2021年3月27日

メトロの駅名は語る 167

Malakoff -Plateau de Vanves
マラコフ=プラトー・ド・ヴァンヴ(13号線)

パリ14区に接しているマラコフ市とヴァンヴ市の駅。1883年 までマラコフはヴァンヴの一部でした。

アンリ・ルソーが描いたマラコフ。1898年作。

マラコフの名は、フランス軍が勝利を得たクリミア半島の「マラコフの戦い」に由来しています。1855年、マクマオン伯爵の指揮の元にフランス軍は勇敢に戦い、セバストポリのマラコフ要塞にたてこもるロシア軍を打ち破ります。

それがクリミア戦争を終結させることになったので、この勝利はフランス各地で熱狂的に祝われ、マクマオン伯爵は1873年に大統領に就任しています。

要塞マラコフの塔を巡る、ロシア軍とフランス軍の激戦。

パリ南部のヴァンヴで生まれた、開発企業を手広く経営していたアレクサンドル・ショヴルは、このマラコフでの戦勝に感激し、フランス軍の栄光を称える「マラコフ塔」を生まれ故郷に建築し、ヴァンヴから分離した塔がある地域はマラコフという名の町になったのです。

フランス軍の栄光を称えるマラコフ塔。

1856年に造られた50メートルもの高さのマラコフ塔は、エッフェル塔ができる前のパリの最も高い建造物で、中に入ることもでき多くの観光客が訪れ、重要なモニュメントになっていたのですが、19世紀初頭に取り壊されました。

一方、ヴァンヴの歴史は長く、1163年の資料によると、この地域は有力なサント=ジュヌヴィエーヴ修道院に属していました。1700年にはブルボン家支流のコンデ公がシャトーを建築させ、ルイ13世、ルイ14世の時世に活躍したフランソワ・マンサールを建築家として選んでいます。

コンデ公が建築させた豪勢なシャトー。現在は校舎になっています。

ナポレオンが最後の戦いを失いパリに戻った1815年に、敵のイギリス軍司令官ウエリントン公とプロセイン軍司令官ブリュヘル元帥が、コンデ公のシャトーに司令部を置いていた時期もありました。歴史的建造物に指定されているその建物には、現在、高校とエリート校グランゼコールへの準備学級が置かれています。

現在ヴァンヴは3つの地域に分かれていて、メトロの駅がある場所はプラトーと呼ばれ、高層ビルが多く近代的です。