2021年4月24日

ナポレオン没後200年 ③ フランスへの帰還

 フランスのフリゲート艦が停泊しているジェームズタウンの港では、ジョアンヴィル公の指揮のもとに、ナポレオンの棺を囲む葬列を迎える準備を整えていました。港に停泊していたフランスのフリゲート艦はもちろん、イギリスや外国の船のすべてが半旗をあげ、そこまでの道中の家々は固く閉ざされ、住民たちは引き締まった顔で列を作って葬列を見守っていました。その間中、大砲が打ち鳴らされ、偉大な人物を見送るのにふさわしい、重厚な雰囲気を漂わせていました。

使節団と共にセント・ヘレナに行ったコクロー神父を先頭に、
葬列はジョアンヴィル公が待つ港に到着。


高位軍人の制服姿のジョアンヴィル公の前で葬列が止まったのは、15日午後3時半ころでした。それと同時にフランスの音楽隊が葬送曲を演奏。使節団の一員としてフランスから随行したフェリックス・コクロー神父が聖水をジョアンヴィル公に渡し、王子はそれをナポレオンの棺にかけました。その後、セント・ヘレナ総司令官ミドルモアが、ジョアンヴィル公にナポレオンの棺を正式に引き渡すと告げ、王子がお礼の言葉を述べます。


ミドルモアからナポレオンの棺を受け取るジョアンヴィル公。

その後、棺は小舟に乗りラ・ベル・プール号に向かっていきました。フリゲート艦では士官たちが一糸乱れず整然と並び、太鼓が打ち鳴らされる中、小舟からラ・ベル・プール号に移されたナポレオンの棺は、軍艦の後部にあらかじめ準備していた祭壇に安置されました。

棺はラ・ベル・プール号に設けられた祭壇に置かれ、
コクロー神父が祝福を与えました。神父はその夜徹夜でナポレオンを見守っていました。


翌、10月16日朝10時、フリゲート艦上で盛大な儀式が行われました。マストにはフランス国旗が高々とあげられ、ジョアンヴィル公と使節団代表が棺を囲み、随行したフリゲート艦の水平たちなど約1000人が甲板に並び、砲声があたり一面に轟き、太鼓が華やかに鳴らされました。葬送行進曲が奏でられ、厳粛なミサがあげられた後、棺は長い船旅に耐えられるように、地下に備えた礼拝堂へと移されます。

ナポレオンはラ・ベル・プール号の地下に設けたこの礼拝堂で、
フランス人のみに囲まれ、守られながら、懐かしい故郷へと戻るのです。

書類の手続きなどに時間がかかり、フリゲート艦がセント・ヘレナを出航したのは10月18日でした。多くの船や島の住民が見送る中、船体54メートルの美しい姿を誇るラ・ベル・プール号は錨をあげ、フランスへと向かって行きました。一ヵ月を超える航海の後、目的地のシェルブール港に到着したには11月30日朝でした。

ナポレオンの遺骸をのせたラ・ベル・プールは
フランスのシェルブール港を目指して進んで行きました。

つづく・・・