結婚を数ヶ月後に控えた1769年。 大好きなシェーンブルン宮殿で クラヴサンを奏でるマリー・アントワネット。 |
お妃教育が本格的に行なわれ、特にフランス語の集中教育に力を入れ、フランスからマチュー=ジャック・ド・ヴェルモン神父がフランス語教授としてウィーンに向います。
そうしたマリー・アントワネットには、遊びを加えた教育方法がよろしいと判断し、それが成果をあげるようなったのでした。
彼女がヴェルサイユ宮殿に暮すようになってからも、彼は常に身近でにいて、相談役を勤めたほどマリー・アントワネットは信頼を寄せていました。
革命が起きた1789年にフランスを逃れ、ドイツのコブレンツ、更にウィーンに避難し、そこで71歳の生涯を閉じます。