2021年10月6日

ファッションウィークでにぎわったパリ

 9月27日から10月5日まで続いた、2022年春夏コレクション発表のファッションウィークが終り、ちょっと寂しくなったパリ。

パリはすっかり枯れ葉の季節。プラタナスの葉が散って、
路上にカーペットを作っています。


ファッションウィーク中にパリを訪れた人は昨年に比べかなり多く、高級ホテルもレストランもにぎわっていました。リッツ・ホテルの前には黒いベンツが何台も止まり、クリヨン・ホテルも有名人が宿泊していたために、ファンやカメラマンが、貴重な一瞬を見逃したくないと、じっと待っている。

F1の伝説的レーサー、ルイス・ハミルトンが宿泊していたクリヨン・ホテルの前で、
派手な模様のランボルギーニがひときわの華やぎを放っていました。
まさかサー・ハミルトンが乗る車ではないでしょうが、とにかく目立つ。
彼は友人のファッションモデル、シンディ・ブルーナのバースディパーティーのために、
この時期にパリに来ていたそう。

社交界の花形、レストラン・マキシムでは豪華なソワレ。
久々のパリにふさわしい光景。


ファッションウィークだから、ワンちゃんもひときわのお洒落。
すまし顔がかわいい。すっかりモデル気分。


ファッションウィーク最終日にはホテルやレストランでソワレがあり、ロングドレスとタキシード姿の招待客が姿を見せ、パリらしい華やかさが久しぶりに飛び交っていました。今年のパリコレはリアルとデジタルのショーが半々くらいあり、それもパリに活気を与え、コロナ禍を忘れさせるような日々でした。高級ブティックも外に列ができていて、経済が良くなりそうな気配。このままず~~と続いてほしい。

2021年10月4日

ロマノフ家の子孫の結婚

10月1日、ロシアの古都サンクトペテルブルクで、帝政ロシア最後の皇帝の子孫、ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ大公(40歳)と、イタリア外交官の長女レベッカ・ベッタリーニさん(39歳)の結婚式が執り行われ、フランスでは大きく報道されました。夜8時のテレビのニュースでも取り上げ、特派員が招待客は1500人、カメラマンは400人と、この結婚式がいかに意義があるか興奮気味に報告。結婚式はロシア正教会の聖イサアク大聖堂で行われ、それ自体に重要性があるとも語っていました。

ロマノフ家の結婚式は、ロシア最後の皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ妃の挙式以来で、何と127年ぶり。ロシア宮廷人はフランスに傾倒し、フランス語を流暢に話し、文化や歴史にも精通し、1917年にロシア革命が起きると多くの人がフランスを亡命先に選びました。このようにロシアとフランスの絆は強いので、今回の結婚式も特別関心があるようです。

皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ妃の結婚式。

ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ大公は亡命先のマドリードで生まれ、子供時代から長年の間フランスで過ごし、イギリスのオクスフォードで法律を学んだ博学な人。大公は皇帝ニコライ2世の従兄、キリル・ウラジ―ミロヴィチ大公のひ孫にあたります。曾祖父キリル・ウラジ―ミロヴィッチ大公は、ニコライ2世とその弟ミハイル大公が革命で処刑されると、ロシア帝室家長、あるいはロシア帝位請求者となり、その地位がひ孫まで引き継がれています。母マリア大公女がプロセイン王子フランツ・ヴィルヘルムと結婚し、二人の間に一人息子として生まれたゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ大公は、ロシア帝室家長だけでなく、プロセイン王子の称号も持ち、ヨーロッパの宮廷から重視されていて、結婚式にはスペイン王太后、元ブルガリア国王など多くの王族が出席。

曾祖父キリル・ウラジーミロビッチ大公(1876-1938)

ゲオルギー・ミハイロビッチ・ロマノフ大公(1981年生まれ)

結婚式が行われた壮麗な聖イサアク大聖堂。

お二人の出会いはブリュッセルで、ヨーロッパ機関で働いていたとき。大公は3年ほど前からモスクワのクレムリン近くに住み、今後は慈善事業に力を入れていくそう。テレビで結婚式の映像を見ていると、お二人の頭上に王冠が捧げられ、その姿は皇帝夫妻そのもの。ロマノフ家の歴史を語る街であるから、サンクトペテルブルクで結婚したかったようです。

革命で王室がなくなったフランスでは、王家の人々への関心がとても高い。ブルボン朝の子孫が健在しているけれど、王政復古があるとは誰も思っていないのが事実。

2021年10月1日

高田賢三さん あれから一年

 高田賢三さんがパリで81歳の生涯を閉じて、早くも一年経ちました。年をとっても、青年のような若い精神と体を持ち続けていた賢三さんが、突然、旅立つとは、誰も想像もしていませんでした。しかも、賢三さんがこよなく愛したパリが、一番美しい 季節の秋に。

プレタポルテに大きな貢献をした高田賢三さん。

 その直前にお電話で交わした言葉を、今でもはっきり覚えています。新型コロナウイルスの拡大が心配されていた時期で、3月から約3か月間続いたフランス全土のロックダウンは、一応解除されたが、まだワクチン接種が始まっていない7月でした。
「ヴァカンスはどうするの?」
 賢三さんに聞かれて、
「コロナにかかるのが怖いから、パリから動かない」
 と言うと、
「ぼく、どうしようかなぁ~」
 賢三さんはまだ決めかねているようでした。
 それから数日後、
「やっぱり、ちょっと出かけることにしたよ」
 行き先を聞くと、まずギリシャに行って、その後、南仏のサン・トロペだと言う。エーゲ海のクルージングを毎年のように満喫している賢三さんだし、当時、ギリシャはコロナの感染者が少ないようだから「あらステキ。いいわね」と言ったが、サン・トロペがとても気になった。
「こんな時に、パーティー好きな人が大勢集まる街に行って大丈夫?」
 と言うと、友達の別荘だから心配ない、といつもの明るい声で返事をするので、せめてマスクをしっかりしてね、と分かりきったことだと思ったけれど、忠告しないではいられなかった。
「マスクねぇ。ぼく、どうしても嫌なんだ」
 と、 あまり乗り気ではなかったよう。8月末にはパリに帰って来るから、食事でもしよう、と言って電話を切り、ヴァカンスが終ってしばらくした9月中旬近くに連絡を入れたら、
「2、3日前からずっと調子が悪いんだ」
 と、かなり沈んだ声。
「で、熱はあるの?」
「37,8度くらいが続いているんだ。お医者に往診を頼んだので待っている」
 短い会話だったけれど、声を発するのが苦しそうで、一瞬「コロナ」の文字が素早く頭を横切った。けれども、何も言わなかった。報道されているコロナ感染者の症状に、あまりにも似ているので、怖かったから。それが、賢三さんと交わした最後の会話だった。彼は即入院し、約3週間の入院の後、10月4日、帰らぬ人となった。
賢三さんがバスティーユに暮らしていた時代に、
7年間住み込みでお料理を担当していた中山豊光さんと、彼のレストランで。
賢三さんがバスティーユを離れ、6区のアパルトマンに移ると同時に、
そこからさほど遠くない所に中山さんが、レストラン「TOYO」をオープン。
賢三さんと少なくとも月に一度は「TOYO」で食事をしていました。
行くたびに中山さんが次々にお料理を出してくれ、メニューを見ることなかった。


 賢三さんと親しくなったのは、15年ほど前だったと思う。様々なイヴェントでお会いして、言葉を交わすようになったように覚えている。もともと人懐っこい性格の賢三さんとの会話は楽しく、モードに限らず、料理、映画、旅など幅広かった。何よりも驚き、感心したのは、賢三さんが読書家だったこと。特に日本の歴史に関する本が好きだったし、最近は空海の本に夢中だと語っていたのを思い出す。

2016年6月3日。
憲法評議会でレジオンドヌール勲章を受章。
その後「TOYO」で真夜中までお祝いパーティー。

レセプションやディナーにも何度かご一緒させていただきました。
この日は偶然にも同じ色合いの装い。

 バスティーユの1100㎡の広大な館に暮らしていたときも、6区のアパルトマンに引っ越してからも、何度も招いてくださった。日々の生活を大切にする賢三さんにとって、インテリアは重要で、国籍や年代を問わず多くの美術品を購入し、その置き場を年中変えていたのが印象に残っている。

 賢三さん亡くなった7か月後に、彼が長年共に過ごしたコレクションが競売された。競売の数日前に、賢三さんと親交があった人だけに限り、彼のアパルトマンを再現した会場をプライベートに見れますと、オークショナーからカタログと招待状を受け取った。ずいぶん迷ったけれど、結局、行かないことにした。家具にしても、壁を飾っていた絵や、オブジェ、食器、その他の多くの品との巡り会いを語ってくれたことがあったし、それぞれに賢三さんの愛がこもっている。それが全部バラバラになってしまうことが耐えられなった。 

 その後、思いがけないことがあった。7月末にちょっとお洒落なレストランがオープンし、それを記念して数人が招待された。ソーシャルディスタンスを守って間隔を置いて椅子が並べられていて、それぞれの席には名前が書いてあり、私の右隣りは、フランス女性の名だった。席につき、右のフランス女性との会話がはずんでいた。様々な話をしているうちに、
「我が家には日本のお庭があるのよ」
 と、とても気になることを言った。パリで自宅に日本庭園を持っているなんて、何と贅沢と一瞬思った。だけど、一体どこに?
「ケンゾーが持っていたバスティーユの家。それを買って住んでいるの。庭も家もほとんどそのまま使っているけれど、室内プールはテラスに変更したのよ」
 ああ、あの家を、この人が買ったのだ。そこに家族で住んでいるのだ。
「バスティーユの家ね、買ったのはフランス人カップルで、とても感じがいい人たちだ。一度、食事に呼んでくれたよ」
 そのように賢三さんが話してくれたのを思い出した。しかし、何という偶然、何と不思議なこと。レストランで隣り合わせになり、賢三さんの以前の家の様子を知ることが出来るなんて、思ってもいなかった。その女性の顔は柔和で、温かみがほとばしっていた。声も、やさしかった。その時、彼女が、あの家を守っているように思えた。賢三さんが何十年もの歳月と心を込めてコレクションした多くの品々は、オークションで一瞬のうちに散り散りになってしまった。一点も残らず完売だったと、マスコミが報道したのを目にした時には、心が張り裂けそうだった。けれども、バスティーユの家も庭も、ほとんど無傷で残っている。それを知ってどれほど安堵したことか。

 賢三さんが旅立って1年たち、あの時と同じように秋が到来し、ファッションウイークが同じよう始まったパリ。「ケンゾー」の新しいデザイナーは〇〇とか、今回のコレクションの特徴は、などとマスコミが伝える度に、メゾン創立者である賢三さんの、あの人懐っこい笑顔を思い出さずにいられない。



笑顔を絶やさない、楽しく寛大な人でした。

2021年9月24日

凱旋門 クリストのアートが消える前にもう一度

 クリストと妻ジャンヌ=クロードによる「梱包された凱旋門」が、もうじきその姿を消してしまう。そう思うと、日が経つに連れて切なさが増し、とても見に行かないではいられなない。というわけで、再び凱旋門へ向かう。

平日なので車が走っているけれど、制限速度は30キロのパリ。

初日とちがって車が走っているので、凱旋門に近づくために、シャンゼリゼから延びている地下道を通らなければならない。荷物検査と衛生パスのチェックの後、階段を降りて地下道に入る。これがまた美術館への通路かと思うほどステキ。


シャンゼリゼ大通りから凱旋門に向かう地下道。

地下道を通って凱旋門の真下に着くと、
巨大なアート作品が見える。
これが数日前までは、
彫刻を施した石造りのモニュメントだったとは想像も出来ない。


地下道をある程度進み、左に折れ、その後階段をのぼると、目の前に布に包まれた凱旋門がまじかに見える。感激の一瞬。遠方から白っぽく見えるポリプロピレンの布地が、ブルーがかったシルバーであることがわかるし、触ってみると軽くて柔軟性がある。

ひだを寄せ、赤いロープでしっかり固定した布は、結構やわらかい。
クリストは生前に、訪問者にぜひ触って欲しいと語っていたそうなので、
私も恐る恐る手で触れました。



「クリストとジャンヌ=クロード」と書いてあるチョッキを着たムッシューが、
ポリプロピレンの布を小さくカットしたサンプルを無料で配っている。



表はシルバー。


裏がブルー。


完全に布地に包まれた凱旋門は、従来の重厚なモニュメントの姿をすっかり消し、まるで、その下に集まる人々をやさしく包み、守っているように感じられる。アーチの向こうに見えるパリの建物さえも、以前と異なった趣を示しているようで、何もかも新鮮。

約60年前、クリストが青年時代に抱いていた夢がついに実現。
一見、カテドラルや神殿にも見える布に包まれた凱旋門。
その向こうの街並みまで変わったように思える。
ここに至るまでの数々の困難を乗り越えて、今、美しく感動的な芸術と化した凱旋門。
数日間で消え去る運命の刹那的なアートであるだけに、心に強く訴える。

2021年9月22日

ワイン祭

異常気象でブドウ畑が大きな被害を受けただけでなく、コロナ禍でレストランが長い間閉鎖され、パーティーも結婚披露宴もなく、売り上げが落ち、厳しい状況が続いていたフランスのワイン業界。秋を迎え10月3日まで続くワイン祭の雰囲気にのって、損失を取りもどそうと、あの手この手で人気獲得に必死。

ワイン祭期間中の特別割引の品もあります。


ワイン専門店、デパート、スーパーによっては、レッドカーペットで華やかさを盛り上げ、ソムリエがクライアントに丁寧に説明しているところもある。それにしても、これほど多くの種類があるとは、と思わず目を見張るほどのボトルのオンパレード。

こんなに種類があると、迷子になってしまう。

高級品は別室で特別扱い。

煌びやかな装飾の下では、ワインが価値あるもののように思える。

自然の飾りの下のワインには、健康にいいものがたくさん入っているように感じられる。

リズム感があるお洒落なディスプレイ。


ナンとフランスには、3240種類ものワインがあるのです。ボトルの種類は小瓶からダブルマグナム(マリー・ジャンヌとも呼ぶ)まで、14種もある。

ワインの行列が織り成す空間には、格別な趣があって、ワインを飲まなくても、その特有な世界に浸っていると、幸福に酔いしれてしまいそう。以前は女性ふたりでボトル一本を開けていたのに、最近はちかなり量が減って、せっかくワインの国にいるのに・・・と残念。


ゆったりした一角で、試飲を楽しむことも出来ます。
落ち着いた、とってもいい雰囲気。

2021年9月20日

ヴァンドーム広場に大きな像が

 久しぶりにヴァンドーム広場に行ったら、大きな像が4つ展示してありびっくり。しかも、一見「モアイ」のよう。

そう、かの有名なイースター島の石像彫刻。いつかイースター島に行ってあの石像を見たいと思っていたので、それに似たような像をパリのど真ん中で見つけたから、すっかり興奮し走りよったほど。

ヴァンドーム広場に展示されている、花崗岩の4つの像。
「金の涙」というタイトルがついている像。金箔の細長い涙です。

4つの像の作者は、フランス人彫刻家ドニ・モンフルール、と台に書いてある。早速ネットで調べると1962年生まれ。大きな石を直接削って作品を作るそう。様々な石を素材として作品制作にあたっているが、現在は花崗岩が多いそう。多くの賞を獲得した実力ある彫刻家のようです。


ご覧の通り背が高い。

それにしても大きい。隣に立ってよく見ると、その大きさが分かる。モノリス(一枚岩)でつくった、何かを見ているようで何も見ていない顔。しかも顔の造作すらないような像。ミステリアスな雰囲気が放たれている不思議な作品ばかりです。

整然とした広場で、誇らしげに佇む像。
何か語りかけているように思えます。
9月30日まで。

2021年9月18日

凱旋門、つかの間のアート

 8月15日のブログでお知らせした、ブルガリア出身の芸術家クリストのプロジェクトが、ついに完成。彼がパリで青年時代を送っていた時から抱いていた夢、それは凱旋門を布ですっぽり包むことだったのです。その実現直前の2020年、84歳で惜しくも世を去ったクリストですが、甥が意志を引き継ぎクリストが残した設計図通りに完成。9月18日から10月3日まで鑑賞できます。

クリストの青年時代の夢が、ついに実現。
ラッピングされた凱旋門は16日間だけのアート。

どの角度から見ても清涼。
重苦しい石から解放され、やさしさがある布に包まれた凱旋門が、
安堵の息をもらしているように思える。

25000メートルの銀色がかったブルーのポリプロピレン織物と、3000メートルの赤いコードを使用し、95人が昼夜を徹して作業にあたったこの「梱包された凱旋門」は、16日間のつかの間のアート。約1400万ユーロ(18億円)かかった費用は、クリストの数多いデッサンや模型などを売却して賄ったそう。自由な立場で、自由に自分の信念を貫くアーティストの純粋な魂が感じられ、深い感動を覚えずにはいられない。

凱旋門を布地で包む前代未聞の作業は、
95人の熟練の専門家によって、昼夜続いていました。

大きな危険を伴う作業だけに、見ているだけでハラハラドキドキ。

永続しない芸術であるがために、それを目前にしたときの感激も大きい。ある日、突然、現われ、突然消え去るクリストの作品。威厳ある石造りの凱旋門が、布地ですっぽりと包まれ、全体にほどこされたひだが風になびき、光を浴びて様々な色に変化し、柔らかな表情を見せ、息吹を吹き込まれたかのような凱旋門。

18日の初日に行くと、凱旋門の周囲は厳重な警戒。
数十メートル手前から車の通行禁止。

凱旋門に近づくのには、衛生パス提示と荷物検査。

クリストによって新たな生命を与えられた、たった16日間の短い運命のモニュメント。その姿をしっかりと胸に刻んでおきたかった私は、もちろん初日に行きました。昨夜は期待でよく眠れなかった。

なぜか、異常にカラフルな服装。嬉しさと感動でいっぱい。
また見に行くつもり。次回は人が少ない時に行っていい写真を撮りたい。

立ち去りたくないほど、美しく感動的。