2017年1月30日

パリが中国化?

もう、びっくりしました。
シベリア寒波から解放され、久しぶりにゆったりした気分で歩いていたら、ナンと突然、中国風装飾が目の前に出現。そうです、中国特有の赤と提灯の飾りです。

パリの目抜き通りに、突然、中国の飾りが登場。
それが、またまたナンと、サントノレ通りに高々と飾られていて、遠くからでもバッチリ見える。近寄ると中国語とフランス語で、「新年おめでとう」と書いてある。

しかも、その直ぐ隣のブティックのショーウインドウには、中国を象徴するドラゴンのモチーフのお洋服まである。

中国のシンボル、ドラゴンのモチーフの服がショーウインドウに。
これを見ると、中国のすごさがよくわかります。フランスにとっても中国は、大変重要な国なのです。日本語以上に中国語を学ぶ学生が多いフランス。これが現実。 だから、日本風お正月のお祝いはしなくても、中国風のは街をあげてするのです。

中国の今年の春節は1月28日で、1月27日から2月2日まで休日が続くそうです。
13区の中国人街では、盛大なお祭りが毎年催され、大きなニュースになっているパリです。

2017年1月28日

パリの犬たち 113

バーゲンのときはとっても疲れる。
バーゲンがあるたびに大騒ぎするママン。
ワタシは別に行きたくないのに、むりやり連れていかれる。

あっちのお店こっちのお店であれこれ見て、そのたびに
「わ、ステキッ!」
すぐ買うからお荷物はふえるばかり。

歩きつかれたけれど、
ママンの手がふさがっているから、だっこもしてもらえない。
バーゲンの日はワタシの受難の日なの。

でも、もうじきそれもおしまい。
よかった!!

2017年1月27日

高級なジュエリーに心を奪われた日

毎年1月と7月のオートクチュールウィークには、ファッションだけでなく、ハイジュエリーのニューコレクション発表もあり、ひときわの華やぎを四方に放つパリ。

ブシュロンのアイビーをテーマとしたゴージャスなネックレス。
こうした夢のようなジュエリーを見ていると、例年にない寒波も気にならない。それが女性というもの。

シャンデリアが輝く階上のサロンの壁には、
今回のジュエリーテーマのアイビーが飾られ、自然の中にいるようです。
皆、コートの襟を立てながら、足早に数件のジュエリー店を回り、ニューコレクションにため息をつく。かつて豪奢な邸宅だったブティックの上階で、ドリンクとおつまみのサーヴィスを受けながら、ハイジュエリーを目の前て観賞するのは、ほんとうに心地よい。

ショーメのメインテーマはリボン。
ホワイトダイヤモンドとピンクダイヤモンドが微妙に絡み合う、
アシンメトリーなデザインが限りなくコンテンポラリーで、躍動的。
宝石が放つキラメキは体の奥深くまで届き、刹那的ながら、自分がいつもより高級になったような錯覚に浸れる。

「ピアノの詩人」ショパンが暮らし生涯を閉じた部屋かと思うと、
感慨もひとしお。ナポレオン皇帝ご用達だったショーメならではのサロンです。
これって、精神にとてもいいと思う。 精神にいいことがあれば、体にもいい影響を与えると信じ、こうしたお誘いにいそいそとこまめに顔を出すのです。、

2017年1月24日

ディオール主催、華麗な仮面舞踏会

仮面舞踏会会場のロダン美術館。
その外壁のライトアップが、未知の世界への期待感を膨らませます。
ディオールのオート・クチュールのショーが行われた1月23日夜遅く、仮面舞踏会が催されました。22時から翌朝2時まで続く仮面舞踏会の会場となったのは、ショーと同じロダン美術館内庭。

美術館のエントランスから内庭に設置した特別会場までは、
芝生が続きます。
その両サイドにキャンドルが灯され、
一角獣に扮した本物の馬たちが黒いマント、黒い仮面の男性と勢揃い。

ヴェネティアで発祥した仮面舞踏会は、身分を隠して楽しめるので、17世紀、18世紀のヨーロッパ宮廷でもてはやされていました。人生を楽しむことに才知を発揮するフランスでは、貴族も競うようにオーガナイズしていました。

植木で作った迷路を通り会場内に入ろうとすると、
見上げるばかりに背が高いピエロさんが、
こちらからどうぞと手招きしてくれる。
仮面舞踏会というと、フランス王妃マリー・アントワネットとスウェーデンの名門貴族フェルセンの出会いがすぐに浮かびます。こうした歴史上のロマンティックな出来事もあったために、期待で心が弾むのも無理ないこと。

一歩中に入ると、皆、歓声をあげます。
幻想的な世界が目の前に展開するからです。
イケメンのガルソンからシャンパーニュを受け取り、
身も心も弾ませながら奥へと進む。
インヴィテーションに「ソワレの装いで」と書いてあるからには、やはりそれなりの仕度をしなければ。お面を被るからメーキャップ とヘアは簡単でいい。問題は連日マイナスの寒い気温の中、仮面舞踏会にふさわしいドレスを選ぶこと。

深い森の祭典に招かれたような雰囲気の中に、
かつての宮廷の食卓のようなビュッフェセッティング。
きらびやかで目眩が起きそう。
通常、ソワレには薄い布地の服を着るけれど、この寒さには合わない。
あれこれ考えて選んだのが、黒いラメのドレスの上にキルティングを施してあるちょっと派手な色のジャケット。これで一応「ソワレの装い」らしくなりホッと安堵のため息。
このように女性はいつも服装で頭を悩ますのです。

ソワレにはブラックドレスが人気。
仮面をつけた着飾った女性、タキシードの男性。
会場の装飾とよく似合います。
まるで映画の一場面を見るよう。

舞踏会にふさわしい豪華なドレスのマヌカンが、
随所でムードを盛り上げます。
会場に着くと、黒服に身を固めた美しい青年が勢ぞろいでにこやかにお出迎え。しかも礼儀正しく親切。
中央に向かっていくと、高い天井からツタのように種々様々な植物が、ライトの中に浮かびながら 詩情あふれる空間を作っている。一瞬、パリにいることを忘れるほど素晴らしい。
私たちも負けずに華やぎを散りばめました。
軽快なミュージックが途切れることなく流れ、それに合わせて体を揺らせながら、談笑をエンジョイする思い思いの服装と仮面の招待客。
着飾ってお面をつけ、異なった人になって思いっきり楽しめ仮面舞踏会は、パリのソワレにぴったりです。

2017年1月23日

パリの犬たち 112

あたらしいファーストレディーと同じ装い。
アメリカ大統領のメラニア夫人が就任式で着ていた淡いブルーのお洋服、
とってもステキで大評判。
おしゃれに敏感なワタシも、さっそく同じようなブルーのコート。
でもハイヒールをはかないワタシの足は
冷たい道路に悲鳴をあげる。
ママンが気をきかせてフカフカのバッグに入れてくれたお陰で、
おしゃれを楽しみながらお散歩できるの。


2017年1月22日

寒くても、おいしいレストランには行く

これほど長く寒い日が続くのは珍しいパリ。
できるだけ外に出ないですむように、食料品もたっぷり買いだめして、これで数日間は大丈夫、と思っていたら、賢三さんからお電話。

賢三さんとのお食事はいつもカウンター。
「TOYO に行かない?」
と誘われれ、断ることなど絶対にしない。
寒さが一気に飛んでいって、いそいそと仕度する。
その間にも心が弾んで一刻も早くと寒空の下に出る。

レストランに着くと、ナンとまあ、この寒さに打ち勝ってディナーに来ている人の多いこと。満席なのです。

寒さで凍ったような表情が、一歩店内に入ると笑顔に変る。
美味を味わうためには、マメなのですね。嬉しいのですね。

ホタテ、ウニ、ミョウガの絶品。
ミョウガはフランスにないので、日本からのお取り寄せ。


ラングスティーヌとクレソン。
器も凝っています。

鍋料理もご覧の通りおしゃれ。
2回もおかわり。


抹茶をアーティスティックに散りばめた
お気に入りのバニラアイスとあずきのデザート。
あまりのおいしさにおかわり。

温かい逸品が次々と出てきて、幸せ度最高。
賢三さんとご一緒だと、メニューは見ない。
黙っていてもシェフの中山クンが、好みと季節に合ったお料理を作ってくださるのです。

だから心も体も元気いっぱいになります。
寒くてもまた行きたい。

2017年1月19日

メトロの駅名は語る 22

Quatre septembre 
キャトル・セプタンブル (3号線)
 
皇帝ナポレオン3世。
この駅名は日付を表していて「9月4日」という意味です。1870年9月4日、共和国宣言がなされたのです。それまではナポレオン三世が治める第二帝政でした。

セダンで捕虜になったナポレオン3世。
ところがドイツとの戦い、普仏戦争最中の1870年9月2日、ドイツ国境近くのセダンでフランスは敗れ、皇帝はそこで捕虜になります。

1870年9月4日、
パリ市庁舎で共和国宣言をする議員レオン・ガンベッタ。
それを知ったパリで共和制樹立の運動おき、9月4日、議員レオン・ガンベッタが共和国宣言をします。この重要な日をオペラ座近くの道路名とし、メトロも同じ名が付けられたのです。

2017年1月18日

寒い冬を過ごす鳥たち

毎日トップニュ-スは、寒さに震えるフランスをはじめとするヨーロッパの様子。
映像を見ているだけで震えてしまう。シベリアの寒波におそわれているそうです。

人がまばらな公園。
朝だけでなく、午後もマイナスという予報を見て、これは大変と食料品をたくさん買ってくる私。そういう日には外に出ないで、冬ごもりしたいからです。

餌がもらえるかと、期待に胸を膨らませてよってくるカモたち。
何もなくてごめんネ。心が痛みました。
でも、ちょっと心配になって公園の鳥たちはどうしているか見に行ったら、案の定、人がいなくて寂しそう。
池に近寄ると、カモたちが餌をもらえるのかと、先を争ってよってくるではないですか。ああ、何か持ってくるべきだったとすごく後悔。

木には葉がないし、お花も咲いていない。人間もいない。
どうしてだろう、と哲学者みたいな表情のカモメさん。
今度はパンをいっぱい持ってくるからね、と一応言ったけれど、理解しなかったのか、信用しなかったのか、無視してスイスイと行ってしまいました。

こういう気候のとき、彼らはどのように飢えと寒さから身を守るのでしょうね。
気になるからまた行ってみようかな、パンを持って。

2017年1月17日

パリの犬たち 111

冬の寒さにも負けず・・・
ボクたちとっても強いから、
コートも着ないでドッグシッターとジョッギング。

体をきたえることが大切だワン。
ものごと、気の持ちようで変わるから、
「寒くない」と心で強くおもうと寒くない。
こころがけて、ネ。


2017年1月16日

プティ・トリアノンでの出会い

非常に寒いパリ。
その中を、気温がパリよりさらに低いヴェルサイユ宮殿へ。
午後のすいている時間を選んで行ったかいがあり、わりとゆったり見学。

この宮殿も変わらないようで変わっているのにびっくり。
修復工事がいろいろな箇所で行われていて、ルイ14世の怒りにふれないか心配なほど。

プティ・トリアノン庭園内にある「愛の神殿」
せっかくだからと、プティ・トリアノンまで足をのばし庭園も散策。
「愛の神殿」に近寄ったそのとき、なにやら雑草の中で動くものが。

「君の名は」
「ヌートリアだよ」
目をしっかり開けてみると、大きなネズミのような色と姿の動物がいる。落ち着きなさも似ている。でも、結構大きい。
「君の名は?」
と聞いても返事がない。
あたりに不審者がいないかキョロキョロ見回しながら、食べてばかりいる。

手前の小川ではカモたちが優雅に泳ぎます。
ツーリストも「愛の神殿」どころではなくなって、ひたすら彼を見て写真を撮る。
これほどの人気者が一体何者か知りたくて仕方ない私は、ついにフランス人に聞いてみる。
またたく間に謎は解明。
「ヌートリアといって、ネズミの一種です」
博学なフランス女性から教わりました。

プティ・トリアノンのマリー・アントワネットの寝室から、
ロマンティックな「愛の神殿が」見えます。
王妃はどんな思いでこの神殿を見ていたのでしょう。
世の中にはいろいろな生き物がいるのですね。
でも、まさか プティ・トリアノンの庭園でヌートリアに出会えるなんて思ってもみなかった。
調べてみると、水辺に生息し、泳ぎが上手で草や野菜を食べるそう。
大きいのは50cmもある。畑を荒らす悪さがあるようだけど、初めて見るヌートリアはとてもかわいかった。

大発見があった日でした。

2017年1月15日

大使公邸で新年賀詞交換会

門松に思わず心が引き締まります。
新しい年を迎えて一番の楽しみは、大使公邸での新年賀詞交換会。
入り口には門松が飾られていて、日本特有のおもてなしが心にしみます。

木寺大使ご夫妻がエントランスの両サイドで迎えてくださり、まず、新年のご挨拶。
おふたりの温かい微笑みに、外の異常な寒さを一気に忘れます。

木寺昌人大使が、
日本語とフランス語で新年のご挨拶を述べられました。
生け花があちらこちらに飾られていて、その周りでドリンクを片手に新年の挨拶の声が交わされます。
しばらくして木寺昌人大使が金屏風の前に立たれ、
日本語とフランス語で新年のお言葉。
その後、鏡開き、カンパイ、そしてお雑煮を含む種類豊富で美味のおせち料理。

女性が3人揃うとやはり華やかですね。
チャーミング極まりない玲子さん(左)と梨紗さん(右)。
私は若いお二人の引き立て役。
再会を喜び顔がほころび、話が弾んで誰もがその場を去りがたく、予定時間をオーバー。
輝きある年であることを願いながら別れを惜しみました。

2017年1月14日

メトロの駅名は語る 21

Opéra
オペラ (3,7,8号線

第三共和制の時代に完成したオペラ座。
着飾った紳士淑女により、
さらなるきらめきを放っていました。
パリの名所オペラ座は外も中も絢爛豪華で、これぞパリといった印象を受ける人が多いようです。
正面入り口から中に入ると、大理石の幅広い階段が目の前に見え、
それをのぼっていくに従って高揚感が増し、自分が価値ある人になったような喜びを与えるオペラ座。

この殿堂の建築を命じたのはナポレオン三世皇帝ですが、彼はその後失脚し、ロンドンに亡命。完成を見ずにその地で世を去ります。

1875年に完成し、
落成式はマクマオン大統領列席のもとにおこなわれました。
建築開始は1862年7月21日で第二帝政時代、完成は1875年1月5日で第三共和制時代。その間に普仏戦争もあり工事が中断され、10年以上の年月を必要としました。

このオペラ座の前にあるのがオペラ広場。多少離れた場所に造られました。
というのは、壮麗なオペラ座の全景をじっくり見るのに、その方がふさわしいと考えられたため。

メトロ3号線の工事が始まりました。
1904年、メトロ3号線がオペラ座近くを通ることになり、その入り口をどうするか論議がなされます。
当時はアール・ヌーヴォーの時代。 その巨匠といわれるエクートル・ギマールが大活躍し、今でも数箇所に残っているメトロの入り口を随所につくります。

オペラ座の美観をそこねないよう、
メトロの入り口は背が低くシンプル。1904年、メトロ開通の年の写真。
当然、オペラ駅にも同じようにアール・ヌーヴォーの入り口をと案が出されます。
けれども
「ネオ・バロックのオペラ座と調和がとれない
ギマールのメトロ入り口は背が高すぎて、せっかくの殿堂が損なわれる

ギマールが生み出したメトロの入り口。
背が高いのでオペラ座の前にこの入り口をつくったら、
華麗な全景を損ないます。
このような判断が下され、現在見られるような背が低く控えめなものとなり、遠くからでもオペラ座の全景が見れるのです。
たしかに、ここの主役はオペラ劇場で、メトロの駅ではない。
さすが、都市の美観に才知を発揮するパリジャン。学ぶべきことです。 

2017年1月10日

メトロの駅名は語る 20

Havre-Caumartin
アーヴル-コマルタン (3,9号線)

オスマン通りに面したデパート、オ・プランタンに行く人が主に利用するこの駅は、
二つの名前からなっています。「アーヴル」と「コマルタン」です。 
「アーヴルはノルマンディー地方の港ル・アーヴルのことで、「コマルタンは旧体制の有力な貴族の名前です。

1847年、
ルアンからル・アーヴルまでの鉄道開設を祝うセレモニーが行われました。
パリのサン・ラザール駅からノルマンディーのルアンまでは、19世紀初頭にすでに鉄道で行くことが出来ました。

1847年のル・アーヴルの駅。
ルアンからその先にある港ル・アーヴルまで鉄道をのばせば、貨物の輸送も速くおこなえるし、パリ市民がル・アーヴルまで気軽に行って休暇を楽しむことも出来る。
この案が実現されたのは1847年。これによってサン・ラザールからル・アーヴルまでの228キロメートルの長い鉄道が生まれました。

これにちなんでサン・ラザール駅前の道路がリュー・デュ・アーヴル(アーヴル通り)と名づけられ、その近くのメトロなのでアーヴルの名が選ばれたのです。

それに平行する道路は、コマルタンという貴族の命令で1780年に造られたコマルタン通りだったために、アーヴルと一緒になってこの駅名が生まれました。

邸宅が多かったコマルタン通り。
自分の名を冠した道路を造らせたコマルタンは、侯爵と伯爵の称号を持ち、革命前にパリ市長を務めたこともある有力者でした。コマルタン通りは邸宅がいくつも並ぶ瀟洒な通りで、ミラボーや文豪スタンダールが暮らしていたこともありました。

今でも良き時代の面影が随所に残っています。
現在はさまざまなブティックが並び庶民的な雰囲気がある道路ですが、良き時代の建物の装飾がホテルの外壁などに残っています。   

2017年1月9日

パリの犬たち 110


ボクたち、同じファミリーか・・・
「キミ、ずいぶん脚が開いているネ」
「まッ、ずいぶん失礼ネッ」



♪そういうキミの脚もずいぶん開いているわヨ~♪
「そうかなぁ~」
「そういわれてよく見ると、そうね」
「じゃ、ボクたち同じ仲間なんだ」
「そうなのね。同じファミリーなの」
「だったら仲良くしよう」





2017年1月7日

寒すぎるパリ


「冬は冬のおしゃれが楽しめていいわ」
などと優雅に言っている場合ではないパリ、メチャメチャに寒い。

ダウンコート、帽子、ブーツ、手袋。中はもちろん、ユニクロのヒートテック。
それでも寒い。骨の中まで差し込むように寒い。
マフラーで口と鼻をおさえて、冷たい空気から身を守らなければならない。

とてもとても寒いパリ。
フランス人はマスクをしない国民。マフラーはその代わりになるのです。
マスクはいかにも実用品といった感じがするけれど、マフラーはおしゃれ。

こうした日には家から出ないのが私の主義。前もって気温を調べ、寒い日にはショッピングをしないですむように計画します。
でも、お勤めの人はお出かけになるのだから、尊敬します。

予報ではこの寒さが数日続くみたい。
インフルエンザもあるし、皆様お気をつけてくださいね。

2017年1月6日

ガレット・デ・ロワの日

1月6日は東方の三博士がキリストに会いに行き拝んだ日で、公現節と呼ばれます。
この日に家族で切り分けていただくガレットは、諸王のガレットという意味の
「ガレット・デ・ロワ」で、実際には三博士を意味します。

キリスト誕生を祝うために、
東方の3人の博士が
彼の生誕地のベツレヘムに駆けつけました。
長い間待ち望んでいた世の救い主であるキリストがベツレヘムで生まれたと聞いて、三人の賢人がそれぞれ贈答品を持ってお祝いに行きます。

若者を現す「黄金」、壮年を現す「乳香」、老人を現す「没薬」が、彼らからキリストへの贈り物でした。

この記念すべき日をお祝いし、ガレットを切り分けていただく当初の目的は、貧しい人々に分け与える神からの、あるいは、聖母マリアからの贈り物だったといわれています。

華やかに1月6日を祝う
富裕階級の人々。
14世紀のブルボン公は慈善を示すために、1月6日にもっとも貧しい子供を選び、その日限りの王にして冠をかぶせ、豪華な装いをさせ、ご馳走をたっぷり食べさせました。

農民たちは家族そろってテーブルを囲み、
つつましくガレット・デ・ロワを分かち合います。
宮廷生活のすべてに厳かな儀式を義務づけていた国王ルイ14世も、食卓でガレットを会食者と分けて口にしたと記録が残っています。

やがて革命がおき、食べものに事欠く時代を迎え、貴重になった小麦粉はパンを作るためのみに使われ、ガレットどころではなくなります。一時期にはガレット・デ・ロワの廃止も考えられましたが、結局、ほそぼそながら生き延びます。

ソラマメ、フランス語でフェーヴ。
たしかに胎児に似ていますね。
 ガレット・デ・ロワはパイのお菓子で、中にソラマメの形のフェーヴが入っていて、それが入っているのに当たった人は冠を被る権利があり、その日だけ王様、あるいは女王になれます。

 ソラマメは胎児の姿に似ているので、キリストの象徴としてガレットに入れたようです。昔は本物のソラマメを入れ、その後18世紀ころから陶器のフェーヴになりました。革命のときには、革命家たちの象徴の三角のフリジア帽がフェーヴになったのです。

名前も「ガレット・デ・ロワ」 の代わりに、自由のガレットという意味の「ガレット・ドゥ・ラ・リベルテ」などと呼んでいたこともあります。

店頭にずらりと並ぶガレット・デ・ロワ。
私が好きなのはアーモンド入り。軽いからいくらでも食べられます。
1月6日どころか、その前にも、その後にもいただいてしまうほど大好き。
現在、フェーヴの形は様々でコレクションしたいほど楽しいものばかり。こけしやキティちゃんもあるし、ミニカーやサンタクロース、ケーキもある。

お菓子が辿る歴史も長いものなのですね。