2016年4月9日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 74

マリー・アントワネットが
処刑場で落としたとされている靴。
革命広場に設置された処刑台にのぼる王妃は、粗末な牢屋に閉じ込められていたときと同じように、品格を失っていませんでした。
背をのばし、正面を見つめる引き締まった顔には、王族として生まれた人が持つ輝きさえありました。

階段を一歩一歩ひとりでのぼっていた王妃は、つまづいて片方の靴を落とし、ある人物が秘かに拾い、隠し持っていました。
それをロジェ・フランソワ・バルナベ・ド・ゲルノン=ランヴィル伯爵が買い取り、彼の子孫が代々保管していました。ゲルノン=ランヴィル家はノルマンディー地方の有力な貴族で、シャトーをいくつも持つ大富豪で、王党派でした。彼の子孫が1946年に王妃の靴をカン市のミュージアムに寄贈し、現在、そこに保管されています。

1989年に展示されたときの映像によると、低いヒールのその靴は、ボルドー色の革靴で靴の先にはベージュの布のプリーツ飾りがあります。マリー・アントワネットはリボンやプリーツ飾りのあるフェミニンな靴を好んでいました。
サイズは王妃の他の靴と同じ36.5のようです。
この靴こそ、マリー・アントワネットに最期まで伴っていた貴重な形見。

靴を残したまま運ばれた王妃の遺体は、革命広場にもっとも近くにあったマドレーヌ墓地に埋葬されました。そこでは1月21日に処刑されたルイ16世が永遠の眠りについていました。