2015年8月28日

パリの犬たち 37

おつきあいも楽じゃない。
おしゃべりばかり・・・・

もう、いいかげんにしてッ!

2015年8月26日

ヴェルサイユ宮殿に高級ホテル誕生?!

ラトナの泉から見たヴェルサイユ宮殿

かの偉大なブルボン王朝の君主の居城だったヴェルサイユ宮殿に、高級ホテルを造る案がある、とういう報道を見て、ちょっと、どころか、大きな驚き。

最初、この報道を目にしてびっくりしたけれど、詳しく調べたら、ヴェルサイユ宮殿の庭園のはずれの建物をホテルに改造することらしい。
つまり、宮殿の一部ではなく、庭園内にあるオレンジ園の先の別個の建物であることが分かり、やっと安心。
やはりきちんと調べないといけないですネ。

その建物は1681年、ルイ14世の時代のもので、
もともとは有力な貴族の館。
これがその建物。
ルイ14世の時代のもっとも優れた
建築家、ジュル・アルドゥアン・マンサール
が建築したとされています。
その貴族亡き後、未亡人が売却し、他の人の手に渡り、後年にルイ15世が買い取ったのです。
そこに、管理職にいた人々が暮し、ルイ16世の時代には財務総監カロンヌやネッケルも足跡を残したというから、歴史的に重要。

長年使用されることもなく、破損もかなり激しく、修復には莫大な費用がかかる。
どうしよう。
それで高級ホテルと組むことを考えた様子。

9月14日が応札期限。どのようなオファーがあるか、とても楽しみ。
そのときにもっと詳しいことがわかるでしょう。
もちろん、続きをお知らせしますね。

2015年8月23日

夏の休暇を終え、そろそろお仕事


8月最後のウィークエンドは、道路が混み合い最悪だから避けるようにと、テレビやラジオで必死に呼びかけるにもかかわらず、その日の大移動は一向に変わらないフランス。


渋滞が何キロメートル続こうと、こりずに繰り返すのが国民性。というより、むしろそれもヴァカンスにつきものの楽しいイヴェントと思っているのかも。

週の労働時間は35時間。
一年の有給休暇は5週間。
その消化率は100%。これに土、日、祭日が加わるすばらしい国。

ヴァカンスは楽しい思い出ばかり。
ヴァカンス、ヴァカンスと騒ぐフランス人だけど、
彼らの名誉のために申し上げますが、働くときは猛烈に働くのです。

その集中力は半端じゃない。
統計によると、フランスの国内総生産は世界の片手に入る優秀な国。
長い時間働いていればいい、のではなく、休みを多くして心身に喜びを与え、短時間に集中して働くほうが能率があがるいい証拠。
その良き例がフランス。

長いヴァカンスでたっぷり充電し、働く気分満点のパリジャン、パリジェンヌ。
私も同じ気分で、新しい本に取り掛かります。

2015年8月20日

パリの犬たち 36

ヴァカンスおしまい。
楽しかったヴァカンスも、もうおしまいか。
でも、久しぶりのパリもなかなかいいのだワン。
パパ、しっかり働いてね。
そうしたらごほうびに
来年もヴァカンスにつれていってあげるから、ネ。
うれしい?

2015年8月17日

ロシア、サンクトぺテルブルク 

夏でもセーターが必要な、とてもとても涼しいサンクトぺテルブルク。ピョートル大帝が造ったヨーロッパ的なこの都市で、見たいものは決まっていた。というより、それが見たいがために行ったのです。
作品の数が膨大な
巨大なエルミタージュ美術館。

見たかったのは、エルミタージュ美術館のレンブラントの「放蕩息子の帰還」と、マティスの「ダンス」。ピョートル大帝から最後の皇帝ニコライ二世までが葬られているペトロパブロフスク大聖堂。ラスプーチン暗殺の地のユスポフ宮殿。

エルミタージュ美術館は想像以上に作品が多く、場所が充分ないかのように作品がひしめき合っている。これほど巨大な宮殿が必要だったのかと、しみじみ思うほど広い。やはり権力の象徴なのかしら。

「放蕩息子の帰還」は、その絵の解説を一時間たっぷりしているテレビ番組を見て感動し、ぜひ本物の前に立ちたいと思っていた作品。やはり本物はいい。やはりレンブラントはいい。感動、感動、心が締め付けられるほど感動。「ダンス」はロシア貴族が自分の館に飾りたいために注文した作品なので、その大きさを味わいたかった。これほと大きな絵を飾る大邸宅に、革命前の貴族たちは暮していたのですね。

ペトロパブロフスク大聖堂手前の
ピョートル大帝像。
膝をさわるといいことがあるそう。

歴代の君主が葬られているペトロパブロフスク大聖堂は、要塞の中にあるので、ひときわの趣がある。ロマノフ家はどの君主も大きな個性を持っていて、誰もが興味深い。偉大な人生を送った人のお墓を見ると、読んだ歴史書の内容が勢いよく蘇り、すごく感激する性質。思った通り、ピョートル大帝やエカテリーナ二世の棺は飛び切り立派で、しかもきれい。

皇帝に継ぐ高位の貴族ユスポフ家の宮殿。高尚な趣味が伝わります。


ユスポフ宮殿にラスプーチンを誘い、
暗殺を実行した王子(左)と、
ラスプーチン(右)
歴史上重要な現場にいるような
迫力ある演出。

そして・・・
ああ、ぜひぜひ見たかった優雅極まりないユスポフ宮殿。革命を逃れた貴重な家具調度品がたくさん残っている宮殿。皇帝と皇后に取り入り、政治にまで口出しをしていた祈祷僧ラスプーチンに、国の将来を案じたユスポフ家の若いプリンスが暗殺を企て、実行。彼は超高位の、しかも、これほど美しい貴族がいたのかと、うっとりするほどの麗しいプリンス。その名はフェリックス・ユスポフ。

自分の宮殿にラスプーチンを招き、毒を盛った食事で暗殺を企てた、その場面が人形入りで再現されているので迫力満点。彼が住んでいたのは、洗練の極めをつくした優美な宮殿。ラスプーチン暗殺で皇帝の怒りをかい、サンクトぺテルブルクから追放され、そのために革命で命拾いし、パリに亡命したそれはそれは美しいプリンスの宮殿。「カルティエと王家の宝石」に詳しく書くために、いろいろ調べただけに興味津々。

サンクトぺテルブルクの夏は涼しくて観光に最適。次回はドストエフスキーの作品に登場する場所を訪問したい。学生時代に夢中になって読んだ彼の作品の多くの舞台はサンクトぺテルブルクなのだから。今からワクワク。セーターをいっぱい持っていこう。

2015年8月13日

パリの犬たち 35

飼い主と犬はよく似ているとパリの人は言う。
飼い主が犬に似てくるのか、
犬が飼い主に似てくるのか。
そんなことはどうでもいい。
みんな揃って同じ色だと、ひと目で家族だとわかるから便利なのだワン。

2015年8月7日

オーストリア皇太子 「うたかたの恋」 遺書発見

ルドルフ皇太子


第一次世界大戦が始まるまで、オーストリア=ハンガリー帝国を治めていたハプスブルク家。その皇太子ルドルフの悲劇的最期は、「うたかたの恋」と題して映画や宝塚で感動を呼びました。

フランツ・ヨーゼフ皇帝とその妃、通称シシーの間に生まれた唯一の王子ルドルフは、メランコリックな瞳とほっそりとした長身の気品ある青年だった。
自由主義者であり理想主義者だった彼は、帝国維持に固守する父と意見が合わず、何度も衝突を繰り返していたのです。

ルドルフには妃がいました。が、彼を見かけた男爵令嬢マリー・ヴェッツェラがひと目ぼれし、皇太子と親しくなるために様々な工作をし彼の愛人となる。
マリー・ヴェッツェラ

もともとデリケートなルドルフは次第に帝国の将来に不安を抱き、父との激突にも耐えられなくなり、マリーに心中したいと打ち明ける。

情熱のすべてを捧げていた皇太子の願い。マリーはおそらくその申し出を喜んで受けたに違いない。彼女は母宛に遺書を書く。
その遺書がオーストリアの首都ウィーンの銀行で見つかったのだ。

オーストリア国立図書館の8月上旬の発表によると、1926年から銀行に預けられていた書類入れの引き取り手が長年連絡してこないので、開けて中を調べたところ、この遺書が発見されたのだという。

悲劇があったマイヤーリンクの館。
ルドルフの父の命令で直ちに取り壊され、
カルメル派の修道院と教会が
建築された。多くの遺品が展示されている。


マリーが書いたその遺書は、実は、以前すでに内容が公になっている。

2013年に講談社+α文庫で出版していただいた私の本、「最期の日のマリー・アントワネット ハプスブルク家の連続悲劇」に、それに関して詳しく書いています。
この本を準備していたときの参考資料に、それが記載されていたからです。

二人の暗殺説もあったけれど、いろいろな資料から心中だと判断して、そのように書いたので、今回、彼女直筆の遺書が見つかって、
やはりそうだったのかと感慨が一層深まります。
木立の中のマイヤーリンクの館。
左後は悲劇が起きた当時のままの

貴重な一角。

今回銀行から見つかったということは、
いったん明らかにされた遺書は、その後書類入れに入れられ銀行に保管されていたということになる。
それはマリーの家族の依頼だったのだろうか。
その点は発表されていないが、ミステリーとされていた歴史上の悲劇に関する書類が見つかったことは重要だ。

さらに詳しく知りたい人は、上記の私の本を参考にしてください。皇太子とマリーが最後のひとときを過ごしたマイヤーリンクの館も訪問して、しっかり調べて書いた本です。今このようにブログに書いていると、あのときの感動が蘇って再度行きたくなってしまう。

歴史はやはり面白い。

2015年8月5日

アドリア海 3

世界でもっとも美しいと
称えられているコトル湾

スイスの湖畔のような風景が続くモンテネグロ。フィヨルドは北欧についで大きいそうで、確かに迫力がある。

モンテネグロのハイライトのコトル湾は、世界でもっとも美しいと語られているだけに、限りなく透明な水と、風光明媚な景観に言葉を失う。


「岩礁の聖母アリア」のイコンのために
造った島と教会。




その湾に面したコトルの町は、中世に栄えた歴史を伝えるユネスコの世界遺産。城壁に囲まれた町の中央に、12世紀のロマネスク様式の大聖堂が残っている。その後方の小高い山の中腹や頂上に、家や教会が点在している。
              
美しい物語を秘めた「岩礁のマリア像」を見るために、コトル湾に面したペラストから船で小さな島に向う。

15世紀に、二人の猟師
アーチがいくつもあるブドヴァの
旧市街。
が岩礁で聖母マリア像が描かれたイコンを見つけ、それを保管するために、自分たちで岩や石で島を造り、その上に建築した教会。信仰心が生んだ現実離れした水の中の教会は、やはり感動的。そこまでの水の青さもまた格別で、心身が清められる思い。聖母マリアのイコンを飾った祭壇、壁と天井に描かれた宗教画がすばらしい。

ブドヴァンスカ・リヴィエラと呼ばれるブドヴァは、モンテネグロ最大の観光地。行き交う人もさり気ないお洒落をしていて、10年ほど前の南仏のサントロペのような雰囲気。きれいな砂丘が続き、レストランのインテリアも味も最高。旧市街も可愛らしい。
いつかここで長いヴァカンスをのんびり過ごしたい。

2015年8月3日

アドリア海 2

マルコ・ポーロの生家

アドリア海にはクルージングがよく似合う。
これだけ澄み切った青を目の前にしたら、誰でも船に乗ってその真っ只中に行きたくなるもの。

そういえば、ココ・シャネルもイギリスのウェストミンスター公爵の豪華なヨットで、アドリア海の旅を楽しんでいた、などと、比べものにもならない船に乗りながら考えたりするのもいいもの。

海は誰にも青い色を見せてくれるし、顔をなでてくれる風も誰にも平等。
やはり海はいい。

マルコ・ポーロの生家の最上階から、
アドリア海が手に取るように見える。





飛び切り上質な青を漂わせるアドリア海には、いくつも島が点在している。その中に、コルチュラ島がある。マルコ・ポーロの生誕地だという。それを聞いて、行きたくならないわけがない。

細長いコルチュラ島は12世紀ころにヴェネティアに合併され、マルコ・ポーロは13世紀に生まれたから、ヴェネティア生まれと思っている人もいるようだけど、コルチュラ島生まれという説の方がが強い。
階段と坂が多い。

実際には彼が生まれた年さえも明確ではないようだから、生誕地がコルチュラ島だと断言できないかもしれない。けれどもマルコ・ポーロが生まれた家が残っている。
階段ばかりの塔のような建物で、その最上階から見えるアドリア海が格別。

海には、その向こうに何があるかと夢を抱かせる魔力がある。
広ければ広いほど、その夢は大きい。

この島にはアイスクリームの店がとても多い。
そのレシピを中国からヨーロッパに紹介したのはマルコ・ポーロだと、看板があちこちに立っている。イケメンの彼の顔も描かれていて、それを見ながら食べると一味違ういいお味。
暑さもあるけれど、あまりの美味に何度も買い求め、マルコ・ポーロの生誕地はやはりこの島だと、わけのわからない結論を下しました。
島のあちらこちらで見かける
マルコ・ポロのポスター

2015年8月1日

アドリア海 本物の青が目と心に沁みる 1

限りなく青いアドリア海
城壁がドゥブロブニク旧市街を囲んでいる。
パリから3時間足らず。
そこは澄み切ったブルーの世界。
どこまでもどこまでも混じりけのない青が続いている。
そう、青しかない。
そうしたアドリア海には白い帆の船が良く似合う。実際にたくさんのヨットが行き交っている。

イタリア半島とバルカン半島の間のアドリア海に面した国のひとつはクロアチア。
その中でもっとも美しいのが「アドリア海の真珠」と呼ばれるドゥブロブニク。
ピカピカ光る敷石が続いている。
さすがに観光客が多い。私もそのひとり。

15~16世紀の建造物が多く残っていて、
決して大きな街ではないけれど、見るべきものが豊富。

国民は親切で愛想がよく、朗らかなのがいい。食べ物は安くて量があり、イタリアンがほとんどなので口に合う。

城壁内の旧市街は乗り物はなく、徒歩。
まるで今磨き上げたかのようにピカピカの敷石が目にまぶしい。何世紀にも及ぶ人々の歩みが生んだ輝きかと思うと、どの石も貴重に見えてくる。

屋根瓦はオレンジ色で統一されていて、
強い日差しとマッチしている。
城壁やモニュメントの入り口には、中世の服装の衛兵がいる。
それがこの街に独特な雰囲気をかもし出している。

ヴェネツィア主権の下に入ったり、ナポレオンの時代にフランス支配下に置かれ、その後オーストリア=ハンガリー帝国に所属した歴史があり、それが特有の街並みを作っている。
パリから飛行機でわずか3時間の地に、このような世界が生きているとは信じがたい。

中世の服装の衛兵や商人がいて、身知らぬ時代に飛び込んだみたい。