オーストリア風の装いの17歳の王女。 |
国王夫妻の愛を 独占していた王女。 |
その日は彼女の17歳のお誕生日でした。
王女は母の死も叔母の死も知らされていなかったために、どこか別の監獄に移され、そこに暮らしていると思っていたようです。
タンプル塔の階下に弟が暮らしていたことは知っていて、幼いルイ・シャルルの健康を気にかけていました。 けれども、その悲惨な死を知らずに、話し相手もいないまま、たったひとりで約2年間、タンプル塔の厚い壁の中で日々を送っていたのです。
タンプル塔から出る王女。 |
マリー・テレーズが結婚した アングレーム公。 |
約3年半捕われていた タンプル塔を離れる際、王女はわずかな持ち物を鞄につめました。その中には、母マリー・アントワネットが彼女と一緒に暮らしていたときに、壁布からた糸を紡いで作った靴下止めもありました。それは王女にとって、掛け替えのない遺品でした。
当初はウィーンの 宮殿に住んでいましたが、ナポレオンが攻め入ったためにそれ以降亡命の旅を続けます。ロシア、ハンガリー、ポーランド、イギリスと。
アングレーム公爵夫人になった マリー・テレーズ。 |
アルトワ伯が後にシャルル10世としてフランス国王の座につき、再び宮廷生活を味わいます。
いまわしい思い出が詰まった陰惨な タンプル塔は、1808年、ナポレオン皇帝の命令で取り壊されました。その際、マリー・テレーズが壁に書いた文字が見つかり、多くの人の涙を誘いました。
マリー・テレーズは世界で一番不幸な人。
母の様子をしることができないし
近くにいくこともできない。
それを何度もお願いしたというのに。
大好きな善良な母、 バンザイ!
そのほか、彼女のベッドが置かれていた近くには次の文字がありました。
おお神よ、処刑に追いやった彼らを許し給え。
義父にも夫にも先立たれたマリー・テレーズは、慈善事業に携わり、晩年を過ごしていたウィーン郊外のフロースドルフ城で、波乱に富んだ72歳の生涯を静かに閉じました。