2015年10月26日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 15

ルイ15世広場での祝賀花火。
結婚祝いの最後を飾ったのはパリ市主催の花火。5月30日のことでした。
その日、国王も王太子も連日の祭典で疲れはて、パリまで行く元気がなく早めに休み、マリー・アントワネットは国王の王女アデラィッドと馬車に乗り、夜8時頃にパリへと向かいます。

当時のルイ15世広場。
中央に国王の騎馬像、
その先の左側の建物にクリヨン伯爵が住み、
現在はクリヨン・ホテル。
花火はルイ15世広場(現在のコンコルド広場)で行なわれることになっており、早朝から群集が集まっていました。セーヌ川には飾り立てた船が何隻も浮かび、広場の噴水にはワインが並々とそそがれ、周囲には無数のたいまつが灯され、祭典気分は最高潮。

マリー・アントワネットたちが乗った馬車が、サンクルーとパリをつなぐセーヴル橋に差し掛かったころ、花火の音が聞こえました。胸をときめかせながら、もうじき広場に到着すると喜びに顔をほころばせたその瞬間、馬車が止められたのでした。

見ると人々が叫び声をあげながら逃げ回っている。大きな火事が発生したのだという。群集は右往左往し、転倒する人が続出。そうした人の上を飛び跳ねながら、誰もが安全な場所へと急ぐ。
急遽、ヴェルサイユに戻ったマリー・アントワネットは、この惨事で132人もの犠牲者が出たことを知り愕然とします。

結婚証明書のシミといい、この惨事といい、不吉な予告があった結婚式と祭典でした。