2015年10月18日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 11

1770年5月7日、ストラスブールに到着したマリー・アントワネット        
フランスに引き渡される儀式は、ストラスブール近くの、ドイツとフランスの間を流れるライン川の中州に設けた、特別式場で行なわれました。そこに入る前はオーストリア人であり、出たときにはフランス人となっていたマリー・アントワネットでした。

式場では、ウィーンからの旅の間に着ていたオーストリア製の衣類をひとつ残らず脱ぎ、フランス製に着替え、その瞬間に彼女は故国に別れを告げ、見知らぬ国フランスに生涯を捧げる運命を受け入れたのです。

ルイ15世は皇女の長旅のために、豪華な馬車を2台作らせウィーンに送っていました。1台は四季の刺繡をほどこした深紅のビロード張りで、もう1台はブルーのビロード張り。両方とも座席の周りにガラスを張り巡らし、中のマリー・アントワネットがよく見えるようになっていました。
「マダム・エティケット」
ノアイユ伯爵夫人
1770年4月21日、オーストリアを後にし、彼女が乗る馬車の後に、117人の随行人のための46台
もの馬車が続く大行進でした。その道中、各地で熱狂的歓迎を受け、それに立派に応えていたマリー・アントワネットは14歳。

ストラスブールでフランス側に入ったマリー・アントワネットは、そこでひとりの気位高い女性を紹介されます。ヴェルサイユ宮殿で彼女に礼儀作法など、こまかい教育をほどこす女官長、ノアイユ伯爵夫人です。

あまりにも口やかましく躾をする27歳年上の女官を、マリー・アントワネットは「マダム・エティケット」とあだ名をつけ、王妃になったときに、待ってましたとばかりに即刻解雇します。