パリがファッションの中心であることは、世界中で認められていること。ロンドン、ミラノ、ニューヨークでも、毎年ファションショーが開催されているが、大量生産のプレタポルテだけで、高級注文服のオートクチュール発表はパリのみ。値段が高すぎるし、着る機会も少なくなり、戦争や経済不振、コロナなどで年々顧客が減少し、一時期オートクチュールの存在が危ぶまれたこともあったが、その全てを乗り越え今でも健在。それどころか、エルメスも2年後を目指してオートクチュールを手がける予定と発表。
オートクチュールの発祥地はパリ。でも,その創始者はフランス人ではなく、イギリス人のシャルル=フレデリック・ウォルト(英語ではワース)。この偉大なオートクチュールの生みの親に捧げる大規模な展覧会が、プティ・パレで開催されている。パリのガリエラ美術館、アメリカのメトロポリタン美術館、フィラデルフィア美術館、その他、個人所有などから集めた展示作品は400を越えている。この稀に見る充実した回顧展は、オートクチュールが織り成す華麗な世界へ誘います。
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シャルル=フレデリック・ウォルト 1825-1895 |
ウォルトがパリのラ・ペ通りにメゾンを創立したのは1858年で、ナポレオン3世による第二帝政時代だった。フランスは産業が驚異的発達をし、経済的に豊かで、文芸が花を咲かせ、宮廷生活が復活していた。パリ大改造が行われ、統一された建造物、幅広い道路、豊かな街路樹がどこまでも続く美しい街並み。そうしたパリにふさわしく、満開のバラの花のように美しい皇后ウジェニーを中心とした華麗な社交が繰り広げられていたのだった。
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ラ・ぺ通りのウォルトのメゾン。 |
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当時のラ・ペ通りは パリのエレガンスと豪華さの代名詞的存在で、 着飾ってこの通りを散策するのが憧れだった。 |
そうした時代にウォルトは、それまで誰も考えつかなっかったことを実現した。以前は顧客の家に出向いてオーダーを受けていたが、ウォルトはラ・ペ通り7番地の瀟洒なサロンに顧客を招き、自分がデザインし製作した服をモデルに着せて歩かせたのだ。それが現在も引き継がれているファッションショーのはじまりだった。当初モデルを務めていたのは彼の妻マリー・ヴェルネで、ふたりは高級生地店ガシュランでは働いていた時に知り合った。その店にいる間にウォルトは服をデザインするようになる。才能が認められ名が人々に語られるようになり、自信を持ったウォルトはメゾンを創立。
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夫のためにモデルを務めていたマリー・ヴェルネ。 彼女はファッションの歴史上最初のモデルとして名を残す。 1825-1898 |
ナポレオン3世の皇后ウジェニーがウォルトのドレスを気に入っていたのは、彼にとって幸運だった。華やぎがある容姿の皇后は、ウォルトのドレスで眩いばかりに美しかった。貴族夫人や裕福なご婦人たちは競ってラ・ペのサロンへと足を運ぶようになる。それだけでなく、オーストリアの伝説的な皇后エリザベートもウォルトのドレスに包まれて、艶やかな姿を披露している。
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ナポレオン3世の妃ウジェニー。 ウォルトの服をこよなく愛し、 ヨーロッパの貴婦人たちに大きな影響を与えていた。 |
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オーストリアの美貌で名高い皇后エリザート。 華やぎある容姿にウォルトのドレスが さらなる輝きを加えていた。 |
69歳で生涯を閉じたウォルトなしでは、オートクチュールはこれほどの発展を遂げなかった。彼へのオマージュの展覧会は、パリならではの重要なイヴェント。連日長い行列が出来るのも無理ない。フランス人だけでなく外国人も多く、様々な言葉が飛び交う会場。世界中の人がモードに大きな関心を抱いているのが伝わってくる。
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貴重な作品ばかりなのでガラス張り。 フランス語と英語の簡潔な説明があるので分かりやすい。 |
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1866-1868年のドレス。 |
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夜のコルセットを付けたドレス。 |
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1869年ころの街着。 |
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1898-1900年の夜のケープ。 |
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イギリスのヴィクトリア女王の ジュビレー・ダイアモンド《60周年記念》を祝う舞踏会で デヴォンシャー公爵夫人が着たドレス。1897年。 |
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レディ・カーゾンの1900年ころの宮廷ドレス。 夫ジョージ・カーゾン侯爵は1899年から1905年まで、 インドの総督であり副王だった。 アメリカ人だった彼女は気品ある美貌の持ち主で、社交上手で、 当時は最も華やかな女性と語られいた。 |
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ウォルトが活躍していた時代の ハイソサエティーの人々の優雅な日常を表す絵から、 オートクチュールが必要だったことがよくわかる。 |
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ラ・ぺ通り7番地のウォルトのメゾンの アトリエ、サロンなどの写真も豊富。 1階はショーウインドーで2階の複数の部屋がサロンとアトリエだった。 |
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