2016年4月1日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 70

義理の妹エリザベット

牢屋に戻った王妃は紙とペンを要求します。
数時間後に迫った永遠の別れの前に、最後の言葉を残したかったのです。

タンプル塔に閉じ込められている息子と娘に宛てて書くのは、あまりにもつらいことなので、王妃はルイ16世の妹エリザベットに宛てて書くことにします。

2本のローソクの明かりの下で、心からの叫びを必死に綴ったその遺書は、王妃が望んだように義理の妹の手に渡らず、没収されてしまいます。

マリー・アントワネットが処刑されたこともしらないまま、タンプル塔に暮していたエリザベット王女は、その後、義理の姉と同じようにコンシエルジュリーに移され、革命裁判にかけられ、死刑の判決を受けます。王妃処刑から約半年後の1794年5月10日、美しい盛りの30歳の生涯を閉じます。

刻々と迫る最期を前に、マリー・アントワネットはひたすら綴っていました。死を直前にした人の心の乱れがまったくないような整った文字で、そこにも王妃の気高さが感じられます。

「我が妹よ・・・・
最後の手紙を貴女に宛てて書きます。
今、判決を受けてきました。

恥ずべき死ではありません。そうした死は犯罪人のみに与えれられるものなのです。私は貴女のお兄様に再びお会いするために行くのです・・・・

かわいそうな子供たちから離れることがとても残念です・・・
彼らが大きくなったいつの日にか、貴女とご一緒になれて、貴女の優しいお世話を受けられる喜びを充分に味わえることを願っております・・・

年上の娘は弟より多い経験から、彼に忠告を与えたり助けなければならないことが分かるでしょう。
国立資料館に保管されている
王妃の遺書。

アデュー、我が善良で優しい妹よ、
どうかこの手紙が貴女の元に届きますように!
常の私のことを思ってください。
貴女と哀れでいとしい子供たちを心の底から抱擁します。
ああ! 彼らと永遠に別れることは何とつらいことよ!
アデュー! アデュー! ・・・」

23x19cmの紙に書きふたつに折った遺書は、王妃の最後の望みであったにもかかわらず、エリザベットに届けられず、革命の旗頭であり、恐怖政治を行い、多くの人を処刑に追いやったロベスピエールの手に渡ります。

その彼が失脚し処刑された際に、国民公会議員クルトワがサノトノレ通りのロベスピエールの自宅で書類の押収をします。その中に王妃の遺書を見つけたのでした。王妃は遺書と一緒に手袋と王子の髪の毛も遺品として残していました。
クルトワはロベスピエールの住まいで見つけた多くの書類は政府に渡しますが、マリー・アントワネットの遺書と遺品は、誰にも語らずに長年自宅に隠し持っていました。

時代が変わりナポレオンが国を治め、失脚し、王政復古で王座についたルイ18世の時世に、革命時の王家に関する調査が行なわれます。クルトワ邸の家宅捜査も行なわれ、隠し持っていた多くの品々を発見。王妃の遺書と遺品も無傷で見つかり、押収。1816年のことでした。

クルトワはルイ16世処刑賛成に一票を投じた人物。そうした彼が王妃の貴重な遺品を隠し持っていた理由が論議されていますが、有力なのは、いつかそれでひと財産を築こうとしていたという説です。

王妃の遺書は現在、パリの国立資料館に大切に保管されています。その遺書に彼女はサインをしませんでした。王妃はサインをする習慣がなかったのです。