2015年12月26日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 42

チュイルリー宮殿での王妃
チュイルリー宮殿。
国王一家のために一部だけ修理。
パリに連れてこられた国王一家の住まいとなったのは、チュイルリー宮殿でした。
ルイ14世がヴェルサイユに居城を移し、その後放置されていたチュイルリー宮殿は、荒れ放題。そこに、ヴェルサイユ宮殿から運んできた家具を入れ、修理も多少し、新たな生活が始まります。

王と子供たちの部屋は2階に、そして王妃の部屋のみ1階。それに不満だったマリー・アントワネットでしたが、口に出すことはありませんでした。ヴェルサイユでのあの生活は、この宮殿ではもはや不可能なのだと悟ったのです。
チュイルリー宮殿で、
パン屋の夫を亡くした未亡人をを迎える国王と王妃。
1789年秋。
質素な装いの王妃
家族揃って暮せるシンプルな生活を、国王は結構楽しんでいました。けれども、宝石をつけての舞踏会もなく、大好きな劇を演じることもない退屈な日々を、気位の高いマリー・アントワネットは我慢できませんでした。

革命が始まってから、お気に入りの女流画家ヴィジェ=ルブランは外国に亡命し、その代わりに王室画家になったポーランド人のクシャルスキーが肖像画を手がけますが、すでに老いが始まってしまったのがわかる絵ばかり。

彼はタンプル塔でも、コンシエルジュリーでも、マリー・アントワネットの肖像画を描きます。
画家クシャロスキー


王妃にとって何よりの楽しみは、信頼と愛を寄せていたフェルセンの訪問でした。
マリー・アントワネットの運命を心のそこから案じていた彼は、いつでもはせ参じられるように、チュイルリー宮殿近くに住むようにしたほどでした。

日に日に束縛が強くなる生活に、耐えられないほどの嫌気がさしてきた王妃は、フェルセンに逃亡したい意向を伝えます。

国王の煮え切らない態度から、今こそ自分が主権を握らなければならないと、マリー・アントワネットは真剣に思うようになり、フェルセンはそうした王妃の役に立つ誓いを立てます。
チュイルリー宮殿の庭園を散歩する王妃、子供たち、王妹。