2026年1月14日

マリー・アントワネット自叙伝 63

最後の日の夫

侍従クレリーによると1月21日、処刑の日、夫は朝5時頃に目覚め、よく眠ったと爽やかな顔で声をかけたそうです。

タンプル塔での王の最後のときは刻々と過ぎていき、いよいよ最後の祈りを捧げる時が来ました。白いシャツの上に白いチョッキを着て、グレーの半ズボンをはいた王のために、クレリーは祭壇のかわりになる大きさのタンスの埃をていねいに払い、その前にひざまずくためのクッションを置きました。王にふさわしくないその簡素な祈りの場を見つめながら、クレリーは胸が張り裂ける思いでした。

6時。フェルモン神父さまが夫の部屋に入ってきて、静かで、寂しい祈りが始まります。重い祈りの声は、部屋をさまよった後、厚く暗い壁の中に吸い込まれていきました。お祈りの後、神の元に行く準備が出来た、と言いながら、夫は指輪をはずし、それを王妃に、そして印章を息子に渡してほしいとクレリーに頼みます。夫は何度も涙を拭き、別れがつらいという悲痛な言葉もクレリーは耳にしたそうです。これほど温厚な国王が、共和国設立のために、何故処刑されなければならないのか、クレリーは最後の最後まで理解できなかったのです。

突然、ドアが荒々しく開き、役人たちが足音を高くしながら入って来ました。処刑場に行く時がきたのです。夫は落ち着いた態度を崩さず、役人に囲まれながらドアの外に向って行きました。そこに待たせてあった馬車に乗り、その周囲をおびただしい数の兵が囲んでいました。

昨夜の別れ際に、明日の朝7時にお会いしたいと言ったのに、
7時どころか8時になってもお迎えの役人が来ないので、
それはもはやかなわないのだと理解しました。
私たちが唯一できることは、
厚い壁を通して聞こえてくる物音で、夫の動きを想像するだけでした。

タンプル塔から革命広場に向う間、夫は途切れることなく、臨終の詩篇を唱え続けていました。その隣りには、フェルモン神父さまが神妙な面持ちで座っていました。ガタガタと音を立てながら進んでいた馬車に向かって、突然、大きな声が投げられました。「国王を救おう!」その声は群衆の間から鋭く響いていました。「王を救うのだ!」

熱烈な王党派のバッツ男爵

危険極まりない言葉を発したのはジャン=シャルル・ドゥ・バッツ男爵でした。破格の資本家であり、王の相談役だったバッツ男爵は、ヴァレンヌ逃亡の際にも多額の援助金を出してくださった王党派です。彼は剣を振りかざしながら叫び続け、群集が大挙して自分に続いてくることを願っていたのです。バッツ男爵は夫を土壇場で救出し、しばらくの間フランスでかくまい、その後国外亡命を企てていたのです。けれども、彼の声はかき消され、危険を感じたバッツ男爵は群集に紛れ込んでその場を離れ、ロンドンに向かったのでした。

何事もなかったかのように馬車は進み、広場に着いたのは、10時を少しまわったころでした。馬車を降り、上着を自ら脱ぎ、神父さまの足元にひざまずき最後の祈りを捧げた夫は、しっかりした足取りで処刑台の階段をのぼります。その間、フェルモン神父さまがずっと祈りを捧げていたそうです。

しっかりした足取りで処刑台に向かう夫。

1793年1月21日、10時22分、ルイ16世は38歳の生涯を閉じました。私たちはタンプル塔の周囲から聞こえてくる「共和国バンザイ」の叫び声で、夫が、今、処刑されたことを知ったのです。

かつてのフランス国王ルイ16世の処刑の告示。

夫の最期に関して様々な情報が流れ、中には不名誉なことまであったそうです。それに耐えられなくなったのは、死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンで、彼はルイ16世がいかに立派な態度だったか書き残し、夫の名誉を挽回したのです。
シャルル=アンリ・サンソン

夫は非常に憶病な人で、いざ処刑台に上ると、恐ろしさから叫び声をあげたなどと書いた機関誌もあったそうです。シャルル=アンリ・サンソンは死刑執行人の家に生まれ、その仕事を嫌っていたのですが、引き継がざるを得なかったのです。医学を学んだ人で、王党派でした。そのために、国王処刑後はひたすら祈りを捧げていたと語られています。死を直前にしたルイ16世は、冷静を保ち、自ら上着を脱ぎ、両手を差し出し縛るように催促し、最後の最後まで毅然とした態度をくずさなかったとサンソンは記録を残しました。このような立派な態度で死を迎えられたのは、ルイ16世が神を心から信じていたからに違いない、とも綴っています。そうしたサンソン自身も信心深い人だったのです。

2026年1月6日

パリの初雪

一月五日、新年のパリで雪が降りました。積もるほど降ったのは数年ぶり。

心も体も洗われたようでとてもさわやかな気分。

クリスマス装飾と初雪
歩いている人が彫刻に見える
芸術的なヴァンドーム広場

2026年1月2日

明けましておめでとうございます。

なだらかな線を描く富士山の写真を見ていると、
心がおだやかになります。
本当に美しく優雅。


新年明けましておめでとうございます。
健康に恵まれ幸福で平和な一年であるよう、心からお祈りしております。

今年は、念願の本を出版していただくことになり、幸せな年になりそうで、嬉しく思っています。2月が発売の予定ですが、詳しいことはまた後日にお知らせいたします。

今後もどうぞよろしくお願いいたします。


2025年12月21日

マリー・アントワネット自叙伝 62

 永遠の別れ

 役人が私たちの部屋に入って来たのは1月20日夜8時半ころでした。

ドアが乱暴に開けられ、階下にいるルイに会いに行ってよいと、いきなり言われたのです。その言葉に、1秒も早く夫の姿を見たいと、転がるように階段を下りて行きました。息子の手を取った私が先頭に立ち、義理の妹と娘がぴったりくっつくように続きました。


夫との再会の場はダイニング・ルームで、その真ん中に夫がポツンと立っていて、いかなるときにも感情を表すことがなかった夫が、すべてから見放されたような苦しみと寂しさに必死に耐えている表情をしていました。


私たちが急ぎ足で階下に行くと、
夫は無表情で放心したように立ちすくんでいました。

今まで見せたことがない、夫の打ちひしがれた姿を目の前にして、血を一気に失ったかのように体も心も何もかも凍り、しばらくの間、言葉を発することができませんでした。ただ、身を投げ出して、言葉にならないうめき声を上げるばかりでした。まるで、動物のように。エリザベート王女さまも、娘も息子も同じでした。かわるがわる夫の体を抱きしめ、叫び声をあげ、涙が流れるままにするだけでした。

夫が死刑の判決を受けたことは、新聞売りの叫び声ですでに知っていました。このような重要な決定でさえ、路上から聞こえてくる人民の声でしか知ることができないのか、と我が身のみじめさに、全身が震えるほどの怒りを感じないではいませんでした。

「国民公会はルイ・カペーに死刑判決を宣告。処刑は囚人にそれを通告してから24時間以内に行われる」

塔の下から響いてくるその残酷極まりない言葉は、地獄の底から這いあがっているようでした。


夫の、兄の、父の温もりがやがて消えてしまう。この愛情深い気立てのいい人が、もうじき地上から消えてしまう。

なぜ、なぜ、なぜ、なぜ? 

一体何の罪を犯したというのか!

声にならない叫びをくり返していただけでした。


私たちと夫が最後の別れを惜しんでいる間、役人たちはダイニング・ルームから離れ、隣の部屋で様子を伺っていました。それは夫が希望したことで、最後のひとときを、家族だけで過ごせることを国民公会も許可したのです。夫が選んだ告解師フィルモン神父は、私たちより前に夫に会っていましたが、私たち階段をおりる音を耳にすると、静かに隣の部屋に退いたのでした。神父さまはご自分の死を覚悟で、この役目を引き受けたと後に打ち明けています。

言葉を発することも出来ず、
私たちはただ、ただ、うめき声をあげていました。
フィルモン神父さまは、家族だけで最後の時を過ごせるように、
そっと、部屋から出て行かれました。


涙が枯れ、叫び声もあげる力をなくなり、私たちは静寂の中で寄り添っていました。

それを重い声で破ったのは夫でした。夫は落ち着きながら裁判の様子を詳しく話してくれました。その後、息子を引きよせ、父親の温かく、それでいて説得力がある声で言いました。

夫は息子を引き寄せ、優しい声で語りました。

「我が息子よ、余の死の復讐を絶対にしないと誓いなさい」

 ルイ・シャルルがその言葉にうなずくと、夫は息子のブロンドの髪をなでながら

「絶対に復讐をしてはいけない」

 とくり返し、きちんと誓いなさいと催促し、息子は片手をあげ、立派に父の希望通りに誓いをたてたのでした。


鉄格子に囲まれた暗く、陰気で、底冷えがするタンプル塔での別れは、
言葉では表せられないほど冷酷で残虐でした。


時間はあっという間に経ち、夜10時を少し回ったころ、夫に別れを告げました、明日の朝、もう一度会うことを約束して。

夫は、では明日の朝8時にと言ったので、私は7時がいいと主張し、やさしい夫は

「では明日の朝7時に」

 と、言い直しました。

それが私たち最後の会話になってしまったのです。というのは、再び会うと別れがさらにつらくなるとフィルモン神父さまがさとしたのです。夫は神父さまの忠告はもっともだと思い、それに従ったのでした。

その夜、夫はフィルモン神父さまと
静かに祈りを捧げ、翌日を迎えたのでした。

翌朝7時に会うのが最後かと思うと心が騒ぎ、着替える気力さえも失い、昼間の服のままベッドに倒れ、まんじりともしない夜を過ごし、夫の処刑の日の朝を迎えたのです。

2025年12月7日

マリー・アントワネット自叙伝 61

判決

 夫の運命を決定する決議は1793年1月14日に行われました。当時の議員数は749人で、それぞれが壇にのぼり、自分の意見を述べましたが、欠席した人もいました。議長に選ばれたのは、革命家であり法律家のピエール・ヴィクトリアン・ヴェルニオで、ロべスピエールと意見がぶつかり合っていた人です。

夫の運命は
国民公会の裁判に委ねられました。


決議の内容は四つありました。

 

1、ルイ・カペーは人民の自由に関して有罪か。

2、国民公会によるルイ・カペーの判決を人民の正式承認にかけるべきか。

2、ルイにいかなる刑を科すべきか。

4、ルイ・カペーの死刑判決に猶予をつけるかどうか。  

 

1月15日から19日にかけて、それぞれの投票が行われました。誰が賛成し誰が反対したか、その明細が法務省に保管されているそうです。


もっとも重要な処刑に関する投票は1月17日で、投票の結果によると361人が死刑賛成、反対334。賛成者の中に執行猶予に関して協議すべきだという意見が出たために、18日夜から19日早朝にかけて、死刑判決に執行猶予をつけるかどうかの最後の投票が行われることになりました。その結果、出席した690人の議員の内、310人が賛成し380人が拒否したのです。このように、夫の処刑は大きな差で決定されたのでした。


夫の3人の弁護士はすぐに控訴を提起したのですが、即座に断られました。これで最悪の運命を回避する希望は、完全に断たれたのです。


議会で投票が行われている間、夫は侍従クレリーとひっそり苛酷な時を過ごしたようです。

1月20日、法務大臣ドミニク・ジョゼフ・ガラ、副検事エベール、夫の弁護士マルゼルブがタンプル塔に足を運びました。前日の判決の結果を伝えるためです。


マルゼルブ弁護士は夫の姿をみると、こらえきれなくなり大粒の涙を流しました。そうした弁護士に夫は声をかけたのです。「余は、あなたの涙が私に判決告げると思っていた。元気を出したまえ、新愛なるマルゼルブ

マルゼルブ弁護士は、夫の姿を見るやいなや、ひざまずき、
言葉を発することも出来ず、粒の涙を流しました。


夫は、死の判決を告げられても少しの動揺も見せず、毅然とした態度を少しもくずさず、静かに聞いていたそうです。その姿には威厳があり、あまりにも気高く、偉大で、目頭が熱くなるほどだったと、副検事エーベルは感動を綴ったそうです。エーベルは過激派で国王処刑を激しく要求していた恐るべき人物だったのですが、そうしたエーベルでさえも心を打たれるほど、夫は立派だったのです。夫はその翌日に処刑されることも、知らされました


自分の死刑判決を告げる用紙を、几帳面な夫は丁寧にたたんだ後、ポケットに入れました。どこまでも律義で真面目な夫。いかなる時にも国民を愛し続けていた国王が、このような残酷な判決を受けるなど理解できません。一体彼は何をしたというのでしょう。

裁判の結果を静かに聞く夫。


その後、夫は最後の願いを法務大臣宛てに書きました。

1793年1月20日の日付けで始まり、最終行にルイとサインを入れています。

その主だった願いは

「神の前に行く準備のために、3日間の猶予が欲しい」

「家族に会わせて欲しい」

「国民公会が今後も家族を見守って欲しい」

「告解師はエッジワース・ドゥ・フィルモンにしたい」


夫が法務大臣に渡した最後の願い。

夫の最後の願いのうち、3日間の猶予だけ拒否されたのでした。
夫が告解師選んだエッジワース・ドゥ・フィルモンは、アイルランド生まれで。後にフランスに亡命し、神学校で学び、パリ教区の総代理になった方。最後まで夫に連れ添ってくださいました。
最後の瞬間まで夫の心の支えとなって下さった、
エッジワース・ドゥ・フィルモン神父様

2025年12月4日

ナポレオン戴冠式を祝う会食

ノートルダム大聖堂でのナポレオン1世の戴冠式。
出席していない皇帝の母まで描いていて、
ナポレオンは大変お気に入り。
抜け目がないことで有名な画家ダヴィッドは
自分も描いている。

12月2日は、ナポレオンがノートルダム大聖堂で絢爛豪華な戴冠式を行った日。1804年、ナポレオンは35歳の若さだった。毎年、史学会主催の趣向をこらした会食があり、今年は19世紀半ばに創業されたレストランが会場。しかも、インペリアル・ルームとあって、それを知った時にはざわめきが起きたほど、皆、大喜び。なるほど、インテリアも重厚で品格がある。

出席したのは125人。丸テーブルを囲んで会話は途切れることなく続き、おしゃべり好きなフランス人のこと、隣の人の声でさえもよく聞こえないほど賑やか。フランス各地からこの日のために集まったのだから、無理もない。長い食事が終わってアパルトマンに戻った時には、声がかれていたほど。ナポレオン万歳の乾杯も、ひときわ熱ががこもっていた日でした。

ナポレオン戴冠式をお祝いするのにふさわしい、
インペリアル・ルーム。
品格あるインテリアは19世紀半ばの面影を残している。

お祝いの日だから、女性は華やかな服装、
男性はダークスーツ。

第一帝政時代を彷彿させる
こだわりの服装の人もいる。
私は彼女をジョゼフィーヌと呼んでいる。
去りがたいほど楽しいひととき。

いつかノートルダム大聖堂で、特別ミサをあげてもらおう、セント・ヘレナ島にみんなで行こう、などと大きな話も出て最高に盛り上がった日でした。

2025年12月1日

クリスマス ジュエリーのショーウインドーに魅せられる

 ハイ・ジュエリーは何が何でも手が届かない、だから、ショーウインドーを見るだけ。ジュエリーそのものより、ディスプレイが凝っていて興味はそちらにある。個性的なショーウインドーをお届けします。

自然や生き物をテーマにすることが多い
ヴァン・クリーフ&アーペル。

華やかさ満開のルイ・ヴィトン。

永遠のアイコン、パンテールが可愛すぎる。
カルティエのレッド・ボックスはみんなの夢。

星とカメリアはもちろんシャネル。
気品がほとばしるディスプレイ。

宮殿のように華麗なディオール。

たくさんの星が煌めくブルガリ
未来のジュエリーと語られているアンセイド。
そのディスプレイはどれもインパクトがある。最近パリにオープンしたばかり。

クリスマスはやはり華やかで楽しい。
この後は、クリスマスケーキを求めて歩き回らなくては・・