2011年3月10日

ジョン・ガリアーノ その後

サン・トノレ通りの
ジョン・ガリアーノ店
プレタポルテのコレクションが終わり、このために来ていた多数のジャーナリストやバイアーも帰り、通常の生活に戻りました。
でも、ガリアーノに関する話題はいまだに続いているパリです。

ガリアーノはディオールから解雇されただけでなく、『ジョン・ガリアーノ』のメゾンも閉鎖されるかもしれないという噂がたっているのです。
資金の90パーセントはLVMH(ディオールを含む60社以上の高級ブランド会社を持つグループ)から出ているというので、当然の成り行きということになるのかしら。

サン・トノレ通りのガリアーノのブティックが姿を消したら寂しい限り。
なぜなら、そこには思い出があるから。
数年前にガリアーノがとても嬉しそうに語ってくれたのです。
「あの建物には、革命家のロベスピエールが住んでいたことがあるんだ。そこにブティックがオープンしたのだからね」

ショーの後、楽屋でおしゃべり
という楽しいときもありました
革命に大きな興味を抱いている彼らしく、あの大きな目をキラキラと輝かせ、熱を込めて語ったことが思い出されます。

思えばガリアーノの右腕だったスティーヴンが、突然亡くなったときから、皆、その後のガリアーノを心配したものです。

ディオール社の年4回のコレクション、そして彼の名のメゾンの2回のコレクション。
通算6回ものコレクションを毎年こなすのは、並大抵なことではないはず。
それに、彼への期待は、他のどのデザイナーへより大きい。
毎回、メゾン創立者ディオールのアイデンティティを示すスタイルに、現代性を加え、その上、驚きや刺激を与えるようなコレクションを発案することは、いかに自分が好きな仕事とはいえ、他の人には到底想像もつかない大きな悩みや苦悩も伴う。
そして、ついに、薬とアルコールづけになり、あの暴言。

ディオール解雇の上、ガリアーノのメゾンがもし閉鎖されたら、彼のデザイナーとしての活躍の場はなくなってしまう。
ガリアーノほどの破格な才能を持つ人は、そうたやすく出現しいないだけに、これはモード界にとって大きな損失。

アーティストは自分のすべてを作品に投入する。
それが彼らの存在理由。それを失ったら・・・

彼は今、アメリカで解毒治療中とのこと。
そこから戻ったときに何が起きるか、彼はすでにその準備にかかっているのかもしれない。