2016年11月19日

メトロの駅名は語る 12

Nation
ナシオン (1,2,6,9号線)

「国家」 「国民」という意味のナシオンは、その名からわかるように、国民が団結を呼びかける集会の舞台になることが多い広場です。

この地が脚光を浴びたのは1660年7月26日。南仏でスペイン王女マリー・テレーズ・ドートリッシュと結婚したルイ14世が、ここからパリ入りしたのです。そのために当時は「玉座広場」と呼ばれていました。
ルイ14世のパリ入り記念の凱旋門。
この重要な出来事を記念し、凱旋門が建築されることになり、1670年、最初の石が置かれました。けれども、王が逝去した翌年の1716年には早くも取り壊されます。 

1787年、関税徴収所
時が経ち、革命数年前なると、パリに入る商人たちから徴税する目的で、街を城壁で囲み関税徴収所を数箇所に設けます。そのひとつがここにも造られ、それを飾る2本の円柱も建築されました。

そして革命中の1792年には「玉座転覆広場」と名が変わり、1794年には処刑台が置かれ1306人がギロチンされました。

池の中央に立つ「共和国の凱旋」を表す像。
以前はこのように池と噴水があったのです。
「ナシオン広場」 となったのは1880年7月14日、第3共和政の時代で、フランス革命が始まった7月14日を祝日に決めた記念にこのように命名したのです。
 広場の中央に池を造り「共和国の凱旋」 というブロンズの像が設置され、第一次世界大戦のときには、この像を保護する工夫もなされました。

現在、ナシオン広場中央に誇らしげに立つ「共和国の凱旋」
その後、池と噴水が取り払われ新たな台座が置かれ、共和国を象徴する広場のひとつとなり、デモ行進の出発あるいは終了地になることが多いのです。

中央の女性はフランスの自由、平等、博愛を表す女性マリアンヌ。革命家たちが被っていた赤い三角形のフリジア帽を頭にのせています。古代ローマ時代に解放された奴隷たちがかぶっていたことから、自由の象徴となった帽子です。革命のときには国王ルイ16世もこの帽子をかぶらされました。

そういえば、ルーヴル美術館のドラクロワの名作「民衆を導く自由の女神」の女性も、このフリジア帽をかぶっています。マリアンヌはフランス共和国象徴で、切手にもなっています。