2016年1月15日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 48

襲撃されたチュイルリー宮殿。
襲撃前に衛兵の閲兵をする国王。
平等を訴える声はますます高くなり、革命は日を追って危険性を帯びるようになり、王制を廃止すべきであるという動きが強くなります。

1792年8月10日。
国王一家が住むチュイルリー宮殿に群集が押しかけます。それまで護衛にあたっていた国民衛兵が、土壇場で寝返りを打ち、あくまでも王家に忠実な、約950人のスイス人傭兵のみが必死に抵抗。

その間に国王一家は宮殿を抜け出し、そこからさほど遠くないところにあった立法議会に逃げ込みます。

現在ジュー・ド・ポームがある場所に、当時、立法議会が置かれていて、王とその家族は宮殿から徒歩で向かいます。
一家が逃げ込んだ立法議会。

その間、革命家と民衆は一致団結して、王制廃止と共和国樹立を叫び、襲撃を続けます。

この際に、マルセイユから連盟兵が援助のためにパリに来ます。
彼らは士気を高めるために歌っていました。
それは、4ヶ月ほど前のオーストリア軍との戦いのときに、兵士たちを鼓舞する目的で作った歌だったのです。

マルセイユの連盟兵が道中歌い、国中に響き渡り、後にフランス国家「ラ・マルセイエーズ」となったのでした。
チュイルリー宮殿での肖像画は途中で中止され、未完成のまま。