2015年10月16日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 10

結婚を数ヶ月後に控えた1769年。
大好きなシェーンブルン宮殿で
クラヴサンを奏でるマリー・アントワネット。

お妃教育が本格的に行なわれ、特にフランス語の集中教育に力を入れ、フランスからマチュー=ジャック・ド・ヴェルモン神父がフランス語教授としてウィーンに向います。

ソルボンヌで博士号を取得し、マザラン図書館館長でもあった真面目一方の博学な彼は、落ち着きのないマリー・アントワネットに手を焼きながらも、時間をかけて丁寧な教育を行い、王女の信頼を受けるほどになります。

ヴェルモン神父によるとマリー・アントワネットは、「多少怠けるところがあり、軽率でもあり、そのために皇女の教育は困難であった」

そうしたマリー・アントワネットには、遊びを加えた教育方法がよろしいと判断し、それが成果をあげるようなったのでした。
彼女がヴェルサイユ宮殿に暮すようになってからも、彼は常に身近でにいて、相談役を勤めたほどマリー・アントワネットは信頼を寄せていました。

革命が起きた1789年にフランスを逃れ、ドイツのコブレンツ、更にウィーンに避難し、そこで71歳の生涯を閉じます。