2015年12月6日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 32

マリー・アントワネットがもっとも好きだったのは、ウィーン近郊のシェーンブルン宮殿でした。そこには立派な劇場があり、得意になって劇を演じていたマリー・アントワネット。

プティ・トリアノンの庭園内に建築させた、
宝石のような「王妃の劇場」 の断面図。
ヴェルサイユ宮殿内の豪華なオペラ座で、音楽会や劇が上演されていましたが、それはあくまでの宮廷生活の一部。もっと気楽に楽しみたいと思うようになった彼女は、プティ・トリアノンの庭園の中に「王妃の劇場」建築を思い立ちます。

リシャール・ミックが建築家として選ばれ、工事は順調に進み、王妃の希望に従った、淡いブルーと金箔を基調として完成した優美な小劇場。そこで彼女は義理の弟や貴族夫人と劇を演じたり、オペラを歌ったり。

この劇場の最後の出し物はボーマルシェ作の「セヴィリアの理髪師」1785年9月16日でした。その後「首飾り事件」が起き、国民の反感をかい、劇どころではなくなったのです。
革命の時には外観が地味で目立たなかったために、破壊されることもなかった貴重な建造物です。

裏手に広がるイギリス庭園の中には、「フランス館」もありました。この館はプティ・トリアノンと同じに、ルイ15世の時代に、愛妾ポンパデゥール夫人のために建築開始。

マリー・アントワネットは一切手を加えずに、そのまま使用していました。コンサートを開いたり、トランプ遊びをしたり、舞踏会を催したこともあります。そうした時にはテントを張って、館を広げる工夫もしました。
プティ・トリアノンの庭園を
王女、王太子と散策する王妃。
突き当たりは「フランス館
その右手に「王妃の劇場」があります。