2010年11月29日

マリー・アントワネットのデザイナー10

マリー・アントワネットと
二人の子供たち
ルイ15世の愛妾だったデュ・バリー夫人は、ベルタンの顧客でもあったのです。ロンドンで再会した二人でしたが、ベルタンがそこにすっかり落ち着いたのに比べて、デュ・バリー夫人はフランスとの間を何度か行き来しています。

そもそもデュ・バリー夫人がロンドンに行ったのは、盗まれた彼女の宝飾がロンドンで見つかったらしいという情報があり、その確認のため。彼女がロンドンにいる間に革命は激化し、国王が処刑され、フランスは王侯貴族には危険な国になった。それなのにデュ・バリー夫人は、わざわざ戻って行ったのです。ベルタンの忠告も聞き入れずに。

それというのも、残してあるたくさんの宝飾品や、国王からプレゼントされた館が気になってしかたがなかったから。
彼女の命取りとなってしまったのは、この浅はかな考えのため。
以前の使用人の通告によりデュ・バリー夫人は捕らえられ、コンシエルジュリーに送られたのです。
彼女が閉じ込められたのは、マリー・アントワネットの元独房。
王妃が処刑され、空っぽになっていたその独房に捕らえられていたいたデュ・バリー夫人は、王妃と同じコンコルド広場で処刑され、王妃と同じ共同墓地マドレーヌに葬られました。


過去の華やかな王妃のドレス
ベルタンがフランスに戻ったのは、革命が終わり平和を取り戻したことを確認してから。世が変わり、ナポレオンが皇帝になり、ジョゼフィーヌが優雅な妃としてフランスのエレガンスを外国に示していました。が、それはベルタン作ではなく、ルロワ制作。ベルタンの名があまりにも旧体制、特にマリー・アントワネットと結び付いていたために、故意に避けていたと考えられています。
いかにもナポレオンらしい。

年老いたベルタンが、パリ郊外のサン・クルー城の庭園を歩いていたときのこと。そろそろ帰ろうとしたその時、彼女は気品ある美しい女性を目にとめます。その人は何と、ナポレオンの二番目の妃、マリー・テレーズ。
マリー・アントワネットが
こよなく愛したバラ
その姿を見たベルタンは大きな衝撃を受け、心臓が早鐘のように激しく打ち、やっとの思いで家にたどり着きました。
マリー・テレーズはマリー・アントワネットの姪の娘なのです。

マリー・アントワネットとの絆が強かったベルタンにとって、王妃は多くの思い出のある忘れられない人。そうした人の血をひく女性を目の前に見たベルタンの衝撃は、あまりにも大きかった。その翌日、1813年9月22日、ベルタンは心臓麻痺で66歳の生涯を閉じました。
マリー・アントワネットに気に入られていたデザイナーらしい最期です。
おわり