生後間もないルイ・シャルル。 |
第二王子ルイ・シャルルが生まれたのは1785年3月27日で、生まれですぐにノルマンディー公の称号を受けます。
活発でお茶目なルイ・シャルルは、優しい父と母、姉、兄と共に、ヴェルサイユ宮殿で平和な日々を送っていました。
彼の運命が大きく変わったのは1789年、兄である王太子が結核で世を去ったとき。兄亡き後直ちに王太子になったルイ・シャルルは、その日から未来の国王としての教育と躾が始まったのです。
ところが、それもわずかな期間で、その年の10月6日、パリから暴徒たちがヴェルサイユ宮殿におしかけ、
革命前に母、姉と連れ立って 庭園を散歩する王子。 |
ルイ14世が宮廷をヴェルサイユに移し、そのために放置されていたチュイルリー宮殿は、くもの巣がはびこり、壁は薄汚れ、家具もなく殺風景で、そこに暮すようになった王子は怖さに震えたほどでした。彼は4歳の
幼さだったのです。
しばらくの後、ヴェルサイユ宮殿から家具が運ばれ、花も飾り、オモチャも手にし、王子としての生活が再会されます。以前のように儀式に時間を取られることもない父と母、そして弟思いの姉とのささやかな、けれども愛に満ちた生活を送ります。
ブロンドの愛くるしい王子。 |
父が処刑されると、ルイ・シャルルはそれまで同室に暮らしていた、母、姉、叔母から引き離されます。
当初は、元靴屋のシモン夫婦が彼の世話をします。
子供がいなかった彼らは王子をかわいがり、王子も彼らになつき、少年らしい小さな幸せを味わっていました。
ところが、その内彼らは塔から出され、それ以降はろくな食べ物も与えられず、散歩も許可されず、窓が開けられることもない陰気な部屋に閉じ込められ、病におかされ、衰弱しきって10歳の短く哀れな生涯を閉じます。死因は結核とされています。
タンプル塔で描かれた肖像画 |
自称王子も何人も出現。
けれども現代科学により、王子は確かにタンプルで死亡したことが立証されました。
王子が亡くなった際に、医師ペルタンが解剖を行い、その時彼は、王子の心臓を秘かにポケットにしまい、自宅に保存していたのです。
その心臓と、マリー・アントワネットの遺髪、親族のDNA鑑定の結果、それが判明したのです。2004年のことでした。
現在、王子の心臓は父と母が眠る、パリの北にあるサン・ドニ教会に葬られています。