2018年4月21日

ストライキ、デモ、真夏の暑さ

このところ、アツさがフランス全土をおおっています。
大学入学の改正案に反対する学生たちが、大学を占拠しているかと思うと、
国鉄雇用条件変更案に対して、労働組合がストを決行。

それが奇妙なストで、2日間列車運航を最低限に抑え、それに続く3日間はほぼ通常運行にし、そのあとまた2日間スト、そして3日間は通常を繰り返し、6月末まで続くのです。

それに便乗するように、エール・フランスのパイロットも賃金値上げを要求してスト。
ヨーロッパの他の国と比べエール・フランスのパイロットは飛行時間が短く、手当は一番いいのにストライキなのです。

それに加えて29度の真夏の暑さ。公害もひどい。
しかも原稿が3つも重なって、フーフー言っている毎日。

こうしたときの慰めは、お気に入りのぬいぐるみのアザちゃんに話しかけり、キレイなお花を見ること。

精神にいい栄養を与えてくれるお花は大好きで、
日常生活にかかせない存在。

動物のぬいぐるみはいくつもあるけれど、
このアザちゃんが一番好き。

つぶらな瞳で一日中見つめてくれるアザちゃん。
その澄んだひとみを見るだけで、疲れが一気に遠のきます。

今、激動を生きているフランスですが、マクロン大統領は2時間以上に及ぶジャーナリストの辛辣な質問にテキパキと答えたり、危険や罵倒が待ち構えているのをを知っていながら、ストライキで殺気立っている人々の目前に姿を現し、自分には信念があるのだと明言したりしています。

才知、勇気、決断力、実行力がある人です。
マクロンはやはり国の指導者にふさわしい。

国際的にも評価されているようで、イギリスのEU離脱後、イギリスからフランスに移る金融関係の会社が多いそう。

いろいろあるけれど、フランスには明るい未来がありそう。

2018年4月20日

パリの犬たち 166

いつだって、こうなんだから。
リードをつけてくれたから、
お外に行けるとはしゃいでいたら、
急に、歩道の棒に結ばれて、自由がきかない。

「ファーマシーにはキミは入れないから、
ここで待っているのよ」
とママン。

すぐに戻るといっていたのに、その「すぐ」が長~い。
だんだん心細くなる。

けっこう気が弱いのよ。
こうなったら大声で叫ぶほかない。
ワン、ワ~ン、ワぁン、ワぁ~~ン。

それにもかかわらず、一向に姿を見せないママン。
絶望感に打ちひしがれる、かわいそうなワタシ。

2018年4月16日

春、チューリップ 鳥・・・ 

春らしい気候に誘われて、お出かけ。
楽しい光景がいっぱい。
やはり、春はいい。

春カラーがあふれるウィンドウ。
見ているだけで幸せ。
チューリップが満開。
童謡が浮かびます。そう、あの歌。
「咲いた咲いた、チューリップの花が・・・」

この歌をうたっていたのが、つい数年前のように思えます。
チューリップが愛らしいから?
この花を見るたびに子供のころが蘇るから不思議です。
いつステキな出会いがあるかもしれない。
鳥さんが心を込めて毛の手入れ。

どこもかしこもお花がいっぱい。
平和な時間が流れます。
鳥さんたちと人の和やかな交流。
世界中で見たい光景。

2018年4月15日

メトロの駅名は語る 80

Pont Neuf
ポン・ヌフ(7号線)

「新しい橋」という意味のポン・ヌフですが、実は現存するパリ最古の橋。
当時は確かに色々な意味で新しい橋でした。

現存するパリ最古の橋、ポンヌフ。

歩道が設置された最初の橋であり、
セーヌ川の右岸と左岸をつなぐ最初の石造りの橋であり、
それ以前の橋のように、住居を建築しなかった最初の橋。

このように、新しい橋と呼ばれた理由がいくつかあります。

橋の建築を命じたのは国王アンリ3世で、1578年5月31日、国王自ら建築用の石を置いています。国王の母、カトリーヌ・ド・メディシスも息子に連れ添っていました。

橋の建築は、次の国王アンリ4世の時代にも引き継がれます。

新しい試みは、それ以前の橋のように家屋を建てないことと、通行人を守るために歩道を設けたことでした。この橋がセーヌ川の左岸と右岸をつなぐ、最初の石造りの橋でした。

橋の歩道の上の半円形の突き出した部分に、
屋根付きの店舗が置かれました。

店舗はその後、撤去されましたが、
半円形の突き出した部分は今でも残っていて、
そこからのセーヌ川の眺めはすばらしい。

住むための家は造らなかったとはいえ、今でも残っている半円形の張り出し部分に、店舗がありました。

食料品、雑誌や本、オブジェなどを売る屋外の店舗は大変な人気を呼び、パリっ子のお気に入りの場になります。

店舗は時代と共に撤去され、最後のブティックが姿を消したのは1854年とされています。

橋には給水塔があり、それ自体が立派な建造物でした。


右岸に近いところに給水塔がありました。
塔には、井戸のほとりで語り合う、イエスとサマリア女性のレリーフが描かれていました。そのために「サマリテーヌの噴水」と呼ばれていました。


井戸をはさんで語り合う
イエス・キリストとサマリア女性の
美しいレリーフがある給水塔。

聖書によるとその物語は・・・

ユダヤからガリラヤに行く途中、
イエスはサマリアの「ヤコブの井戸」の傍で休息します。

そうしている間にサマリアの女性が水をくむために、
井戸に近づきます。

その姿を見たイエスは「水を飲ませてください」と語りかけます。
ユダヤ人とサマリア人の間に交流がなかったので、女性は警戒します。

けれども、イエスと話をしているうちに、
もしかしたらこの人が、
もうじき訪れると噂されて救い主、キリストではないかと思います。

女性がサマリア人たちに語ると、
イエスに会うために多くの人が集まり、話に耳を傾け、
この人こそキリストだと彼の教えに信仰を抱くようになったのです。

サマリア女性はフランス語でサマリテーヌ。給水塔があった近くの右岸に、後にデパートが誕生し、サマリテーヌと名付けています。

ポン・ヌフを完成させたアンリ4世は、それから間もない1610年に暗殺されます。それを悼んだ王妃マリー・ド・メディシスは、1614年、橋の中央に亡き国王の青銅の騎馬像を設置させます。


ポン・ヌフ中央のアンリ4世の騎馬像。
公共広場に最初に造られた国王の像です。

ブルボン王朝を築いた偉大な国王の像を見るために、
人々はひっきりなしに集まり、
祭典を催すこともありました。1788年。

やがてフランスは革命に荒らされ、1792年、ポン・ヌフの騎馬像も破壊されてしまいます。

その後王政復古で王座に就いたルイ18世が、1818年、新たに偉大な先祖の騎馬像を造らせます。

1818年8月25日、ルイ18世列席のもとに、
アンリ4世の新しい騎馬像を祝うセレモニーが行われました。

現在見られる青銅の騎馬像は、このときのものです。

2018年4月11日

メトロの駅名は語る 79

Pyramides
ピラミッド(7、14号線)

ナポレオン・ボナパルト将軍の「ピラミッドの戦い」を記念する名です。

インドとの交易をしていた宿敵イギリスに打撃を与えるために、その通り道のエジプトを手中に治めようとエジプト遠征を決行したのは、ナポレオンが皇帝になる前のボナパルト将軍の時代でした。

当時のアレクサンドリア港。
イギリス艦隊が見張っている地中海を無事に渡り、オスマン帝国の支配下にあったエジプトのアレクサンドリア港に上陸したのは、1798年7月1日。

現地のマムルーク軍相手に激戦を繰り広げながら、カイロ近くに到着。
そこから遠くにあるピラミッドを目にとめると、ボナパルト将軍は兵士たちを鼓舞するために、歴史に残る言葉を発します。

「兵士たちよ、あの頂上から4000年の歴史が諸君を見下ろしているのだ」

遠くに見えるピラミッドを示しながら、
兵士たちに勇気を奮い立たせる言葉を発する、若干29歳のボナパルト将軍。

7月21日、カイロ近郊で大勝利を得たボナパルト将軍は、この戦いを自ら「ピラミッドの戦い」と名付けます。

カイロを誇らしげに歩くナポレオン・ボナパルト。
実際にはピラミッドは、はるか彼方に見えていただけでしたが、さすが幼いころから英雄伝を読んでいたナポレオンだけあって、言葉選びが抜きん出ています。

たしかに「カイロの戦い」とせず、「ピラミッドの戦い」とする方が、はるかに印象的です。

彼は、人の心を捉える有力な話術を持っていた、稀に見る人物でした。

2018年4月8日

パリの犬たち 165

ああ、やっと春になったワン。

うれしい、ウレシイ、春になりました。
ダウンコートとはもうお別れ。

雪が積もったり、何日も何日も雨がふって、洪水騒ぎもあったりで、
神経が疲れる冬だったわ。

でも、それもおしまい。
太陽が顔を出してくれて、ワタシもルンルン気分でお散歩。
こんなにたくさんの幸せを感じるのは、
ほんとうに久しぶり。

太陽バンザイ、
春バンザ~イ。

2018年4月5日

パリの犬たち 164


モデルになったみたい。
あッ! カメラをむけているけれど、
もしかして、ワタシのお写真をとるの?
「パパ、どうしたらいいの?」
「よさそうな人だから、いいお顔してポーズしたら」

はーい
では最高のすまし顔で。
「ねぇ、どうだった? いいお顔していた?」
「パーフェクトだったよ」