2021年3月6日

パトリック・デュポン、天空のエトワールに

 フランスが誇るバレエダンサ―、パトリック・デュポンが3月5日に旅立ちました。61歳という年齢も、突然の死も、多くの人にとって衝撃でした。詳しいことは報道されませんでしたが、数か月前から病に伏していたそうです。

10歳にもならない幼い年齢で、すでに比類なき才能を発揮し、15歳でパリ・オペラ座に迎えられたパトリック・デュポンは、超人的な飛躍や、ダイナミックでありながら優美なバレエで、世界中の人々を魅了していました。

21歳でオペラ座のエトワールになり、31歳の若い年齢で芸術監督も務めるようになったパトリック・デュポンは、クラシックバレエだけでなく、コンテンポラリーバレエにも意欲を燃やし、勇気を持って新たな分野を切り開いた人でもあります。


インタヴューに応じて下った、
稀に見る天才エトワールのパトリック・デュポン

このような格別なカリスマ性の持ち主であるパトリック・デュポンに、2度もお会いできたのは貴重なことでした。1回目は、雑誌のオペラ座特集のためのインタヴューで、オペラ座内の彼の事務所でお会いしました。

近くで見るパトリック・デュポンは、明るいブルーの瞳が限りなくチャーミングで、声にはやさしさがあり、くったくのない笑顔は、汚れなき少年のようでした。時々動かす手は、空気の中を舞っているかのようにエレガント。初めてお会いするのに、数年来の友人のように気さくに話してくださり、感動したのをよく覚えています。

インタヴューを終えてお礼を言って事務所を出ようとすると、「〇〇日に公演があるけれど、興味ある?」と言うので、もちろんですと間髪を入れずに答えると、招待状を手渡してくださっただけでなく、何とその日は、舞台の袖にまでは入れるようしてくださったのです。キレイにメーキャップし、コスチュームを身に付けたパトリック・デュポンから、秀でたエトワールの輝きがほとばしっていて、まぶしいほどでした。

シャガールが描いたオペラ座の天井画の一部。

エトワールと芸術監督を長年こなしていたパトリック・デュポンは、1998年、オペラ座を離れ、2000年には自動車事故で重傷を負いました。バレエはもう無理だと誰もが思っていたのですが、強靭的な精神を持つ彼は、リハビリを続け、再び踊りを披露します。その後は子どもたちにバレエを教える学校を設立したり、テレビ番組に出演したり活躍していたのですが、数年前からマスコミから完全に遠ざかり、3月5日に突然、悲報にが告げられたのでした。

「日本は大好きで、畳の上に寝ることもあるんだよ。僕の体には畳が合ってあるみたいだ」
パリでも時々和食レストランに行くよ、と日本びいきを明るく語っていたパトリック・デュポンでした。

「オペラ座は僕のメゾンで、家族だ」
「ダンスは体で表現するもの。言葉を発しないで、体だけで伝えるべきことを伝えるんだ」
「踊りに情熱がこもっていれば、見る人にしっかり伝わると僕は信じている」
「舞台と観客の間に距離があってはいけない」
「優れたバレエダンサ―と呼ばれるには、踊りと演技の両方が要求される。それが一つになった時、バレエは生きたものになり、観客を感動させるんだ」

多くの教えを地上に残して、パトリック・デュポンは去って行きました。今後は広い空で星たちと踊るのでしょうか。