2016年4月15日

ナポレオン セントヘレナ島遺品展

ヨーロッパにフランスを中心とした大帝国を築く夢を描いていたナポレオンが、連合軍との戦いで大敗し、大西洋の孤島セントヘレナに流刑されたのは1815年。

当初はそこから脱出し、アメリカに亡命する意志もあったようですが、それも実現することなく、セントヘレナ島で病で51歳の波乱に富んだ生涯を終えたナポレオン。自分の力で最高峰の地位を獲得したナポレオンは、数々の偉業をなし、崇拝者は今でも世界中にいて、ナポレオンに関する展覧会があるたびに多くの人が足を運びます。

ナポレオンが眠るアンヴァリッドに隣接する軍事博物館で、今、重要な展覧会を開催しています。彼が生涯を閉じたセントヘレナ島で使用していた遺品が、パリに運ばれたのです。

ナポレオンがセントヘレナ島で
愛用していたベッドと家具。

母の肖像画つきネックレス、
息子の肖像画と
ジョゼフィーヌの肖像画。
シンプルな部屋着と
室内履き。
何しろセントヘレナ島から、2世紀もの間離れることがなかった品々。それらを目の前にすると、まるで、その島の空気まで身近に感じられるような錯覚に陥ります。ナポレオンの最期まで共にいたひとつひとつの遺品が、無言で、でも、貴重な事柄を語りかけているのかもしれません。

特に、彼の日常生活で使用されていた品々が私には興味深かった。シンプルなベッド、シンプルな部屋着、室内履き、退屈な島での数少ない娯楽のビリヤード台。大きな地球儀もふたつあり、それをぐるぐる回しながら、実際には行くことが出来ない国々に想いを馳せていたのかもしれない。

セーヴル焼きの豪華なお皿。
ビリヤード台と地球儀。
あれほどの人物は、人類の歴史上それほど多くいない。確かに彼はヨーロッパを戦場にしたけれど、後世に残したものも多い。ナポレオンが触れたという地球儀を見ながら、もっと長生きしたら世界地図が変わっていたかもしれない、とふと思ったりしました。

立派な家具の上にはひとり息子、ローマ王の彫刻が置いてあり、きっとナポレオンはその彫刻に向って話しかけていたに違いない、などど思うと胸が締め付けられます。

食器は豪華でセーヴル焼き。
戦地やパリのモニュメントが描かれているのが、ナポレオンにふさわしい。皇帝時代の華やぎがその一枚一枚からほとばしっています。実際にはナポレオンは食事は短時間ですまし、時には食事したことさえ忘れたほどだったという。

家族を大切にしていたナポレオンの心が伝わってくるのは、母の肖像画飾りがあるジュエリーや、最初の妃ジョゼフィーヌと息子のポートレート。彼はそれを常に身近に置き、毎日見ていたという。
でも、2番目に迎えた妃マリー・ルイーズの記念品は何もなかった。戦いも地位も失った自分を見捨てたマリー・ルイーズに、ナポレオンは未練がなかったのでしょう。
愛用していた麦わら帽子と杖にも、心打たれるものがありました。
かつて無敵だった皇帝の、年老いた姿が目に浮かぶようだったからです。

久しぶりの軍事博物館。
現在は船でしか行かれないセントヘレナ島。でも、2017年には飛行場が完成するそう。それに合わせて、ナポレオンが暮していたロングウッドの館の修復も進んでいます。いつかぜひ訪問したい島です。

ナポレオン展 軍事博物館
7月24日まで