最後の日の夫
侍従クレリーによると1月21日、処刑の日、夫は朝5時頃に目覚め、よく眠ったと爽やかな顔で声をかけたそうです。
タンプル塔での王の最後のときは刻々と過ぎていき、いよいよ最後の祈りを捧げる時が来ました。白いシャツの上に白いチョッキを着て、グレーの半ズボンをはいた王のために、クレリーは祭壇のかわりになる大きさのタンスの埃をていねいに払い、その前にひざまずくためのクッションを置きました。王にふさわしくないその簡素な祈りの場を見つめながら、クレリーは胸が張り裂ける思いでした。
6時。フェルモン神父さまが夫の部屋に入ってきて、静かで、寂しい祈りが始まります。重い祈りの声は、部屋をさまよった後、厚く暗い壁の中に吸い込まれていきました。お祈りの後、神の元に行く準備が出来た、と言いながら、夫は指輪をはずし、それを王妃に、そして印章を息子に渡してほしいとクレリーに頼みます。夫は何度も涙を拭き、別れがつらいという悲痛な言葉もクレリーは耳にしたそうです。これほど温厚な国王が、共和国設立のために、何故処刑されなければならないのか、クレリーは最後の最後まで理解できなかったのです。
突然、ドアが荒々しく開き、役人たちが足音を高くしながら入って来ました。処刑場に行く時がきたのです。夫は落ち着いた態度を崩さず、役人に囲まれながらドアの外に向って行きました。そこに待たせてあった馬車に乗り、その周囲をおびただしい数の兵が囲んでいました。
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| 昨夜の別れ際に、明日の朝7時にお会いしたいと言ったのに、 7時どころか8時になってもお迎えの役人が来ないので、 それはもはやかなわないのだと理解しました。 私たちが唯一できることは、 厚い壁を通して聞こえてくる物音で、夫の動きを想像するだけでした。 |
タンプル塔から革命広場に向う間、夫は途切れることなく、臨終の詩篇を唱え続けていました。その隣りには、フェルモン神父さまが神妙な面持ちで座っていました。ガタガタと音を立てながら進んでいた馬車に向かって、突然、大きな声が投げられました。「国王を救おう!」その声は群衆の間から鋭く響いていました。「王を救うのだ!」
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| 熱烈な王党派のバッツ男爵 |
危険極まりない言葉を発したのはジャン=シャルル・ドゥ・バッツ男爵でした。破格の資本家であり、王の相談役だったバッツ男爵は、ヴァレンヌ逃亡の際にも多額の援助金を出してくださった王党派です。彼は剣を振りかざしながら叫び続け、群集が大挙して自分に続いてくることを願っていたのです。バッツ男爵は夫を土壇場で救出し、しばらくの間フランスでかくまい、その後国外亡命を企てていたのです。けれども、彼の声はかき消され、危険を感じたバッツ男爵は群集に紛れ込んでその場を離れ、ロンドンに向かったのでした。
何事もなかったかのように馬車は進み、広場に着いたのは、10時を少しまわったころでした。馬車を降り、上着を自ら脱ぎ、神父さまの足元にひざまずき最後の祈りを捧げた夫は、しっかりした足取りで処刑台の階段をのぼります。その間、フェルモン神父さまがずっと祈りを捧げていたそうです。
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| しっかりした足取りで処刑台に向かう夫。 |
1793年1月21日、10時22分、ルイ16世は38歳の生涯を閉じました。私たちはタンプル塔の周囲から聞こえてくる「共和国バンザイ」の叫び声で、夫が、今、処刑されたことを知ったのです。
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| かつてのフランス国王ルイ16世の処刑の告示。 |
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| シャルル=アンリ・サンソン |
夫は非常に憶病な人で、いざ処刑台に上ると、恐ろしさから叫び声をあげたなどと書いた機関誌もあったそうです。シャルル=アンリ・サンソンは死刑執行人の家に生まれ、その仕事を嫌っていたのですが、引き継がざるを得なかったのです。医学を学んだ人で、王党派でした。そのために、国王処刑後はひたすら祈りを捧げていたと語られています。死を直前にしたルイ16世は、冷静を保ち、自ら上着を脱ぎ、両手を差し出し縛るように催促し、最後の最後まで毅然とした態度をくずさなかったとサンソンは記録を残しました。このような立派な態度で死を迎えられたのは、ルイ16世が神を心から信じていたからに違いない、とも綴っています。そうしたサンソン自身も信心深い人だったのです。





























































