1778 年の マリー・アントワネット |
貴族夫人でさえも、いつそこに入る許可が出るかと、その光栄ある日をじっと待っていたほど。ベルタンがいかに優遇されていたかという証拠です。
内殿は王妃の好みでフェミニンな装飾がなされ、そこで彼女はハープを奏でたり、時にはひとりで食事をしたり、子供たちと遊んだり。
王妃はその部屋で、ベルタンの新しいドレスに関するアイディアに
全神経を集中させ、自分の意見を伝え、
完成するのを楽しみにしながら待つという日々を送っていました。
着飾った衛兵が居並ぶ中を、胸を張って通るベルタンは、その後、王妃の内殿に入り、親しげに長い間語り合う。
もともとヘアーも得意だったベルタンは、マリー・アントワネットの髪型も手がけていました。その役は後に、レオナールという男性に変わります。マリー・アントワネットの服装は日に日に豪華になり、
ヘアースタイルもそれに比例して派手になり、
オーストリア女帝である母マリア・テレジアの
お小言が、ウィーンからヴェルサイユに届きます。
けれどもそれも何の役にもたたず、
マリー・アントワネットの華やかさは増す一方。
小さい頃から ハープが好きでした |
夫たちはその支払いに悩むということが、日常になっていました。
ベルタンの名はフランスを飛び出し、ロシアやポルトガル、
イギリス王室にも届き、それによって彼女は莫大な財をなしました。
今や「モード大臣」ベルタの栄光も財産も、破格なものとなったのです。
続く・・・