2015年12月13日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 35

シンプルなシュミーズドレスと麦わら帽子。
田園にふさわしい服装を、
貴族夫人たちも競って模倣しました。
リシャール・ミック
自分の思い通りの楽しみをもっと味わいたい、と思ったマリー・アントワネットは、プティ・トリアノンの庭園の一番奥まった地に大規模な村落を造らせます。

ノルマンディー地方にいるような田園を、というのが彼女の希望で、それを実現したのはリシャール・ミック。庭園内の「愛の神殿」や「王妃の劇場」も手がけた、マリー・アントワネットお気に入りの建築家です。

彼は革命が起きた際に、王妃を脱出させようとしたと嫌疑がかけられ、裁判で死刑の判決を受け、王妃処刑から10ヶ月後、65歳で世を去ります。

マルバラ塔
王妃の希望を入れて、村落に人口の大きな湖を作り、その周囲に「王妃の家」「水車小屋」「マルバラ塔」「鳩小屋」「守衛の家」「ビリヤードの家」「小居室」「乳製品加工場」などを建築します。

その他、牧場も作り、そこで牛や山羊、
にわとりも飼っていました。野菜畑もあり、そこで育つ野菜や果物を食べていたし、牛乳も村落で作る自家製を好んでいました。

王妃の家
人口の湖に面している「マルバラ塔」から小舟に乗ったり、長い時間をかけて釣りをし、とれた魚を料理することもありました。

ここに植えられた木は48000本。
このようにして、緑豊かなノルマンディー地方の田園が、ヴェルサイユの敷地内に実現したのです。

宮殿では王妃だったマリー・アントワネットでしたが、この村落では「ひとりの自由な女性なの」と語っていた彼女は、煌びやかなドレスでなく、シンプルな服のみ着用。
農婦の服装も楽しんでいた王妃。
時には農家の女性のような服装もしたマリー・アントワネット。

そうした彼女は生き生きしていました。王妃のお供を許されていたのは、限られた貴族夫人のみ。その誰もがシンプルな服で、田園風景に溶け込んでいました。王妃の子供たちも自由に飛び回り、にわとりが生む卵を驚喜しながら集めていました。

国王はほとんど顔を出すことはなく、マリー・アントワネットはクラヴサンを奏でたり、歌ったり、ダンスをすることもありました。フェルセンが訪れたこともあります。
この村落はマリー・アントワネットにとって、ユートピアだったのです。
時にはこの村落で祭典も行いました。