2016年11月4日

ロシア貴族ユスポフ夫妻のコレクション

ロシアの大貴族、ユスポフ夫妻のコレクションのオークションがあると知った夏に、カレンダーに印をつけて、その日が来るのをずっとずっと待っていました。11月4日が待ちに待った日。もちろん前日の3日に下見に行ってきました。
ロシア貴族、ユスポフ夫妻。1915年。
どれもこれも、あのユスポフ夫妻の持ち物だったと思っただけで、もう、感激のしどうし。

ユスポフ家はロシア皇帝以上の資産を誇っていた有力な貴族です。サンクトペテルブルグとモスクワに豪奢な宮殿を、クリミア半島の絶好地には別荘を持っていた破格の高位の貴族でした。

いくつもの宮殿や別荘を行き来しながら、
幸せな青年時代を送っていた16歳のフェリックス・ユスポフ。
うっとりするほど美しい容姿でした。
そのユスポフ家のプリンス、フェリックスが結婚した相手がまたすごく、ロシア最後のニコライ二世皇帝の唯一の姪イリナでした。

ユスポフ家のモイカ宮殿。
羽のように左右に大きく広がる美しい建物です。
夏だというのにセーターを着ても震えるほど寒い日でした。
インテリアや収集品から、ユスポフ家の人々の高尚な趣味が分かります。

1916年12月30日、サンクトペテルブルグのユスポフ家のモイカ宮殿でフェリックスは、皇帝のいとこで親しい友人のドミトリー・パヴロヴィッチ公とラスプーチン暗殺をはかります。皇帝夫妻から信頼されていた祈祷僧ラスプーチンが、政治にまで介入し、祖国の危機を感じたのがその理由とされています。それは皇帝夫妻の怒りをかい、首謀者ふたりは国外追放になります。

モイカ宮殿の至るところに
クリスタルのゴージャスなシャンデリア。
その細かい細工は息をのむほど美しい。
それから間もない1917年ロシア革命がおき、1918年皇帝一家は銃殺されます。貴族たちの身にも危険が迫りますが、ユスポフは巧みに宮殿に戻り、多くの絵画とジュエリーを持ち出し亡命に成功。当初はロンドンに暮らしていましたが、後にパリに移り長年滞在、1967年パリで生涯を閉じます。ユスポフ夫妻はジュエリーや絵を売りながら生活したり、亡命貴族の援助もしていました。

今回のオークションでもっとも話題を呼んでいる、
ロンドンの祭典でユスポフ公が身につけた服。
ユスポフ夫妻のコレクションは、夫妻亡き後、彼らが息子のようにかわいがっていたメキシコ人彫刻家ヴィクトル・コントレラスが保管していました。彼はユスポフ夫妻と5年間も一緒に暮らしていたほど気に入られていたのです。

今回、オークションにかけられるコレクションには、数点の服、靴、宝石をあしらった煙草入れや小物入れ、旅行用イコン、オブジェ、写真、手紙など約120点。服や靴はかなりいたんでいますが、それだけに感動します。
ロシアにはなぜか哀愁を感じます。不思議です。