2015年12月14日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 36

王妃はジュエリーがとても好きな人でした。彼女がもっとも気に入っていたのはパール。現在のように養殖真珠がなかった時代だったので、自然に育つパールは驚くほど高価でした。

事件を引き起こした
ネックレス。
真珠の気品ある光沢は、透明感があるマリー・アントワネットの肌にぴったりで、彼女の多くの肖像画で身につけていることからも、いかにこの宝石に魅せられていたか分かります。もちろんダイヤモンドやルビー、サファイアなどの華やかなジュエリーも持っていた王妃です。

子供の頃からジュエリーをつけ、それに魅せられていた王妃は、ある日、大変な事件に巻き込まれます。

1784年12月28日、王妃の親しい友人と自称するジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人に、宝石商ベーマーとバッサンジュが会います。

・・・亡き前王ルイ15世が、愛妾デュ・バリー夫人のために540個のダイヤモンドを使用した、2840カラットのネックレスをオーダーなさり、作成したのですが、国王逝去で引き取り手がいなくて資金的困難におちいっているのです・・・
二人の宝石商
右ベーマー、左バッサンジュ
ふたりの宝石商はいかにも困惑した顔で
語ります。

・・・王妃におすすめしたところ、大変興味をお持ちになったようなのですが、あまりにも高額でお断りになったのです。貴方様は王妃とお親しいと伺っております。何とかお力をお借りできないものでしょうか・・・

悪知恵が働くジャンヌはそれを聞いて一案を思いつく。
・・・いいアイディアがあります。ロアン枢機卿に間に入っていただくことです:・・・
ロアン枢機卿
このチャンスをいかして大もうけをしようと企んだ彼女は、
矢継ぎ早に計画を練り、実行します。

《これほど高価なジュエリーを公に買うことは出来かねます。私の代理としてロアン枢機卿にお受け取りいただき、4回払いでお支払いしたいと思います》
という内容の王妃の偽の手紙を準備したジャンヌは、それをかねがね王妃に気に入られたいと願っていたロアン枢機卿に渡す。

庭園の薄暗い中で、ジャンヌが雇った偽の王妃に声までかけられたロアンは、すっかり信用し、王妃のお役に立てると大喜び。王妃の代理という名誉ある役割を果し、1785年2月1日、宝石商からネックレスを受け取ります。
ネックレスはジャンヌが直接王妃に渡すという筋書きになっていたので、枢機卿は安心して彼女に委ねます。

ジャンヌ・ド・ラ・モット
ネックレスを手にしたジャンヌは、直ちにバラバラにし、夫に身につけさせロンドンに運ばせます。見事なクオリティーのダイヤモンドは瞬く間に高値で売れたのでした。

7月に入ったとき、王妃から最初の支払いがないために、ベーマーは催促の手紙を王妃に送ります、が、彼女はそれを読まずに処分。

8月、一向に返事が来ないので、王妃の女官カンパン夫人にネックレスのことを打ち明ける。
驚いた女官はマリー・アントワネットに告げ、ジャンヌ・ド・ラ・モットの巧妙な詐欺にかかったことを知ったのでした。
国王夫妻はこの事件の関係者を
              裁判にかけることにします。

捕らえられていた監獄から脱出し、
セーヌ川の船に乗るジャンヌ。
そのために事が公になり。国民の憎悪は、本来は被害者である王妃に集中したのです。彼女の日頃の軽い行動が、こうした事件を引き起こしたというのです。

裁判の結果ロアンは無罪で、ジャンヌは有罪の判決を受け、フランス語の泥棒の頭文字Vの焼印を押され投獄されます。けれども、なぜか民衆の同情を得た彼女は脱獄に成功し、ロンドンに渡り、その地で35歳の人生を閉じます。

通常「首飾り事件」と呼ばれるこの出来事が、革命の引き金のひとつになるのです。
王妃は「赤字夫人」と呼ばれ、国民の反感をかい、厳しい非難の視線を浴びるようになります。