2021年3月18日

メトロの駅名は語る 166

Plaisance
プレザンス(13号線)

この駅がある界隈は、19世紀初期まで広大な農地が広がっていました。石切り場や風車もあったり、狩猟が行われたりしていた時期もあり、1860年にパリ市に合併されました。駅名プレザンスは、この地にあった農家プレイサンスが起源とされています。

領主はサント=ジュヌヴィエーヴ修道院で、現在の学生街5区からプレザンス駅がある14区まで広大な土地を持っていたのです。威勢を誇っていた修道院でしたが、革命で破壊され、今はアンリ4世高校の一角に当時の建物の一部が残っています。

1618年のサント=ジュヌヴィエーヴ修道院。

19世紀には、レストランやキャバレーが立ち並ぶようになり、活気を帯びた地域になります。その中でもっとも人気があったのは「メール・サゲ」と呼ばれていたキャバレーで、特に文芸人の好む場所でした。1830年代には画家ドラクロワ、文豪ヴィクトル・ユーゴーやアルフレッド・ド・ミュッセ、アレクサンドル・デュマが常連でした。残念ながら、すっかり姿を消して、当時をしのべるものは何も残っていません。

気さくなキャバレーが多く誕生し、人気を呼んでいました。

19世紀になると、この地域全体が労働者たちのたまり場となり、1871年のパリ・コミューンや、第二次世界大戦のレジスタンス運動に加わる人もここから多数出ています。特に、レジスタンスの英雄と称えられているジャン・ムーランは、この駅からさほど遠くない所に住んでいた時代があり、その建物には記念碑がはめられています。現在も庶民的な雰囲気があり、それを求める人々、特に若者に人気があります。