マリー・アントワネットと 二人の子供たち |
そもそもデュ・バリー夫人がロンドンに行ったのは、盗まれた彼女の宝飾がロンドンで見つかったらしいという情報があり、その確認のため。彼女がロンドンにいる間に革命は激化し、国王が処刑され、フランスは王侯貴族には危険な国になった。それなのにデュ・バリー夫人は、わざわざ戻って行ったのです。ベルタンの忠告も聞き入れずに。
それというのも、残してあるたくさんの宝飾品や、国王からプレゼントされた館が気になってしかたがなかったから。
彼女の命取りとなってしまったのは、この浅はかな考えのため。
以前の使用人の通告によりデュ・バリー夫人は捕らえられ、コンシエルジュリーに送られたのです。
彼女が閉じ込められたのは、マリー・アントワネットの元独房。
王妃が処刑され、空っぽになっていたその独房に捕らえられていたいたデュ・バリー夫人は、王妃と同じコンコルド広場で処刑され、王妃と同じ共同墓地マドレーヌに葬られました。
過去の華やかな王妃のドレス |
いかにもナポレオンらしい。
年老いたベルタンが、パリ郊外のサン・クルー城の庭園を歩いていたときのこと。そろそろ帰ろうとしたその時、彼女は気品ある美しい女性を目にとめます。その人は何と、ナポレオンの二番目の妃、マリー・テレーズ。
マリー・アントワネットが こよなく愛したバラ |
マリー・テレーズはマリー・アントワネットの姪の娘なのです。
マリー・アントワネットとの絆が強かったベルタンにとって、王妃は多くの思い出のある忘れられない人。そうした人の血をひく女性を目の前に見たベルタンの衝撃は、あまりにも大きかった。その翌日、1813年9月22日、ベルタンは心臓麻痺で66歳の生涯を閉じました。
マリー・アントワネットに気に入られていたデザイナーらしい最期です。
おわり