2021年2月24日

春のような気温

 10日ほど前までは寒波到来で寒さに震えていたパリなのに、何と、今は春のような暖かさ。今日のパリの最高気温は19度で4月半ばの気温。このまま春になってくれるといいけれど・・・でも、まだ2月だから、いつまた寒い日に戻るかわからない。天気予報ではウイークエンドの最低気温3、4度、最高気温10度らしい。

いいお天気だから、家の中にいたくニャイと、
太陽にあたりながら、路上で堂々とお昼寝するニャンちゃん。

お馴染みになったブランカちゃんも、窓にできるだけ近づいて日光浴。
最大に細い目がかわいい。やはりネコです。

こうした激しい気温の変化を経験するたびに、はっきりした区切りがある日本の四季が思い出されます。春、夏、秋、冬にそれぞれ自然の美しさを見せてくれる日本は、心から恵まれた国だと思います。それに比べるとフランスは気まぐれ。いつ、急減な気温変化があるかわからないから、日本のように衣替えもできない。

だから、ダウンコートや夏服が洋服ダンスで一年中隣同士になっている。このように、いつでも取り出せるようにしておくのは、とっても便利。ハンガーにかけてあるから、シワにもならず、アイロンかけも必要ない。ハンガーもできるだけ細いのにすると、場所をとらないので、たくさん並べられる。それと心がけているのは、一品ずつにビニール袋をすっぽりかけること。そうすると、ますますシワになりにくい。

春のような気温だから、当然、公園がにぎわっています。
関心なのは広い公園といえども、ほとんどの人がマスクをしていること。

日本は春を告げる梅の花の季節でしょうか。その後は桜ですね。
フランスはマロニエが咲くのを、皆、待っているのにまだまだ早い感じで、蕾さえもほとんど見えない。春のような好天気続きだというのに・・・・

2021年2月23日

高級フレンチのテイクアウトに長い列

日本、中華、韓国、ベトナムなど、アジア系レストランやイタリアンのテイクアウトは、ここ数か月大人気でいつも行列ですが、フレンチではそれほど多くの人が並んでいない。なのに、ある日、長い長い行列を見かけて驚きました。

すごい人気のラ・フォンテーヌ・ガイヨン。
時間がかかるのにおとなしく並ぶパリジャン、パリジェンヌ。
美食家が多いのですね。


そのフレンチ・レストランは2区の「ラ・フォンテーヌ・ガイヨン」。
2003年から人気俳優のジェラール・ドパルデューとキャロル・ブーケが共同経営者だったレストラン。それを2020年に買い取ったのは、パリや南仏に高級レストランを数件経営しているMOMAグループ。リニューアルして再オープンしたときには、結構話題になりました。

新しい「ラ・フォンテーヌ・ガイヨン」の主任シェフに選ばれたのは、マルク・ヴェイラ。スイス国境に近い場所にある、自分のレストラン「ラ・メゾン・デ・ボワ」で、ミシュラン三ツ星を保っていたのが、二つ星に格下げされ、激怒して抗議したシェフ。いつも大きな帽子を被っているのが特徴で、マスコミをにぎわしています。

「ラ・フォンテーヌ・ガイヨン」は経営者といい、スター的存在の確かな腕のシェフといい、話題に事欠かないレストランに加え、建物がまたすごい。ルイ13世の宰相リシュリューや、ルイ14世の娘マリー・アンヌ・ド・ブルボン=コンティが暮らしていたこともある、由緒ある旧邸宅なのです。1672年に建築され、その後何度か修復がされたとはいえ、邸宅だった時代の面影をしのぶことが出来ます。

王朝時代の裕福な邸宅の名残りが貴重です。
この噴水の原型は1707年に作られ、後年に手が加えられました。
レストランの外にあるテラスでまじかに見れます。
大理石に刻まれた彫刻の緻密さは必見。
好天の日にこの噴水を見ながらのランチは、いかにもパリらしい。


噴水の界隈がこのような時代もあったのです。
1848年のデッサン。

今はコロナでテイクアウトのみなので、レストランがオープンしたら、ぜひ行きたい。落ち着いたお洒落なインテリアも、海の幸のお料理が多いのも魅力です。噴水のあるテラスでのランチもゆっくり味わいたい。

その日が早く来てほしい💥

2021年2月21日

シャネル 一時的ブティックがラ・ぺ通りにオープン

 ヴァンドーム広場のシャネルのハイジュエリーのブティックが、リニューアル工事のためにクローズするので、その間、ラ・ぺ通りに一時期のみのブティックが設けられ、2月16日から営業しています。


オープンしたばかりのシャネルのジュエリー店。
15 rue de la Paix 75002 Paris

眩い輝きを放つダイヤモンドジュエリー。

限りなくフェミニンで、限りなくゴージャス。


この店舗はこじんまりしているけれど、ショーウインドウが多いので、中に入らなくても十分にシャネルの高貴なジュエリーと時計を見られます。 ヴァンドーム広場のブティックは、一見、敷居が高く感じられましたが、店内はさすがシャネルだけあって、隅々まで洗練を極めていました。すでに25年もの年月が経っていると知って、時の流れの速さに驚きます。

 ヴァンドーム広場のブティックの改装を行うのは、来年2022年は、ココ・シャネルが「ダイヤンド・ジュエリー」を発表して90年記念の年だからです。再オープンの時には、パリに再び華やぎを散りばめてほしいものです。今のパリにはパリらしさがなく、さみしい限り。

2021年2月14日

寒波におそわれて寒いパリ

 このところ約1週間ほど、マイナスの気温続きで寒いパリです。午前中だけでなく、午後でもさほど気温が上がらずマイナスの日もあり、ヒートテック、カシミアのセーター、ダウンコート、マフラー、厚手の帽子、レザーの手袋、ロングブーツでも、とっても寒い。

寒いから何度もお買い物に出かけるのはイヤ。
とはいえ、毎日の食事は欠かせないから、まとめ買いをする。
防寒具で身を守って、ショッピングカート、トートバッグ2つ持って
スーパーに行ってきま~す。


南仏は洪水で道路が川のようになり、小舟で行き来する地域もあり大変だし、パリでもセーヌ川が氾濫していて、河畔の木が水中からのびているように見えます。コロナに加えてこの異常気象。やはり、何かおかしい。


幸い池は凍っていないので、カモたちが元気に泳いでいます。
噴水のつららが芸術的で見とれます。

18時以降の外出禁止も解除されていないどころか、いつ3度目のロックダウン発表があっても不思議ではない。あれこれ心配事が多く、それから逃れたくて、2月の学校の冬休みに合わせて家族でどこか遠くに、と出かける人が多いようです。いつ何があるかわからないから、乗り物もホテルも直前に予約。とはいえ、ホテルといえどもレストランは営業できないので、ルームサーヴィスのみ。

それでも十分気分転換になる。このように不便ながらもヴァカンスを楽しんだ後は、仕事がはかどるもの。意外に思うかもしれないけれど、フランス人は結構仕事の効率がいいのです。

4,5日後には気温が上がって午後は14度くらいになるそう。数週間前には、アフリカのサハラ砂漠の赤い砂が風に乗ってフランスに舞い降りたし、今回の寒波はシベリアからわざわざ到来。と、いろいろ変化がある国です。

2021年2月13日

メトロの駅名は語る 164

Gaîté
ゲテ(13号線)

若者に人気があるモンパルナス地域にあり、劇場やレストラン、カフェなどが軒を並べ華やかさがあふれるゲテ通りが駅名の起源。「ゲテ」は華やか、喜び、陽気を意味します。
この界隈がパリの外だった時代の1784年から1790年まで、パリ市内に商品を持ち込むのに税金を支払う「関税徴収所」がありました。
その外であれば税金を払わないので、安い飲食店を経営できたのです。パリ近郊のゲテ通りにはそうした店が軒を並べ、そこに集まる人々をターゲットとして、ミュージック・ホールや劇場が次々に生まれ、文字通り楽しく陽気な地域となったのです。

ゴッホが1886年に描いたゲテ通りの居酒屋。

1833年に建築された、ゲテ通りでもっとも人気があったミル・コロンヌ。
レストラン、カフェ、バー、映画館などがあり連日大賑わいでした。

残念ながら当時大人気だったレストランや劇場は老朽化し、姿を消しましたが、良き時代の雰囲気は今でも保たれていて、ローコストのレストランや小規模の劇場などが多くの人に愛されています。カラフルな看板が多く楽し気で、住民も気さくで親しみ深いと評判です。

2021年2月12日

元気で長生きするフランス女性

フランス最高齢者であるばかりでなく、ヨーロッパ最高齢者でもあるシスター・アンドレが、2月11日に117歳のバースデイをお祝いし、話題になっています。現在は南仏のトゥーロンにある高齢者施設で暮らしていますが、驚くのはこの年齢でコロナを克服したこと。

2月11日に117歳を迎えた
シスター・アンドレ。AFP

シスター・アンドレがいる施設では80人ほどの人が感染し、多数の方が亡くなったのに、彼女は感染していることさえ自覚がなく、ちょっと疲れを感じたくらいだったとインタビューで答えていました。テレビの映像では、目と足が不自由のようでしたが、しっかりした言葉使いが深く印象に残っています。


122歳まで生きたジャンヌ・カルマン。
20歳ころの写真。


人類史上最高齢者のジャンヌ・カルマンもフランス人です。彼女が122歳まで生きた記録は今だに破られていませんが、こうなるとフランス女性が元気で長生きしていることが気になります。食生活がいいのか、お喋り好きが健康にいいのか、自分の軸を持っていて精神的自立をしているのがいいのかも知れない。確かにフランス女性は、自分をよく知っていて、自分の価値を自覚し、自信を持った言動を行う。

元気で長生きするファクターを定義付けることはできないけれど、見習えることは見習いたい。なので、ジャンヌ・カルマンは毎日たくさんのチョコレートを食べていたと知ると、それを真似して、連日、無農薬のカカオ85%のチョコレートを食べるし、ワインも欠かさなかったと知って飲むようにしたけれど、これは長続きしないで、途中でギブアップ。ワイン好きはシスター・アンドレも同じようです。やはり体にいいのでしょうね。毎日飲んでいると嬉しそうにインタビューで語っています。

シスター・アンドレの117歳のバースデイのメニューは・・・これがまたすごい。

オードブルはフォアグラ、メインはシャポン(最高級の去勢鶏)とセップ茸、デザートは、スポンジケーキの上にヴァニラアイスクリームをのせ、メレンゲで飾ったこってりしたお味のノルウェイ風オムレツ。これがシスターの好物だそう。ドリンクはポルトワイン。

さすが、美食の国フランスならでは。100歳を超えても人生を楽しんでいるのがうらやましい。ぜひあやかりたい。

2021年2月8日

ちょっと寂しいヴァレンタインデー 

 アムールの国フランスですが、コロナの影響でヴァレンタインデーの雰囲気がさっぱり盛り上がらない。それはそうです。18時以降外出禁止だし、レストランもバーも、皆、閉まっているので、愛の日をお祝いする気分になれないのです。例年、お洒落なレストランは早めに予約をしないと、席を確保できないほどの賑わいだというのに・・・

今年はおうちでお祝いする予定の人が53%もいるそうです。「それでは、その日のための特別メニューをお教えしましょう」と、数人の人気シェフがオリジナリティあるレシピを紹介。結構いい評判です。

そこまでしなくても、冷えたシャンパーニュ、生ガキ、ホタテ貝を焼いた一品、デザートがあれば十分という人も多い。キャンドルを灯してブーケを飾り、ステキなミュージックが流れていれば、ロマンティックなヴァレンタインデーになる。確かにそう。フランス人はこのように、不便な中でも、あるいはたとえお金を使わなくても、喜びを味わう工夫をするのに長けているし好きなようです。

チョコレート専門店の楽しそうな飾り。

ロマンティックなケーキ。見ているだけで心がとけそう

シャンパーニュやワインが美しく並んで、
愛の日の喜びを分かち合いたがっています。

ジュエリーをプレゼントする人も多いようで、
宝飾店もディスプレイに愛を込めています。

ヴァレンタインデーのプレゼントは統計によると、お花が一番多く、その次はジュエリー、3番目が香水。今年はどうなるでしょう。現実を見て質素になりそう。でも、一輪のバラも多く語るから、それだけでもいいように思える。

2021年2月6日

パリの犬たち 247

 明るい色のコートが好き

パリジェンヌは黒いお洋服が好きなの。
でもワタシは別。明るい色を着ていると心がウキウキ。

このブルーのコートは特にお気に入り。
雨にぬれないようにフードもついているし、
冬の寒さから脚を守るためにパンツも長いの。


着る物が心に及ぼす影響はとっても大きいんだって。
ワタシはお気に入りのコートで心が弾み、
雨も寒さも気にならないワン。

2021年2月2日

18時以降の外出禁止令が続いています

 イギリスやブラジル、南アフリカからのコロナ変異種がますます広がり、きっと3回目のロックダウンが発表されると多くの人が覚悟していたけれど、どうやら今の所は免れたフランス。

カステックス首相のテレビでの発表によれば、1月31日から、外出禁止令違反者のコントロールを一層強化し、EU内の国からの入国者は72時間以内のPCR検査陰性の証明書提示の義務があり、数か国を除いてフランスへの入国禁止。このように外国とのコンタクトを極力避けるのです。残念ながら日本との行き来も特別な事情がある以外禁止。商店は営業を続けられけますが、2万㎡以上のショッピングモールは、食料品店、薬局以外は閉鎖。すべてのデパートも閉まります。

経済対策と精神的苦痛を避けることに重きを置いている感じです。たしかに多くの人がロックダウンにならないで、ホッとしたと言っています。ショッピングも、時間制限があるとはいえ大きな不便はないし、海外旅行ができなくてもフランス国内移動は問題なし。ただレストランやカフェは今でもクローズされていて、テイクアウトのみOK。こうした生活にもすでに慣れてきたようで、ランチタイムには結構楽しそうに列を作っています。

フランスの国旗、赤、白、青の3色がウインドウを飾り、
道行く人々を元気づけているようです。


椅子を積み上げたままのレストラン。街中どこでも見られる光景です。
テーブルを囲んでおしゃべりに花を咲かせていた時代が懐かしい。

ワクチンや治療はまだまだ時間がかかるようで、当分ガマンが必要。政府は国民に自己管理をしっかり行っていれば、最悪のロックダウンにはしない、だから頑張りたまえと鼓舞しているように思えます。今回のカステックス首相の言葉からそれを強く感じました。

2021年2月1日

メトロの駅名は語る 163

Saint-François-Xavier
サン・フランソワ・グザヴィエ(13号線)

近くにあるサン・フランソワ・グザヴィエ教会に由来する駅名。サン・フランソワ・グザヴィエは日本でキリスト教布教にあたった重要な宣教師で、日本ではフランシスコ・ザビエルと呼ばれています。

サン・フランソワ・グザヴィエ
(1506-1562)

フランシスコ・ザビエルはピレネー山脈近くにあった、ナバラ王国の貴族の家に生まれました。パリの聖バルブで哲学を学んでいた時代に、神に生涯を捧げようとする人たちに出会い強い感化を受け、聖職者になる道を選びます。1534年、ザビエルが28歳の年に同士たちと共にモンマルトルの丘で誓いを立て、イエズス会を創立し、キリスト教を世界に布教する決意を新たにしたのでした。
当時のポルトガル国王ジョアン3世から、アジアのポルトガル領を訪れキリスト教布教の依頼を受けたザビエルが、布教地のひとつマレー半島のマラッカで、1547年に日本人ヤジロウに出会い彼の運命を大きく変えます。
ヤジロウがマラッカにいたのは、鹿児島と交易を行っていたポルトガル船船長の好意です。ヤジロウは日本で犯罪を犯し外国に逃れたく、鹿児島からマラッカに戻るポルトガル船への乗船を頼んだのです。マラッカでザビエルとヤジロウを引き合わせたのも船長だったとされています。ザビエルから洗礼を受けたヤジロウは日本人最初のクリスチャンとなり、ザビエルが日本で布教を行う決心を固めたときには、同行し通訳として活躍します。一行は1549年9月、ポルトガル領インドの首府ゴアから船に乗り、8月15日、薩摩半島の鹿児島に到着。幸運なことに当時の薩摩国の守護大名、島津貴久にキリスト教布教を許可されます。

島津貴久(1514-1571)

その後ザビエルは宣教師たちと布教を続けながら長崎、山口、大阪、さらに京都へと向かい、全国規模の布教を実現するために、後奈良天皇への謁見を試みますが実現せず、山口に戻ります。その地の守護大名、大内義隆に会い、布教の許可を得たことが大きな飛躍を遂げるきっかけとなります。

大内義隆(1507-1551)

望遠鏡や時計、眼鏡など西洋の珍しい贈答品を受け取り、大いに喜んだ大内義隆は廃寺になっていた大道寺をザビエル一行に寄贈し、それが最初のキリスト教徒の祈りの場となったのです。そこで多くの人々にキリストの教えを説き、信者がまたたく間に増えたのでした。

リスボン美術館所蔵の南蛮寺。
イエズス会によって建築された教会は、
南蛮寺と呼ばれていました。16世紀、17世紀の屏風とされています。

約2年の日本での布教の後、ザビエルは中国に関心を向け、中国本土から14キロほど離れた上川島で病に倒れ、1552年、46歳の生涯を閉じたのでした。当初、その島の海岸に埋葬されましたが、翌年、マラッカに移されその後ゴアに葬られます。

ゴアの教会に移されるフランシスコ・ザビエル。

フランシスコ・ザビエルが永遠の眠りについている、
インドのゴアのボム・ジェズ教会。


イエズス会によって建築されたボム・ジェズ教会は、「聖なるイエス」という意味でユネスコの世界遺産となっています。ザビエルは17世紀に聖人となり、その名を冠する教会や記念館が日本にいくつもあり、パリでは7区でサン・フランソワ・グザヴィエ教会が堂々とした姿を見せています。

パリ7区のアンヴァリッド近くにある
サン・フランソワ・グザヴィエ教会。
ネオ・クラシックで正面上部の日本建築の破風にあたる三角形の中に、
インド人と日本人に洗礼をほどこす
フランシスコ・ザビエルの浮き彫りがあります。