ヴェルサイユ宮殿からパリに連れてこられた国王一家は、パリ中心にあったチュイルリー宮殿に幽閉されます。長年放置されていたその宮殿は、蜘蛛の巣がはびこる不吉な建物。当然家具もなく、急遽、最低限必要な家具が置かれました。
あまりにも突然のことで、王妃は着替えもない。ベルタンは何枚かの服を大急ぎで仕立てます。が、以前のような華やかさがすっかり失われたドレスばかり。
当時の王妃の服の記録は、残念なことにありません。
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チュイルリー宮殿 |
国王一家がチュイルリー宮殿に暮らすようになった1789年の暮れに、ベルタンはフランスを離れました。危険をいち早く察知した貴族たちが、外国に亡命したことを知ったからです。たくさんの布地やリボン、そして二人のお針子を連れたベルタンは、彼らの亡命先に行き、そこで服を制作。こうした機敏な反応がベルタンの強み。
しばらくした後に、ベルタンはお針子を現地に残してパリに戻ります。彼女の店は顧客が少なくなったとはいえ、まだ服を頼んでいた人がいたためです。
本来ならば、王妃お抱えのデザイナーということで、ベルタンにも危険が迫っていたはずなのに、彼女が店を続けていられたのは、ちょっと不思議。
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逃亡に失敗し、
パリに連れ戻された国王一家 |
ベルタンが多くの職人を抱え、その人たちの生活を支えていたために、革命家は大目にみていたからなのです。しかも、王妃は捕らわれの身といえども、着る物が必要。ベルタンは欠かせない人だったのです。チュイルリー宮殿に何度かマリー・アントワネットを訪れていたベルタンは、王妃の数少ない話し相手として貴重な存在でもありました。
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タンプル塔 |
けれども、それにも終止部が打たれます。国外逃亡を図った国王一家でしたが、それに失敗。陰惨なタンプル塔に閉じ込められたのです。そこでもベルタンはマリー・アントワネットの服を作っていました。簡素とはいえ、王妃はベルタンの服に身を包むたびに、過去の栄華に時代を思いをはせていたかもしれない。が、ベルタンはもっとも悲惨な服をマリー・アントワネットのために作る日がきます。ルイ16世が処刑されたからです。
続く・・・