2025年5月8日

フランス国王「最後の戴冠式」展

 フランス国王シャルル10世が、国王になる戴冠式を行ったのは1825年5月29日。今年はその200年記念の年にあたり、大規模な展覧会を開催中。国王の戴冠式がこれほど豪華だったのか、と圧倒されるばかり。展示方法が素晴らしく、まるで、その場に身を置いているような錯覚を起こすほど。

ランスのカテドラルで戴冠式を執り行った
ブルボン朝最後の国王、シャルル10世。

シャルル10世は革命で処刑されたルイ16世の末の弟で、国王になる前はアルトワ伯だった。ルイ16世処刑後、ナポレオンの帝政時代を迎えたフランスだが、皇帝が失脚し、王政復古でルイ16世の上の弟がルイ18世の名で即位し、病で世を去った後王座に就いたのがシャルル10世。彼がブルボン朝最後の国王。

もともと楽しいこと、遊ぶことが好きで、派手で、気まぐれで目立ちがりやのシャルル10世は、自分の戴冠式は絢爛豪華なものであるべきだと考える。歴代の国王と同じように、ランスのカテドラルで執り行なうのはもちろん、ブルボン朝が栄光に輝いていた旧体制の時代の、厳粛で華やかな戴冠式を復活させたい。シャルル10世はそれに固守していた。

1825年5月29日の戴冠式は、国民だけでなく貴族たちさえも驚いたほど煌びやかだった。現在の3000万ユーロに匹敵する破格の費用をかけ、戴冠式出席者は700人、5日間続いた祝宴に招待したのは7000人。カテドラルの壁はビロードとシルクで覆われ、その中で40キロの白テンのマントを付けたシャルル10世は、ルイ14世依頼守られてきた豪華な式を蘇らせたが、国王在位は5年間と短かった。

このブルボン朝最後の国王シャルル10世の戴冠式に使用した貴重な品の展覧会を、13区のギャラリー・ゴブランでじっくり鑑賞。今回は、国立家具コレクション検査官であり、この展覧会のキュレーターのご招待で、ありがたいことに自ら詳しい解説をして下さり、有意義な2時間を過ごしました。招待されたのは、フランス芸術報道組合員。皆、熱心で、質問も多く、意見の交換もあり、大いに勉強になりました。

革命で荒れ果てたランスのカテドラルは、大掛かりな修復作業が行われ、
4時間にも及ぶ華麗で厳かな戴冠式が執り行われた。
まるで、その場にいるような再現。

フランス王家の象徴ユリの花と、
シャルル10世のシンボルの
二つのLが絡みあう刺繍があちらこちらに。
カテドラルの高い天井から30を越えるシャンデリアが、
煌びやかな輝きを放っていた。そのひとつ。

天蓋は下から見れるように、2階への階段上にあり、
天蓋の中央の太陽のお印が見える。

歴代の国王が戴冠式で被った「シャルルマーニュの王冠」は、
革命で破壊され、ナポレオンが皇帝になる際に製作させたもの。


聖油入れ。
メロヴィング朝フランク王国の初代国王クロヴィスの洗礼の際に、額に聖油を付けたが、
その聖油は、聖霊が白いハトとなり天の使者として地上に届けたとされている。
それ以降、フランス国王はランスでの戴冠式で聖油を受け、正式に王権を得ることになる。

シャルル10世が戴冠式で使用した手袋のひとつ。
4回も変えてたそう。
戴冠式の前日に一夜を過ごした大司教館の王の寝室。
シャルル10世を迎えるために、様々な品が集められた。
ルイ14世がヴェルサイユ宮殿で使用していたカーペット。
鏡の前の置時計は、ナポレオンが息子のために作らせたもの。
壁を飾る燭台はエリゼ宮から運ばせた。

5日間に渡って行われた祝宴は、
カテドラル近くの大司教館トー宮で行われ、
その際のテーブルの一部も再現。食器はすべてセーヴル焼き。

シャルル10世の朝食のセッティング。

キュレーターの説明を熱心に聞く私たち。
まるで生き字引のようなすごい知識のキュレーター。

戴冠式に招待されたヴィクトル・ユーゴーへの
国王からのプレゼント。

戴冠式を終えパリに戻ったシャルル10世。

この時の馬車は8頭立てで大きく、
展示会場に入りきれないので実物の一部と絵で再現。

革命を起こし、王政が廃止されたとはいえ、フランス人がかつての王朝時代にノスタルジーを抱いているのが伝わってくる。初めて公開される品々がほとんどの稀有な展覧会。
7月20日まで