2017年4月11日

セーヌ河畔の公園

4月に新たにお目見えしたセーヌ右岸の歩行者天国。
毎年夏はセーヌ右岸河畔の車通行が禁止され、大量の砂を置いて「パリ海岸」となって大人気を呼んでいるパリ。
「公園、セーヌ川の岸」と路上に書いてあります。
今回、広範囲にわたる歩行者天国が誕生。しかも一年中楽しめるのです。「公園、セーヌ川の岸」と呼ぶようです。車のない、あるいは少ないパリを目指す女性市長アンヌ・イダルゴの名案です。

ジムの器具まである。いつかトライしよう。
でも、ちょっとはずかしい。
セーヌ川を見ながらなんて最高。やはりいつか・・・と心が乱れます。

河畔には新たに木が植えられ(今は小さいけれど大きくなったらきっと素晴らしい)、芝生も若々しい緑を見せている。

木材を使用したミニ遊園地の施設。
心身がなごみます。
カラフルな椅子や、木製の素朴なベンチがところどころに置かれ、船の形の子供用サッカー場もある。ハンモック、ブランコもある。

船の形のサッカー場。おしゃれな感性に脱帽。
パリっ子はそこでのんびりと太陽を浴びている。お昼寝をする人もいれば、読書に夢中の人もいる。
サンドイッチをほおばりながら談笑する若者たち、みんなとても幸せそう。時々自転車が通り、ジョッギングやローラースケート、散策を楽しむ人・・・・

ハンモックやブランコもあって、子供時代を体感できます。
これもいつか乗ってみたい。
セーヌ河畔の光景を見ながらママ友たちが、話こんでいる。その足元にはベビーカーが見える。
駆けっこをする子供たちの姿もある。

ドリンクを扱うお店もありますが、ほんのわずか。それがいい。
パリの歴史を2000年以上見続けているセーヌ川。
彼女も喜んでいるはず。


車を利用している人からは当然不満の声があがっていますが、優先すべきことは市民の健康。自転車の利用者を増やすために、専用道路を増やす計画もある。

セーヌ河畔の広範囲にわたる歩行者天国で憩う市民を見て、パリ市民は人間らしい生活を送れて幸せだと思わないではいられません。

2017年4月9日

パリの犬たち 123

春風に乗って・・・
やっと春。
思いっきり走りたい。
そういえば今日はパリマラソンの日。
朝からセキュリティのためにヘリコプターがまわっているパリ。


2017年4月7日

メトロの駅名は語る 35

Etienne Marcel
エティエンヌ・マルセル(4号線)

 パリ最初の市長、エティエンヌ・マルセルの名前が駅名になっているこの駅の界隈は、若者向きのおしゃれな洋服店やアクセサリーのお店を楽しめます。

パリ最初の市長、エティエンヌ・マルセル
1315年に商人の家に生まれたエティエンヌ・マルセルは、1354年に選ばれたパリ最初の市長とされています。彼の雄々しい騎馬像が、セーヌ川に面したパリ市庁舎右横にあるのはそのためです。 

1210年の水運商人組合の紋章。
セーヌ 川を中心として発達したパリでは、水運が重要な役割を果たしていました。
12世紀になると「水運商人組合」が誕生し、大きな勢力を持つようになります。その組合長になったエティエンヌ・マルセルは市政をつかさどり、パリ市長として国王に匹敵する権力者でした。

パリ市庁舎のセーヌ川に面した地にある、
エティエンヌ・マルセルの騎馬像。
当時はイギリス相手の100年戦争の最中。「善良王」と呼ばれていたジャン2世国王が捕虜になり、イギリスに連れていかれるとますます力を増したエティエンヌ・マルセルでした。

1358年7月31日、暗殺されたエティエンヌ・マルセル。
手にパリ市の鍵を握っています。
ところが、父不在の間に摂政をつとめていた王太子シャルルが、「賢明王」と呼ばれていたほど実力ある人で、パリを支配し自分の失脚をも狙っていたエティエンヌ・マルセルを鎮圧。
市長は暗殺され、 王太子は1364年からシャルル5世として国を治めます。
以前のパリ市の紋章はセーヌ川に浮かぶ帆船でしたが、
その上に王家の象徴であるユリの花をのせたのは、
 エティエンヌ・マルセルを失脚させたシャルル5世です。
現在のパリ市長はアンヌ・イダルゴ。
社会党の実行力に富む女性で、次々と改革を行っています。今一番大きな問題は公害とセキュリティ。数々の解決策にパリ市民が拍手を送っています。

東京もローマも女性市長。 イギリスは首相が女性。
とてもいいことです。
パリから小池都知事にエールを送っています。
ぜひ日本の首相になっていただきたい。

2017年4月5日

イースター、楽しいチョコレートのシーズン


イースターは移動性の祭日で、今年は4月16日。
この前後は学校もお休みになるので旅行する人が多く、ヨーロッパ大移動の季節。
イースターのお祝いに欠かせないのは、何といってもチョコレート。
ウサギや卵、ニワトリの形のチョコレートが、あちこちに散りばめられていて、楽しさ満ち溢れるパリです。

特に気に入ったショーウィンドーをいくつかご紹介しますネ。
喜びの音色が響いているような最高のディスプレイ。
エッグが主役です。
ニワトリが向かい合って二重唱。
足元でテントウムシが聞き入っています。


お母さんとヒヨコと卵。階段まで全部チョコーレート。
花園のウサギさんたち。
私も仲間入りしたいジョイフルな雰囲気。
イースターだから嬉しいのよね。
その気持ちよくわかるわ。

2017年4月3日

ムガル帝国の華麗な宝石展

インドのムガル帝国時代から現在までの、選び抜いた多数の宝飾品をグラン・パレで展示しています。
ムガル帝国5代目の皇帝、シャー・ジャハール。
亡き妃のために優美なタジ・マハールを建築させた皇帝。
絵でもわかるように、
たくさんの宝石を身につけていました。
1526年から1857年まで威勢を誇っていたムガル朝。その歴代の皇帝は、権力の象徴である宝石をこよなく愛していました。

カルティエ作。
豪華極まりないターバン飾り。
中央のブラウン・ダイヤモンドは61,50カラット。
ダイヤモンド、ルビー、サファイアなど、多くの上質の貴石を産出するインドならではのゴージャスな宝飾品は、ムガル朝の偉大さを華やかに伝えます。

時が経ちムガル帝国が滅び、領土が分割される時代を迎えます。有力なマハラジャがそれぞれの領地を治めるようになると、彼らも競って宝石で身を飾ります。

こうした重要な人々にちなむ宝石に魅了されたのが、カタールのアルサーニ殿下。インドが華麗な輝きを放っていた時代の多くの宝飾品を収集し、世界の主だった都市で「アルサーニ・コレクション」として公開することを思い立ったのです。

メレリオ作。
孔雀のモチーフのブローチ。
しなやかな姿を表現するテクニックが驚異的。
パリのグラン・パレでは270点選んで展示。
どれもこれも言葉を失うほど華麗です。
こうした宝石を生んだ地球と、それをアート性高い装身具にした人たちの感性と技術に感謝したいほど。

大粒のエメラルドが限りなくゴージャス。
冠、ネックレス、リング、ペンダント、ターバン飾り、ブレスレットなど身につけるジュエリーの他、宝石をあしらった食器、衣類、剣、チェス、置物なども展示されていて、その煌びやかさはインドの栄華を誇らしげに語っています。

「ムガル帝国からマハラジャまで。アルサーニ・コレクション宝石」展
グラン・パレ
6月5日まで。

2017年4月2日

パリの犬たち 122

おだやかな春の日に・・・
春になったから、衣替え。
フランスの3色旗と同じ色のニットウエアで
カフェでティータイム。
あまりにも気持ちがよくて
眠くなってきたワン。

2017年4月1日

メトロの駅名は語る 34

Strasbourg=St・Denis
ストラスブール=サン・ドニ(4,8,9号線)
  
ストラスブール大通りとサン・ドニ大通りが交差する地にあるこの駅は、多国籍の人々が住み国際色です。

ルイ14世の戦勝記念に、
1672年に建築されたサン・ドニ門。
駅前にはサン・ドニ門とサン・マルタン門が、いかにも古い時代に建築されたのが分かる重厚な姿を見せています。

サン・ドニ門は偉大な国王ルイ14世が、ハプスブルクの支配下にあった現在のオランダ、ドイツをめぐる戦いで勝利を得た記念に1672年に建築させたもの。

サン・マルタン門。
 もうひとつのサン・マルタン門は、同じ戦勝記念のために二年後の1674年にパリ市が建築させました。
、
革命時の1791年6月20日、チュイルリー宮殿から抜け出たルイ16世一家が、フェルセンが操る辻馬車でサン・マルタンに向かい、その外側で大型馬車に乗り換えました。それがこのサン・マルタン門だと思っている人が多いようですが、残念ながら事実は異なります。

サン・マルタン入市税取り立て所。
ここで国王一家が辻馬車から大型馬車に乗り換えました。
マリー・アントワネットたちが辻馬車で向かったのは、パリの周囲を囲む城壁の一箇所にあったサン・マルタン入市税取り立て所です、パリの北東にありそれを過ぎると郊外でした。
一方、サン・マルタン門はパリの中心にあります。
今回のブログを書くために、3冊のフランス語の本で 再確認しました。


これに関しては
「マリー・アントワネットとフェルセン、真実の恋」
に書きましたので、読んでいただけたら嬉しいです。


「偉大な国王は後世に偉大な建造物を残すものです」
と、枢機卿であり実質上宰相マザランに言われ、凱旋門、広場、壮麗なヴェルサイユ宮殿など多くの遺産を残したルイ14世でした。

ストラスブール大通りは、ナポレオン三世の第二帝政時代にパリ大改造が行われ、その際に誕生。1853年に開通したときには、華やかなセレモニーが行われ話題を呼んだものです。

ストラスブール大通り開通のセレモニー。
1853年12月10日。