高速鉄道建設の際に、フアン・カルロス元国王が多額の裏金を受け取ったことで、それに関する捜査が始まっているのです。元国王がスペインを離れるのは「逃亡」か「脱出」か「追放」などと、マスコミは様々な表現をしているけれど、真相はわからない。現時点ではこれからスペインを離れるのか、あるいはすでに離れたのかもかわらないし、行き先も不明。ドミニカ共和国にすでに入ったなどという報道もあるけれど、確認されていない。

フアン・カルロス元国王はフランコ将軍亡き後スペイン国王に即位し、民主主義体制を成功させ、国民に信頼され愛されていた才知と勇気がある人物だっただけに、今回の判断も、もしかしたら賢明なのかもしれない。実際に、捜査には協力すると語っているそう。

スペイン国王フェリペ5世になった
ルイ14世の孫。(1683-1746)

フランスは特にこの出来事に関心を持っています。以前ブログに書いたように、スペイン王家はフランス王家の血を受け継でいるからです。フランス国王ルイ14世の孫アンジュ公が、スペイン国王フェリペ5世となり、その子孫がフアン・カルロス元国王だからです。

http://rumiko-paris.blogspot.com/2019/10/135.html

http://rumiko-paris.blogspot.com/2014/06/blog-post_4.html

2020年8月3日

パリの犬たち 237

いつもと違うパリだね。

「ネ、ナンだかいつもと様子が違うパリだと思わない?」
「ウン、たしかにナンだかおかしい」
「ツーリストの姿がぜ~んぜ~ん見えないよ」
「ホントにさみしいくらい人がいない。どうしたのか、ママンに聞いてみるね」
「ママン、ママン、どうしてこんなに静かなの? ネ、ネ、お返事してよ」
「おしゃべりに夢中で、ボクたちの言うことなんかちっとも聞いていないよ」
「無視されて、ガッカリ、とってもガッカリだワン」
「こうなったら、自分たちで考えないといけないネ」
「たしか、コロナがどうのこうのってママンたちが話していたけれど、
もしかしたら、それと関係あるかも」
「コロナ?」
「そう、コロナ」
「ナンだったかな、コロナって」
「それがよく思いだせないんだ」
「じゃ一緒に考えてみようよ」

ジー、ジー、ジー、

「いくら考えてもわからないワン 」
「世の中にはボクタチが理解に苦しむことが多いなぁ」

2020年7月28日

メトロの駅名は語る 154

Porte de Versailles
ポルト・ド・ヴェルサイユ(12号線)

「ティエールの城壁」の門のひとつ、ポルト・ド・ヴェルサイユ跡に造られた駅。

ルイ・フィリップ国王の時代にパリを防御するために建築された城壁は、首相を務めたこともあった政治家ルイ・アドルフ・ティエールの案で実現。そのために「ティエールの城壁」と呼ばれていました。1841年に城壁の建築が始まり1844年に完成。33キロメートルもの長さがあり要所に17の門が設けられ、城壁の外側には幅15メートルの堀も造られました。

「ティエールの城壁」の17門のひとつだったポルト・ド・ヴェルサイユ。
後に解体され、その跡地にパリ見本市会場が建築されました。
ポルト・ド・ヴェルサイユに建築されたパリ見本市会場を視察する
アレクサンドル・ミルラン大統領。1923年。

軍事的目的で建築されたこの城壁の解体が決定されたのは1919年で、時代の変化に連れて新たな武器が登場し、城壁がパリ防御に役立たないと判断されたためです。

ポルト・ド・ヴェルサイユ跡には、1923年、パリ見本市会場が建築され、それまでシャン・ド・マルスで開催されていたその見本市は、毎年ポルト・ド・ヴェルサイユで行われるようになり、会場も徐々に拡大されたのでした。農業、車、プレタ・ポルテ、本、あるいはチョコレートなど幅広い見本市を催し、日本を含めて外国からの訪問者も多数います。この会場に行く際に使用するメトロの駅は、もちろん、ポルト・ド・ヴェルサイユ駅。駅の周囲には手ごろなレストラン、カフェ、ホテルが立ち並び、一年中活気に満ち溢れています。

見本市会場の屋上のポタジェとレストラン。© VALODE&PISTRE ARCHITECTES

この見本市会場6号館の屋上に、ヨーロッパ最大の規模を誇るポタジェが7月1日にオープン。14、000m²の広さがあり、そこで野菜や果物を栽培し、近くのレストランでもお料理に使用。大きな特徴は、誰でも1m²の畑を借りて自分で好きなものを栽培できること。1年契約で320ユーロ。パリに暮らしながら畑仕事を楽しめるこのアイディアは、賞賛すべきこと。今後このポタジェは拡大される予定だそうで、ますますポルト・ド・ヴェルサイユ駅がにぎわうことでしょう。