2016年11月29日

メトロの駅名は語る 14

Monceau
モンソー (2号線)

2号線の駅ではモンソーを利用する日本人が多いようです。様々なモニュメントがあるモンソー公園が人気だし、18世紀の優美な美術品を堪能できるニシム・ド・カモンド美術館と、東洋美術の宝庫セルニュッチ美術館もすぐ近くにあるし、日本大使館も遠くない。

1778年、完成したモンソー公園の鍵を受け取るオルレアン公。
この界隈にはかつてモンソー村がありました。その一部を国王のいとこの家系にあたるオルレアン公フィリップ2世が買い、風車や列柱、パゴダ、洞窟などがある贅沢で変わった庭園を作らせます。彼はルイ16世処刑賛成に一票を投じ、諸国の王侯貴族を驚愕させた貴族です。もっとも彼自身も後に処刑台で生涯を閉じます。 彼の処刑後、オルレアン公自慢の庭園は国の所有になります。
 
パラシュートの実験をしたジャック・ガルヌラン。
1797年10月22日、モンソー公園でパラシュートの実験が行われました。
それ以前にもパラシュートのような役目を果たしたものがありましたが、現在使用されているパラシュートの発明家はガルヌランです。

オルレアン家の人が住んでいた1803年~1806年の邸宅。
革命数年後、ナポレオンが日の出の勢いで国の指導者地位にのぼっていたころ、モンソーは再びオルレアン家所有となりました。ナポレオンは亡命先から祖国に戻るよう貴族たちに呼びかけ、革命で没収された財産や土地を元の持ち主に返却したのです。

再びオルレアン家の優雅な庭園になったモンソー。1819年ころ。
けれども、1860年、ナポレオン一世皇帝の甥、ナポレオン3世の第二帝政時代にパリ市所有となり、一部が売却され、カモンド、セルニュッチなど大富豪が買い、後に美術館になる大邸宅が生まれたのです。

ジャック・シラクがパリ市長だった時代に、徳川家由来の上野の寛永寺にあった石灯籠のひとつが、日仏友好記念に贈られ、パリ市民に親しまれているモンソー公園は、日本との関係も深いのです。