早熟でおしゃべりが好きな王子ルイ・シャルル。 |
1785年3月27日、 王子は生まれたその日に ヴェルサイユ宮殿の礼拝堂で 洗礼を受けました。 |
それ以降、王子は散歩に出ることがなくなったばかりでなく、王子の部屋に入る人さえいなくなりました。つまり、彼はたったひとりで、太陽も入らない陰惨な部屋に閉じ込められていたのでした。
まるで、檻の中の凶暴な動物のような扱いだったのです。
王子を診察した医師ペルタン。 |
窓が開けられることもなく、彼に言葉をかける人も、姿を見せる人もいないまま、時は更に経っていきました。
約半年後の7月28日、国内軍最高司令官バラスが、
突然、タンプル塔の王子を訪ねます。
バラスは血で血を洗う恐怖政治に終止部を打とうと、同士たちと立ち上がり、過激派を捕らえコンシエルジュリーに送った人物です。
1794年7月28日、もっとも冷酷でもっとも過激な革命家ロベスピエールと彼の仲間が処刑され、長年続いた恐怖時代が一段落します。
貴族出身のバラスは、真っ先に、捕われていたルイ・シャルルの身を案じます。カビの匂いがはびこる部屋で、生気のかけらもない王子を見たバラスは、
ルイ・シャルル・カペーの 死亡証明書。 |
ルイ・シャルルを診察した医師ペルタンは、王子が悪性の結核にかかっていると判断。薬を用意し、窓を開け新鮮な空気を入れるようにと指示も出します。
けれども衰弱しきっていたルイ・シャルルの命を救うことは出来ませんでした。1795年6月8日午後3時。彼は10歳の短い生涯を閉じます。
10歳の生涯をタンプル塔で閉じた ルイ・シャルル。 |
王子は救出されたとか、自分こそ、その王子であるとか、その子孫は今でも健在であるとか、2世紀もの間様々な説が飛び交っていましたが、2004年のDNA鑑定で、王子は確かにタンプルで死亡したことが判明したのです。
国王になることもなく、たったひとりで世を去って行ったルイ・シャルルでした。