2021年7月1日

ラ・サマリテーヌ、想像以上に素晴らしい

 6月23日のリニューアル・オープニングの日に行ったものの、すごい行列で中に入るのをあきらめたラ・サマリテーヌ・デパート。その後いくつかの原稿依頼があり、それに数日間没頭していましたが、気になってちっとも落ち着かない。それで、意を決して書き換えの原稿をそのままにして、気になるデーパトに行ってきました。

一日中雨という予報だったのに、見事にはずれてお天気。でも信用ならないパリのお天気なので、傘を持参し、行例を覚悟で向かいました。ところが天気予報を信じた人が多かったのか、誰も並んでいなくて、すんなり中に入れました。

圧巻のガラス張りの天井から差し込む自然採光に
心が和みます。
中央から左右対称にのびる階段が、きめ細やかなレースのようでエレガント・

手すりには金箔が施されていて、高級感が伝わってきます。

すべての階段に木がはられていて、足に負担がかからない。


このデパートの最大の関心はガラスの天井と、その下の壁一面に描かれた孔雀と花々のアールヌーヴォーの装飾。これほど見事だとは思ってもいなかったので、しばらく見とれていたほど。それを見るだけのためにラ・サマリテーヌに行ってもいいほど素晴らしい。このような価値ある装飾がデパートにあるのは、さすが芸術の都市パリならでは。


たくさんのアールヌーヴォ―に囲まれて幸せ気分最高潮。

上から見ても下から見ても、均整が取れていて限りなく美しい。

世界中に名を轟かせている高級シャンパーニュ、
リュイナールのアーティスティックなデイスプレイ。


地上階から最上階まで吹き抜けになっているので、フレッシュな空気が流れているようで、清々しい。様々なメゾンの製品が飾られていますが、ケバケバしたディスプレイは皆無だし、それぞれ間隔を開けているので爽やかさが漂っています。

ショッピングをしなくても、このような空間でのお食事は心地良いに決まっている。そのためか、ガラスの天井下にあるレストラン・バー「ヴォワヤージュ」はすごい人気。今度はアールヌーヴォ―を鑑賞しながら、そこでお食事したい。「ヴォワヤージュ」は「旅」という意味で、諸外国のレシピを特有にアレンジしたお料理が多いので、グルメに好まれているのでしょう。「和牛のクロックムッシュ」という、興味を掻き立てられる一品もあるそう。


レストラン・バーの「ヴォアヤージュ」


リニューアルする前は庶民的だったのが、まるで生まれ変わったように、洗練を極める高級デパートになったラ・サマリテーヌ。しかも地下にスパまで設け、今までのデパートの固定観念を変えています。

5月1日の働く人の祭日「メーデー」のみ休業で、364日オープンしていて、しかも10時から20時までと営業時間も長い。新しい試みがいっぱいで、当分の間、話題の中心になっているでしょう。

2021年6月23日

ラ・サマリテーヌ・デパート リニューアルオープン

 2005年に閉鎖して、修復工事を行っていたラ・サマリテーヌ・デパートが、16年後の6月23日に再オープンし、大きな話題になっています。それ以前の21日のオープニング・セレモニーには、マクロン大統領が出席し、お祝いの言葉を述べたほど重要視されているデパートなのです。

6月23日、リニューアルオープンしたラ・サマリテーヌ・デパート。
アールヌーヴォーとアールデコを取り入れた歴史的建造物。


このデパートは、1870年に創立された長い歴史を誇る老舗であり、しかも、アールヌーヴォーとアールデコを取り入れた歴史的建造物であり、オーナーはLVMH。このように、人々に興味を抱かせる要素がいくつもあります。

ラ・サマリテーヌを創立したのはエルネスト・コニャックで、パリ最古の橋ポン・ヌフの上に小さなお店を開いていました。16世紀後半から17世紀初頭にかけて建築されたポン・ヌフには様々な店舗があり、そうしたひとつが、エルネスト・コニャックが売るストールのお店だったのです。

エスネスト・コニャック(1839=1928)


彼のお店がある場所には、かつて立派な給水塔があり、その界隈に水を供給する重要な役割を果たしていました。その給水塔には、キリストがサマリアの女性から水を受け取る彫刻があり、その上には時計がはめられていましたが、1810年に取り壊されたのでした。

ポン・ヌフには右手に見える立派な給水塔がありました。

給水塔には、
キリストに水を差しだすサマリアの女性の彫刻がありました。


エルネスト・コニャックがポン・ヌフ近くに本格的なお店を出したとき、給水塔からヒントを得て、サマリアの女という意味の「ラ・サマリテーヌ」と名付けます。それから間もない、1872年、ボン・マルシェ・デパートの販売員だったマリー=ルイーズ・ジェイと結婚。それ以降、事業は日の出の勢いで発展し、1900年には、セーヌ川右岸を代表するデパートになったのです。


エルネスト・コニャックの最初のお店ラ・サマリテーヌ。

すべての新しいものに興味を持つ私は、早速、オープニングの日に行きました。思った通りすごい行列。残念ながら他にも予定があったので、並ぶ時間がなく、中には入れませんでした。次回は辛抱強く並んで中に入るつもり。その時には写真を撮って報告しますね。

再オープンの日はご覧の通り長い行列。コロナで通販が盛んになったようだけれど、
この行列を見ると、デパートが健在だとわかります。
私はどちらかというと、実際に目と手で品を確認しないと気が済まない性格。

2021年6月20日

メトロの駅名は語る 170

Bibliothèque François Mitterrand
ビブリオテック フランソワ・ミッテラン(14号線)

フランス元大統領フランソワ・ミッテランの名を冠した図書館が駅名になっています。
フランソワ・ミッテラン(1916-1996)

フランソワ・ミッテラン図書館は、複数に分かれているフランス国立図書館のひとつで、1994年に13区に完成しました。L字型のガラス張りの4つの高層ビルが、中庭を囲んで本を開いているように立っている近代的な建造物。

フランソワ・ミッテラン図書館。

この図書館ができる前は、リシュリュー通りの図書館がメインで、私も資料を調べるために、数えきれないほど通いました。現在はフランソワ・ミッテラン図書館が主要となっていますが、リシュリュー図書館も健在で、歴史が感じられる雰囲気が好きなので、今も時々利用しています。
フランス国立図書館の歴史は驚くほど古く、その起源とされているのは1367年に創設された王室文庫。当時の国王はシャルル5世(1338-1380)で、体が弱く読書を好む教養が深い国王で、膨大な蔵書を持っていました。国王は当時住んでいたルーヴル宮殿の塔のひとつに、図書室を設けています。

シャルル5世が暮らしていた時代のルーヴル宮殿。
図書室は北西のラ・フォコヌリー塔に設けていました。

その後、歴代の国王が国内だけでなく、外国遠征などで入手した貴重な文献や書物の収集を続け、それらを様々なシャトーの王室図書館で保管していました。それに加えて、枢機卿であり宰相も務めたリシュリューやマザランが、国王に負けずに蔵書を増やしていたし、裕福な貴族や教会も同じで、フランスが保管する蔵書は、目を見張るほど豊かになっていたのです。

17世紀のマザランの大邸宅内に、
19世紀に設けられたリシュリュー国立図書館。

革命ですべての蔵書は没収され、リシュリュー通りに大規模な国立図書館が生まれたのは1875年で、有力なマザラン(1602-1661)が所有していた、17世紀の豪華な館の一角に創設されました。
マザランはルイ13世に枢機卿に任命され、国王亡き後、幼いルイ14世(1638-1715)の事実上の宰相となり、絶対王政の基礎をつくった大物です。
時が経ち、近代的なフランソワ・ミッテラン図書館が誕生し、リシュリュー図書館から多くの蔵書が移されました。このように、まったく異なる時代に建築された、まったく異なる新旧の国立図書館が共存しているのです。
次々に近代化がなされているパリですが、歴史を刻む建造物の重要性を認識しているので、例え、高額な維持費や修復費用がかかろうとも、保存を優先しています。そうしたパリはやはり文化都市です。精神的な豊かさを養ってくれる、世界でも稀な大都市なのです。

                                          ★ ★ ★
    
「メトロの駅名は語る」は今回で終了いたします。パリのメトロの駅名のいわれについて、多少なりともお役に立てたら幸いです。私自身多くのことを学びました。

2021年6月17日

屋外でのマスク着用から解放

カステックス首相が6月16日に、とってもいいニュースを発表。
17日から、屋外でのマスク着用は義務ではなくなるというのです。フランス国内のコロナ感染の状況が、予想していたよりずっと早く改善しているからだそうです。それだけでなく、夜間外出禁止令解除を30日としていたのに、それを繰り上げて20日としたのです。

もう、フランス中大喜び。21日には音楽祭があるし、サッカーの欧州チャンピオンリーグも開催中。夜遅くまで友人たちと騒いだり、喜びを分かち合いたい出来事が待っているのです。とはいえ、人数制限は以前と同じように守り、人が大勢集まる集会やマルシェなどは、屋外といえどもマスクをつけなければならない。
でも、嬉しさが飛び跳ねているのは確か。レストランは満席だし、高級衣料店は外に大勢の人が並ぶほど大繁盛。何よりも驚くのは、夏のヴァカンスの予約のために、旅行エージェントの前に長い行列があること。
何だかパリジャンがお金持ちに見えるこのごろ。


屋外でのマスク解放の日に。


ピザもドリンクも格別おいしく感じられました。

2021年6月14日

メトロの駅名は語る 169

Cour Saint-Emillion
クール・サン=テミリオン(14号線)

名産のワイン、サン=テミリオンの名を冠する「サン=テミリオン広場」にちなんだ駅名。

ベルシーにはこのように
ワイン商人のための倉庫が多数ありました。1908年。

このメトロの駅があるベルシー地区には、かつて、ワイン商人用の倉庫が多数あり、フランス南部から運ばれるワインを大量に積んだ列車が発着する駅もありました。
パリに列車で運ばれるワインの中には、まろやかでコクがあり、気品あるサン=テミリオンの赤ワインもありました。1998年にオープンしたクール・サン=テミリオン駅は、その名残で、以前あった駅の中に建築されました。
サン=テミリオンは、ボルドーの北東にある、世界で初めて世界遺産に登録された高級ワインの産地。この地でブドウが栽培されるようになったのは、ローマ人がフランスを支配していた、ガロ=ロマンの時代にさかのぼります。ガロ=ロマンが始まったのは、紀元前1世紀です。当時、この地域は、サン=テミリオンとは呼ばれていませんでした。
町名の由来は、ブルターニュ地方出身の僧エミリオンが、8世紀にこの地を選んで隠遁生活を送っていたためで、サン=テミリオンは聖エミリオンという意味です。
エミリオンはブルターニュ地方のヴァンヌで生まれ、ヴァンヌ公の執事を務めていました。その時代から慈悲深かったエミリオンは、ヴァンヌの貧しい人々に、主君に隠れてパンを配っていたとされています。
後にヴァンヌを離れ、南西の町ソジョンのベネディクト派の修道院に入ったエミリオンは、そこで僧になります。やがて奇跡を起こすようなり、それを伝え聞いた多くの人々が、ソジョンに押しかけるよになったのでした。あまりにも多くの人が奇跡を求めて会いに来るので、疲れ果てたエミリオンは、ソジョンを離れ、森の中の岩を掘り、そこで隠遁生活を送ることにし、767年に生涯を閉じます。

聖エミリオン像。


エミリオンが暮らし、生涯を閉じた洞窟跡に、
11世紀に立派なモノリス教会が建築されました。

エミリオンを慕ってその地に暮らすようになった僧たちは、その界隈で作物を作っているうちに、土壌がブドウに適しているとわかり、ブドウ栽培に力を入れ、上質のワインを醸造するようになったのでした。

2021年6月12日

ナポレオン展、大好評

 ナポレオンがセント・ヘレナ島で世を去って200年記念の今年、彼の偉大な功績にふさわしい大規模な展覧会を、パリ北東のラ・ヴィレットで開催中。コロナのために、入場は予約制で人数制限があります。そのために、ゆったりと鑑賞できるのは、かえっていいことです。

ナポレオンが頭角をあらわした若き頃から、皇帝に就任した栄華の時代、その後、段階的に訪れる敗北、致命的なワーテルローの戦い、屈辱の流刑、フランスへの無言の帰還など、起伏に富んだ生涯の重要なポイントを絵画、彫刻、遺品などで構成しいる展覧会です。12月19日まで開催。

皇帝の座に就いたナポレオンと妃ジョゼフィーヌの肖像画。
中央は上院所蔵の皇帝の玉座で、今回はじめて上院を離れました。

ジョゼフィーヌの宮廷用マント―。シルクとビロード。
彼女は帝政スタイルをヨーロッパに普及させた、秀でた感性の持ち主。
フォンテーヌブロー城のナポレオンのベッドと家具。
枕に頭でなく背中をのせていたので、ベッドは小さめ。

日本を含め、多くの国に影響を与えた
「ナポレオン法典」の一部。1804年3月21日に発布。

ナポレオンは1802年5月19日にレジョンドヌール勲章を制定。
写真は1807年のナポレオンのレジョンドヌール勲章。

世継ぎを授けられないジョゼフィーヌと離婚したナポレオンは、
オーストリア大公女マリー・ルイーズと1810年4月1日に結婚。
そのとき使用された馬車。

待望の息子、ローマ王が1811年3月20日にチュイルリー宮殿で誕生。
宮殿で使用していたゆりかご。

戦いを続けていたナポレオンの戦地用ベッドと家具。
すべて折りたたみ式。

2021年6月10日

パリで見えた部分日食

6月10日にパリで初めて部分日食を見ました。不思議で詩的なひとときです。 

雲の中の太陽と大空を飛ぶ鳥。11時52分


数分後の部分日食。12時13分に撮影。