2016年11月5日

メトロの駅名は語る 10

Bastille
バスティーユ (1,5,8号線)

1903年のバスティーユ駅。
フランス革命でその名を世界中に轟かせるようになったバスティーユは、 パリが小さかったころの1367年に、街を守る要塞として建築されました。当時の国王シャルル5世は、万が一の場合にそこに逃げ込むことも考えていたために、居心地がいいシャトーの役目も果たしていました。

革命前のバスティーユの内部。
 パリの人口が増え街も大きくなり、城壁が外側に張り巡らされるようになると、バスティーユは本来の役目を失います。その後は国王が変わるたびに用途も変わり、レセプションの会場になったり、財産の隠し場所になったり。

哲学者であり作家のヴォルテール。
彼は政府を中傷する詩を書き、
1717年、ルイ15世の時代にバスティーユに投獄され
一年ほど過ごします。
バスティーユを国事犯の牢獄にしたのはルイ13世の宰相リシュリューで、それ以降多くの囚人が捕らわれていましたが、身分が高い人が多かったために、待遇は割りとよく、自分好みの家具を持ち込んだり、料理人まで連れてきた人もいたほど。彼らの部屋は階上だったので居心地が良かったけれど、そうでない囚人は湿気が多くネズミがはびこる階下。牢獄でも身分の差が激しかったバスティーユでした。

1789年7月14日。バスティーユ襲撃により革命が始まります。
時ともに囚人は減少し、ルイ16世の時世には全部で306人。1789年7月14日に群集が襲撃したときには7人が捕らわれていました。旧体制の象徴と見られていたバスティーユは、直ちに壊されます。 

1840年、円柱の落成式典が行われました。
バスティーユがあった場所に、現在見られる円柱が建てられたのはルイ・フィリップ国王の時代。彼が国の指導者になるきっかけとなった、1830年7月に起きた革命の犠牲者に捧げる記念碑です。この革命は亡きルイ16世の末の弟が、シャルル10世として王座に就いていた時世に起き、フランス最後の革命となります。この革命を見事に表しているのが、ルーヴル美術館に展示してあるドラクロワの名作「民衆を導く自由の女神」

1900年のメトロ開設で広場を掘っていたとき、監獄だったバスティーユの土台の一部が見つかり、セーヌ川に近い小さな公園、スクワール・アンリ=ガリに置かれ、今でも見ることができます。