2025年10月5日

ハンカチはすべて正方形に、ルイ16世の法令じゃ

エジプトの時代から存在していたハンカチは、高貴な人々のみが使用していた贅沢品だった。フランスの王侯貴族が愛用するようになったのは、17世紀、ルイ14世の時代。レース飾りや金糸銀糸の刺繍入りだけでなく、パールを付けたのさえあった。布に関してはシルクや麻で、実用的というより身だしなみのためであり、人目をひくためだった。形もまちまちで、長方形があるかと思うと、円形や驚くことに三角形さえもあった。

ハンカチと言えば、ルイ15世に近づくために、夜会でわざとハンカチを落とし、国王の気を引くことに成功し、ついには公式愛妾になったポンパドゥール夫人を思い出す。

18世紀には、
レースのハンカチが好まれていた。

19世紀になると、
貴婦人のおしゃれの仕上げに、
ハンカチは欠かせなくなった。

特別な感性の持ち主だったマリー・アントワネットは、当時のハンカチの形がエレガントでなく、自分の好みに合わないと嫌っていた。彼女が気に入っていたのは正方形のハンカチで、これはルイ14世の時世に見られたとされている。

内気で真面目なルイ16世

華やかなオーラを放つ
マリー・アントワネット

妃のためなら何でもするルイ16世は、法令を発布する。1784年9月23日、ヴェルサイユ宮殿で王の開封特許状が提出され、1784年12月10日、高等法院で登録された。

ルイ16世が
ヴェルサイユ宮殿で提出した開封特許状

フランスのハンカチはすべて正方形に統一する。縦と横の長さを同じに製作し、違反した場合した場合には300リーヴルの罰金及び没収に処すという厳しい内容だった。

1793年1月21日、ルイ16世がコンコルド広場で処刑される歳に、死刑執行人サンソンが国王の両手を背中で縛ったのは、国王が持っていたハンカチだった。他の処刑者は縄だったが、ルイ16世だけがハンカチだった。

正方形のハンカチは、その後、世界中に広まったのだから、やはりマリー・アントワネットは唯一無二の女性と言える。

19世紀初期の優雅なモチーフ

19世紀半ばのハンカチ

19世紀半ばのフェミニンで
きめ細やかななモチーフ

19世紀末の絵画のようなデザイン

2025年10月1日

ノートル・ダム大聖堂 心打つほど気高く美しい

 パリ発祥地に建築されたノートル・ダム大聖堂が2019年4月火災に見舞われ、世界中の人々を驚愕させて5年後、驚異的な短期間の復興作業のおかげで、再び壮麗な姿を見せたのは昨年末だった。主要国の元首、皇族、多額の寄付をした企業主などが列席する中、盛大なセレモニーが行われ、誰もがフランス人のノートル・ダム大聖堂に対する深い愛を認識した。

パリ発祥地のシテ島に、
ノートル・ダム大聖堂の建築が開始されたのは1163年。
フランスで生まれたゴシック様式の傑作。

建築当時とまったく同じ素材、まったく同じテクニックで復興することに徹底的にこだわったフランス人。そこには、数世紀に及ぶこの大聖堂の建築に携わった人々、そこで繰り広げられた数々の行事、祈りをささげた先祖たちへの、計り知れないほどの敬う心が潜んでいたのだと思う。

5年間、いかに危険が伴おうとも、いかに困難であろうとも、屈しることなく黙々と作業を続けていた人への賞賛の眼差しと拍手は、美しく蘇ったノートル・ダム大聖堂で、長い間続いていた。テレビでセレモニー中継を見ていた私は、作業服に包まれた彼らを、このセレモニーに出席させた心遣いにとても感動した。無名のままで、大聖堂の再建にかかわれたことに、誇り、喜び、生き甲斐を感じていた彼は、輝いていた。彼らは、英雄だった。

蘇ったノートル・ダム大聖堂をいつ訪問しようかと長い間迷った末、自分のバースデイの日にと決めました。私にとって、それは、意義あることに思えたから。火災が起きた翌日朝早く、大聖堂に急いで行き、多くの消防隊の緊張した面持ちの消化活動や、焼け焦げた大聖堂の無残な姿を目前にし、周辺に漂う異様な煙の匂いを感じ、大きな不安を抱いた、あの日。その後も何度か修復工事の進み具合を見て来たし、少額ながら寄付金を文化省に直ぐに送ったし、丁寧なことに礼状を受け取ったし、火災の難を奇跡的に逃れた聖母マリア像や風見鶏が展示されたのを見に行ったし・・・いろいろな忘れられない思い出がある、聖母マリアに捧げるノートル・ダム大聖堂。その蘇った姿を訪れるのは、私にとって記念すべき日であった欲しかったのです。

清らかさが満ち溢れている純白のノートル・ダム大聖堂。
身廊の高さ32,5mの天井、ゴシック建築の特徴の尖塔アーチ、優美で奥深さのある円柱。
心洗われる美しさは、無原罪の聖母マリアに捧げるのにふさわしい。

大聖堂内に入ると、目の前にブロンズの大きな聖水盤が見える。
火災後設けた新時代を感じさせる聖水盤。
ピュアなラインで同時に重厚、生命の強さが伝わってくる。

奇跡的に無傷だったパイプオルガン。1730-1733年製作。
8000本のパイプを一本一本はずし、埃を払い、磨き、調律し、
復興のセレモニーのさいに、感動的な音色を大聖堂に響かせた。
直系13mのバラ窓。煙に包まれたとはいえ、
美しいステンドグラスは無事だった。
幾世紀にも及ぶ汚れをおとしたためか、火災前より透明感がある。

ゴシック様式の大きな特徴のリブヴォルト(穹窿)が、
天井を支えながら、大きな空間を生むことを可能にしている。
その整然とした連なりが、随所に見える。

聖歌隊席。
突き当りにピエタ像と十字架。
どちらも火災に屈しなかったのは、
やはり奇跡だと思わないではいられない。
1723年の大理石のピエタ像。
息だえた息子キリストを膝に抱き、
嘆き悲しむ聖母マリアを二人の天使が見守っている。

右の像はひざまずくルイ13世で、
フランスを聖母マリアに捧げると約束。
左でひざまずくのはルイ13世の意志を引き継いだルイ14世。

聖歌隊席の右側の柱の前に立つ14世紀の聖母子像。
これも火災の難を逃れたのは幸いだった。
聖母マリアの純潔のシンボル、白いユリの花が
常に捧げられている。

聖歌隊席の壁の外側には
キリストの生涯の主だった出来事を表す、
カラフルなレリーフが施されている。
右寄りに最後の晩餐と弟子の足を洗うキリストの姿が見える。

復興の際に新たに加えられた聖遺物箱。
歴代の国王の中で、もっとも信仰心があついルイ9世(聖ルイ王)が、
1239年に財政困難に陥っていた、
ビザンツ帝国のボードワン2世から買い取った茨の冠、
その他、十字架の木片、キリスト受難の釘が収められている。

高さ3,6m、幅9,6mの杉で作られた聖遺物箱。
杉はキリストの十字架を表している。
聖遺物箱には360の茨のとげで覆われた透かし模様の切込みがある。
その中央に396個の金色を背景としたガラスのカボションが並ぶ光輪。
そのひとつひとつに十字架が描かれており、
眩しいほどの後光をさしている。

重要な記念すべき日には茨の冠が中央の小さい円の中に置かれ、
それ以外は、手前の棺の形のカラーラ産大理石の金庫に保管されている。
その中央には十字架が刻まれている。


再現された椅子。
ひとり用椅子1500、膝付き台170、ベンチ40。
すべてオーク材で手作り。
体が疲れないように、座る部分の後ろがわずかに下がっている。
明るい色合いが純白の壁と爽やかなハモニーを奏でている。

どの角度から見ても気高く、美しい。
地上に生きるすべての人の祈りが
神に届くように感じられる。

蘇ったノートル・ダム大聖堂を訪れ、
経験したことがないほどの高揚感を味わい、
幸せいっぱいでした。