1767年、11、12歳のマリー・アントワネット。 |
ハプスブルク家は幾世紀もの長い間、結婚を重要な政策とし、ヨーロッパの王家との縁組みによって国土を広げ、権力を増していました。
家訓に従い、姉たちが外国の王家に嫁いだように、末娘マリー・アントワネットにも順番がまわってきて、真剣に嫁ぎ先が考えられるようになったのが、この年齢のとき。
ルイ15世 |
その手っ取り早い解決方法は、両家を結婚で結びつけること。
次にマリア・テレジアが目につけたのは、国王ルイ15世の孫で王太子のルイ・オーギュスト。
夫が亡くなってから、 生涯喪服姿だった マリア・テレジア |
それからというものマリア・テレジアは、ルイ15世の説得に全精力を傾け、やっと正式に承諾を受け取ったのが1769年6月。
マリー・アントワネットは13歳でした。
実はフランス国王も、ハプスブルク家の皇女を妃に迎えることにかなり乗り気だった。けれども、フランスの権威を示したかったために、わざと返事を遅らせマリア・テレジアを苛立たせていたのです。
結婚式は翌年春に執り行うことも決定すると、大喜びしたマリア・テレジアは、諸外国に報告書を送り届けさせたほでした。
挙式までわずか1年しかない。マリー・アントワネットのお妃教育が本格的に始まります。