2016年1月31日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 52

議会が王政を廃止し、
共和国になった宣言を聞くルイ16世。
左は失意のマリー・アノトワネットと王妹。
ランスでの戴冠式。
1792年9月21日、立法議会は王政廃止を宣告し、議会も国民公会と呼ばれるようになります。この名称を提案したのは、過激な革命家ロベスピエール。彼は当初から王の処刑を強く望み
「ルイは死ななければならない。国のため、人類のため、ルイは処刑されなければならないのだ」
と同士たちに力説していました。

王政が廃止されたことによって国王ルイ16世は王座を失い、ルイ・カペーとなり、フランスは共和国となったのです。
戴冠式で使用した国王の特別馬車。
若き日のロベスピエール。
ランスのノートルダム大聖堂での華やかで威厳に満ちた戴冠式から、わずか18年目のことでした。

この栄えある戴冠式を終え、パリに到着した際に、国王夫妻に祝福の言葉を送る代表に選ばれたのは、弁護士を目指していた、若きロベスピエールでした。

彼はフランスでもっとも優秀な学校ルイ・ル・グランの、将来有望な生徒と見られていたのです。
あまりにも名誉ある役割を果たしたロベスピエールは、感激で震えていたという記録があります。

その彼が過激派のリーダーとして、恐怖政治を行なうようになるのです。

2016年1月30日

ブシュロン、アニマル・コレクション

魚をモチーフにした流麗なイヤリング。
ブシュロンは、創立以来、多岐に渡るモチーフを開発してきましたが、動物を扱ったアニマル・コレクションもメゾンを代表するモチーフのひとつ。

今回発表したのは、愛らしい小鳥や、優雅な白鳥、個性的な黒鳥、キュートなエリソン、コアラちゃん、ペガサス、スネイク、あるいは、流れるような優美な姿の魚など。動物好きの私はあちこちで歓声をあげてばかり。
ペンダント、リング、時計、イヤリング、ブローチ・・・それがすべて貴石で作られている。見ているだけで高貴なオーラが伝わってきます。


いろいろあって複雑な今のパリ。輝きを散りばめるジュエリーに囲まれて、たとえ短時間であってもその近くにいられたことは幸せでした。
夢の世界を彷徨しているようで、ひたすらうっとり。

2016年1月29日

スイーツのニュー・コレクション発表

フローリスト、ステファン・シャペルのお店で発表会。
バレンタインデー。
オートクチュールのコレクションが終わったばかりのパリで、今度はスイーツの新作発表会です。

やはり老舗ルノートルのすることは違う。
ルノートルは一年に数回、新しい作品発表を行っていますが、毎回、発表会場も異なり、アイディアの豊かさを体感します。

今回のは、パリで人気のフローリスト、ステファン・シャペルのブティック。
イースター。
イヴェントがあるときに、彼に花装飾を頼んでいる仲良しだからというのがその理由。
花とスイーツ。とってもパリらしい。

今回はテーマが3つあって、
バレンタインデー、
イースター、
画家ダリへのオマージュ。

朝からお昼までのプレゼンテーションに、
ダリへのオマージュ。
ルノートルのシェフが勢ぞろい。

にこやかで丁寧な接待で気持ちがいいこと。
曇り空のパリだったけれど、心は快晴。
おいしいスイーツもお茶もたっぷりいただきました。

この次は、多分秋に新作発表会があるはず。どのようなコンセプトか、今から楽しみ。
ダリへのオマージュで昨年賞を獲得した
20歳の若いホープ、シモン。年の差がバッチリ。

2016年1月28日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 51

王妃が手がけた刺繡。
彼女のイニシャルMAが二箇所に施されています。

王妃の着替えをタンプル塔に
運ぶ際に使用した長持。
王妃はヴェルサイユ宮殿に暮していたときから、刺繡を手がけていました。手先が器用な人だったのです。

優雅なほっそりしたラインを描く「ルイ16世様式」の椅子に、王妃は自ら繊細な刺繡を施し、愛用していました。
モチーフの多くはバラの花で、小さなピンクのバラを散りばめたのもあったし、深紅の大粒のバラもありました。

タンプル塔に捕らえられている間にも、
長く退屈な時間を、刺繡をすることで紛らわすこともありました。
十分な素材がないので、壁布の糸をほどいたりして工夫していたのです。

小さな声で歌をうたうこともありました。王妃の声は細くフェミニンで、耳に心地よい響きがありました。

変化のない毎日でしたが、家族揃って暮せるのは幸せなことでした。けれどもそれが崩れる日は、すぐそこに迫っていたのです。
タンプル塔で王妃と王の妹が作ったタペストリー。

2016年1月27日

オートクチュール アルマーニ

ムラサキ一色の会場。
イタリアの代表的メゾン、アルマーニがパリで発表するオートクチュールは、ここ数年シャイヨー劇場だったり、パレ・ド・トーキョーだったり。今回はパレ・ド・トーキョーで、シャンパンのお出迎えで始まりました。

限りなくフェミニンな作品ばかり。
知性を感じさせるスタイルと特有の色彩で、多くの崇拝者を惹き付け、確固たる地位を保っているアルマーニ。創立者がいまでも現役でクリエーションを続けている稀有な存在です。

今回は品格あるモーヴがテーマカラー。招待状も淡いモーヴだし、会場もムラサキ一色。
披露されるコレクションも、様々なモーヴ。私が特に好きなカラーなのでうっとり。
花びらのような作品が次々登場し、ロングにはスワロフスキーのクリスタルが無数に散りばめられ、それがライトに照らされてキレイなこと。

アルマーニにはずっと現役で続けてほしい、私好みのデザイナーのひとりです。

2016年1月26日

オートクチュール ディオール



1月最初の華やかなイヴェントは、何といってもオートクチュールのコレクション発表。

幸いなことに、今のところ寒さも一時期遠のいているようで、外出も苦にならない。
なぜか、最近ニキビが出来て、それがちょっと気になる。それにしても、青春時代はもうとっくに終わっているのに、どうしたことかと不思議。

このところディオールのオートクチュールのショーは、ロダン美術館の中庭の特設会場が続いています。
これは常設ではないので、コレクションの内容に適した会場を毎回作るので、アイディアも資金も必要。
ゴージャスな装いの招待客たち。
今回は、天井に至るまで鏡がはめ込まれ、それが複雑に交差し、反射しながら華やかさを放射線状に散りばめていました。

今回の春夏コレクションには若さ、自由、現代性が織り込まれ、気張らずに着れそう。
とはいうものの、オートクチュールだから、そのお値段は・・・・どうみても一般向きではない。

ディオールのショーの楽しさは、招待客の装いにもある。さずが、リッチでコケティッシュなクライアントがいるメゾンだけあって、ため息が出るほどゴージャスな女性が多い。

私? お金も勇気もないので、ごく普通の服装。
文部省特選スタイルです。

2016年1月25日

パリの犬たち 61

個性的な旅姿。
ラクチン、ラクチン。
疲れないし、見晴しもいい。
頭のいい主人を選ぶことは大切だワン。

2016年1月24日

つかの間の贅沢


寒くて、しかも雨が降る日、久しぶりにクロードと
「パラスホテルでティーをしよう」
と合意。

ところが、いざ中に入ると、長身で端正な顔立ちのボーイさんに、フカフカのソファーに案内され、メニューを渡され、チャーミングな笑顔で
「何にいたしましょうか」
と問われる。

こうなると、急にいいところを見せたくなり、ティーの代わりにシャブリのワインと、芸術的なサンドィッチまでいただいてしまった。
やはり雰囲気って大事。

お天気が悪いときは、ステキなサロンでひとときを過ごす。
そう、これに限る。

2016年1月22日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 50

タンプル塔での監視つきの食事。
大きな愛で
結ばれていた一家。
国王一家が幽閉されたタンプル塔は4階建てで、1階にパリ市の役人、2階に監視人がつめ、3階が王と王子の部屋、4階に王妃、王女、王妹が暮していました。

壁は厚く、全ての窓に布が張られ、外から何も見えないようにしていましたが、家具も食事も比較的上等だったし、侍従や召使も仕えていました。

マリー・アントワネットはヴェルサイユ近くのヴィル・ダヴレの水が好きで、彼女のために、わざわざその地の水を運んでくれていました。
ヴィル・ダヴレの水のクオリティは格別で、王妃はその水しか口にしなかったのです。

王子に
様々な学科を教える国王。
タンプル塔での日々は、変化のない退屈なものでした。
今日は昨日の続きであり、明日も今日の続き。
その繰り返しでした。

真面目な国王は、将来、王になるであろう息子に勉強を教えるのが何よりの楽しみでした。

数学やラテン語、地理、歴史など、博学なルイ16世の知識は豊富で、マリー・アントワネットが見直したほど。

科学や探検にも興味を抱き、アメリカ独立戦争には、惜しみない協力をしました。そのために国庫が空っぽになり、国民の生活が最悪の状態に陥ったのです。

革命が起きた原因のひとつは、アメリカ独立戦争援助にあるのです。

王妃はゲームをしたり、王妹や王女とのおしゃべりを楽しんでいました。
監視つきとはいえ、ときには庭の散歩も許され、大喜びして駆け回る子供たちの姿を、王妃は飽きることなく見つめていました。

マリー・アントワネットは母性愛の強い、良き母だったのです。

右から王子、国王、王妃、王女、王妹。

2016年1月21日

もう始まったバレンタインデー作戦

心が浮き浮きするチョコレート店の
バレンタインデー用装飾。
バレンタインデーは2月14日だというのに、パリではすでにチョコレート店が作戦を開始。思い思いの趣向を凝らしたウィンドーを見るのは、とっても楽しい。

私は85~90%のカカオ入りチョコしか食べないけれど、見るのは別。
夢いっぱいのチョコレート店の見て歩きも、心がときめくから必要。
この寒さを無事に乗り切るためにも、細胞を活性化しなくては、ネ。

2016年1月20日

高田賢三さんとTOYOで新年会

賢三さんとの楽しい新年会。

今年は年頭にいろいろあって、賢三さんとのTOYOでの新年会がちょっと遅れてしまいました。

いつもの通りレストランで待ち合わせて、シャンパンで乾杯し、その後また日本酒で乾杯。
今年に入って何度目の乾杯かしら。

その後、賢三さんは焼酎、私はレッドワインと飲み物は異なったけれど、お料理は全部同じ。
何も言わなくても、どんどんと好みの絶品が出てくるので、楽しくて仕方ない。中山シェフの終わりを知らないアイディアに脱帽。

器もますます凝っているようで、中山クンがデザインしてスペシャルに作らせたのが多いのです。お料理と器のハーモーニーのこだわりが徹底しているのでしょう。
美味、美酒のあとは
ふたりともこの通り大ご機嫌。

この日TOYOは満席。今の時期に何てすばらしい事。クライアントはフランス人ばかり。やはりこのレストランの味の評価はフランス人の間で高いのですネ。

上品なおすましで、真冬の寒さに悲鳴をあげている体を温めて、魚料理、肉料理を全部いただき、数の子をおかわりし、お雑煮もおかわり。その後。具が豊富な手巻き寿司を口にして、幸せ度が急上昇。

あずきがたっぷり入った爽やかなデザートの後は、金柑茶。これがまた美味しくて、またおかわり。

毎月お正月が来るといいのに、と本気で思った日でした。
種類豊富な具と焼き海苔、炊き立てのご飯。
これを手巻きにしていただきました。
絵のようにキレイなデザート。

2016年1月19日

パリの犬たち 60

いい顔写真ための努力。
エッ、世界中の人に見せる写真なの?
じゃ、こんな笑顔でどう?
自分はとっても魅惑的だと思っているけれど

2016年1月18日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 49

タンプル塔に連行されるルイ16世と家族。
タンプル塔に到着した一家。

チュイルリー宮殿の襲撃後、8月13日、国王一家はタンプル塔に幽閉されました。

いつまた暴徒が襲うかもしれないし、王党派の手引きで逃亡するかもわからない。宮殿は広すぎて監視も充分に出来ない。それで選ばれたのが、中世に建築されたタンプル塔でした。

12世紀にタンプル騎士団の本拠が置かれていた広大な領地が、騎士団が解散した後分割され、塔は監獄として使用されていた時代もありました。

壁が厚く窓が小さく、外界からの侵略にも充分に耐えられると見なされ、国王一家の幽閉に最適と考えられたのです。

タンプル塔の国王と王妃。
塔の周辺にあった家はすべて取り壊し、木も切りたおし、どこからでも監視がしやすいようにするほどの神経の使いよう。
塔は、まるで、大海に浮かぶ孤島でした。

その塔に行くのに、王一家が乗る馬車は、わざと遠回りします。革命家たちはパリ市民に、自分たちの勝利品を見せびらかせたかったのです。

王の権威は、もはやなくなっていました。革命家が主権を握り、すべてを決定していたのです。
王の運命すら、彼らによって左右されることになっていました。

陰惨なタンプル塔。

2016年1月17日

新年賀詞交換会

賀詞交換会は出来るだけお着物で行くよう心がけています。
右から大使夫人、私、飯田さん。
駐仏日本大使公邸で開催される恒例の新年賀詞交換会は、誰もが待ち焦がれている楽しい行事。
お会いする人が、お互いに
「明けましておめでとうございます」
と、丁寧に挨拶を交わす光景は、和やかで気品があっていい。日本人の礼儀正しさは見ていて本当に気持ちがいい。

今年は1月15日に新年賀詞交換会が行なわれました。
鈴木庸一大使の年頭のお言葉の後、日本酒が配られ元気に「乾杯」
旧交を温められる幸福な日。
その後はバラエティに富んだビュッフェ。
お寿司、焼肉、焼き鳥、海老てんぷら、お酢の物、黒豆、お雑煮・・・

パリで日本食でお正月を味わえるのは、とても貴重で幸せなこと。
今年は着物を着ていったので、たくさんの人から声をかけられ、しかも誉められました。
「お~、今日は着物姿ですか。すっかり見違えました」
「やはり着物はいいわね」
などと心地よい言葉を耳にするのは、すごく嬉しい。
記念撮影もいっぱいあって、苦労して着物を着たかいがありました。

でも、まだまだ着付けのお勉強をしなくてはいけないと、写真を見ながら痛感。
来年はもっとビシッと着つけますね。

2016年が、世界中の人にとっていい年でありますように!!!

2016年1月16日

高田賢三さん レジョン・ドヌール勲章授与

鈴木庸一駐仏日本大使ご夫妻と
賢三さんを中心に、記念撮影。
パリ在住のデザイナー、高田賢三さんが、栄えあるレジョン・ドヌール勲章を授与することが決定。勲章授与式はこれからですが、鈴木庸一駐仏日本大使が公邸でお祝いのディナーを開催しました。

招待されたのは賢三さんの親しい友人ばかり。
大使夫人による可憐な花装飾が
施されたお洒落なテーブル。
20時に始まり真夜中近くまで、和やかで楽しい会話が途切れることなく続き、美味と会話のパリならでは、忘れがたいステキなひとときでした。

公邸のエントランスには、新年を祝う門松がきれいに飾られていて、お祝い気分が倍増。本格的な寒さが始まったパリですが、それを打ち消すような、心がこもったお出迎えに、皆、感動。日本人であることを心の底から再認識。

幸せに顔をほころばせる賢三さんと、
フィリップ、田根剛クン。
フランスへの格別な功績をなした人に与えられるレジョン・ドヌール勲章は、フランスでもっとも権威がある勲章で、1802年、ナポレオン・ボナパルトによって創設されました。
着心地がよく、しかも価格も手頃なプレタポルテを発表し、誰でも気軽にお洒落を楽しめるようにし、フランスが世界に誇るモードに一大旋風を起こした賢三さん。

レジョン・ドヌール勲章にふさわしい功績を遂げた、日本が全世界に誇る比類なきデザイナーです。

2016年1月15日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 48

襲撃されたチュイルリー宮殿。
襲撃前に衛兵の閲兵をする国王。
平等を訴える声はますます高くなり、革命は日を追って危険性を帯びるようになり、王制を廃止すべきであるという動きが強くなります。

1792年8月10日。
国王一家が住むチュイルリー宮殿に群集が押しかけます。それまで護衛にあたっていた国民衛兵が、土壇場で寝返りを打ち、あくまでも王家に忠実な、約950人のスイス人傭兵のみが必死に抵抗。

その間に国王一家は宮殿を抜け出し、そこからさほど遠くないところにあった立法議会に逃げ込みます。

現在ジュー・ド・ポームがある場所に、当時、立法議会が置かれていて、王とその家族は宮殿から徒歩で向かいます。
一家が逃げ込んだ立法議会。

その間、革命家と民衆は一致団結して、王制廃止と共和国樹立を叫び、襲撃を続けます。

この際に、マルセイユから連盟兵が援助のためにパリに来ます。
彼らは士気を高めるために歌っていました。
それは、4ヶ月ほど前のオーストリア軍との戦いのときに、兵士たちを鼓舞する目的で作った歌だったのです。

マルセイユの連盟兵が道中歌い、国中に響き渡り、後にフランス国家「ラ・マルセイエーズ」となったのでした。
チュイルリー宮殿での肖像画は途中で中止され、未完成のまま。