2019年10月3日

メトロの駅名は語る 135

Pyrénées
ピレネー(11号線)

この駅の近くにパリで2番目に長い道路、ピレネー通りがあり、スペインとの境にある430kmのピレネー山脈からこの道路名が選ばれたとされてます。また、フランスとスペインの間で結ばれたピレネー条約も意味しています。

フランス国王ルイ14世(左)とスぺイン国王フェリペ4世(右)の間で、
ピレネー条約が結ばれました。フェリペ4世の後ろに立っている
白いドレスの女性はスペイン王女で、ルイ14世に嫁ぎます。

ピレネー条約が結ばれた
フランスとスペインの間にあるビダソワ川のフェザント島。
中央は講和条約の記念碑。

フランスとスペインの間では長年にわたって戦いが続いていました。1635年に始まった両国間の戦争は1659年11月7日、フランスとスペインの間を流れるビダソワ川のフェザント島で結ばれた講和条約でやっと終わります。フランス国王はルイ14世でスペイン国王はフェリペ4世の時世です。

ルイ14世とスペイン王女マリー・テレーズの結婚式は
両国の境にある現在のピレネー・アトランティック県の、
サン・ジャン・ド・リュズの教会で1660年6月9日に執り行われました。
二人そろって21歳でした。

その際にフェリペ4世の王女マリー・テレーズがルイ14世に嫁ぐことも決まったのでした。マリー・テレーズが多額の持参金をフランスにもたらす代わりに、ルイ14世とマリー・テレーズの間に生まれる子供たちはスペイン王位継承権を破棄することも条約に書かれていました。

ところがスペイン王家に十分な財産がないために持参金は未払いになり、それが元でネーデルランド継承戦争が1667年に始まります。当時ベルギーとルクセンブルグからなる南ネーデルランドはスペイン領だったのです。受け取れなかった持参金のかわりにスペイン領の一部を取る目的のこの戦いをフランスは勝ち取り、いくつかの領土を獲得します。そのひとつが現在フランス北部にあるリール市です。

ネーデルランド継承戦争の戦地を視察するルイ14世。

フランスとスペインは以前から深いつながりがあり、ルイ14世の母アンヌ・ドートリッシュはフェリペ4世の姉だったし、フェリペ4世の妃はフランス国王アンリ4世と妃マリー・ド・メディシスの間に生まれた王女エリザベート・ド・ブルボンで、スペインではイザベルと呼ばれていました。

1700年11月15日ヴェルサイユ宮殿で、
ルイ14世は孫アンジュ公がスペイン国王に即位すると宣言。
フェリペ4世亡き後その王子がカルロス2世と名乗り即位しますが、子供に恵まれませんでした。それを口実にルイ14世が再びピレネー条約を持ち出し主張します。ピレネー条約で決まったスペイン王位継承権破棄は、マリー・テレーズの持参金あってのもの。それが支払われなかったからには破棄は無効である。ルイ14世の主張通りに孫アンジュ公が1700年にフェリペ5世としてスペイン国王になります。17歳のアンジュ公は12月4日にヴェルサイユを発ち、翌1701年1月22日スペインのマドリッドに到着します。その子孫が現スペイン国王フェリペ6世です。

アンジュ公がスペイン王になった時には「これでピレネーはなくなった」と語られたそうです。このように多くの歴史が込められているピレネーです。