2015年10月28日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 16

王太子妃になった日から、「マダム・エティケット」とマリー・アントワネットが名付けた女官長、ノアイユ伯爵夫人のやかましい躾が始まります。

ヴェルサイユ宮殿での生活は、朝起きてから夜寝るまで儀式に続く儀式。食事でさえも公開で、着飾った貴族や諸外国大使が見つめる中だったのです。

この、儀式に埋もれる、まるで舞台の上で演じるような、見せるための宮廷生活を考えたのはルイ14世。国王の威厳と華やかさを、国民と外国に見せるのが目的だったのです。

シェーンブルン宮殿でのびのびと育ったマリー・アントワネットには、規則だらけの生活は苦痛でしかなかった。まだ遊びたい年齢の王太子妃は、ノアイユ伯爵夫人によって、がんじがらめにされていたのです。

駐仏オーストリア大使
メルシー伯爵
それだけでなく母マリア・テレジアは、彼女に忠実な外交官メルシーにマリー・アントワネットの監視役を頼み、ヴェルサイユ宮殿での一部始終を報告させていました。王太子妃の心得を無視した行動を行なうたびに、お小言の手紙がウィーンからヴェルサイユに届けられていたその陰に、メルシーがいたのでした。

マリー・アントワネットの父の故郷である、ロレーヌの名門貴族出身のメルシー伯爵は、トリノ、サンクトペテルブルクのオーストリア宮廷代表として活躍。その後マリア・テレジアの信頼を受け、1766年にフランス駐在大使に抜擢されました。フランス王太子とマリー・アントワネットの結婚実現に大きな役割も果したのも彼です。
革命が起きた1789年にフランスからベルギーに逃れ、その後ロンドンに移り、その地で67歳の生涯を閉じます。

このようにマリー・アントワネットの日々は、ガラスケースの中にいるようなものだったのです。