フランス国王シャルル10世が、国王になる戴冠式を行ったのは1825年5月29日。今年はその200年記念の年にあたり、大規模な展覧会を開催中。国王の戴冠式がこれほど豪華だったのか、と圧倒されるばかり。展示方法が素晴らしく、まるで、その場に身を置いているような錯覚を起こすほど。
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ランスのカテドラルで戴冠式を執り行った ブルボン朝最後の国王、シャルル10世。 |
シャルル10世は革命で処刑されたルイ16世の末の弟で、国王になる前はアルトワ伯だった。ルイ16世処刑後、ナポレオンの帝政時代を迎えたフランスだが、皇帝が失脚し、王政復古でルイ16世の上の弟がルイ18世の名で即位し、病で世を去った後王座に就いたのがシャルル10世。彼がブルボン朝最後の国王。
もともと楽しいこと、遊ぶことが好きで、派手で、気まぐれで目立ちがりやのシャルル10世は、自分の戴冠式は絢爛豪華なものであるべきだと考える。歴代の国王と同じように、ランスのカテドラルで執り行なうのはもちろん、ブルボン朝が栄光に輝いていた旧体制の時代の、厳粛で華やかな戴冠式を復活させたい。シャルル10世はそれに固守していた。
1825年5月29日の戴冠式は、国民だけでなく貴族たちさえも驚いたほど煌びやかだった。現在の3000万ユーロに匹敵する破格の費用をかけ、戴冠式出席者は700人、5日間続いた祝宴に招待したのは7000人。カテドラルの壁はビロードとシルクで覆われ、その中で40キロの白テンのマントを付けたシャルル10世は、ルイ14世依頼守られてきた豪華な式を蘇らせたが、国王在位は5年間と短かった。
このブルボン朝最後の国王シャルル10世の戴冠式に使用した貴重な品の展覧会を、13区のギャラリー・ゴブランでじっくり鑑賞。今回は、国立家具コレクション検査官であり、この展覧会のキュレーターのご招待で、ありがたいことに自ら詳しい解説をして下さり、有意義な2時間を過ごしました。招待されたのは、フランス芸術報道組合員。皆、熱心で、質問も多く、意見の交換もあり、大いに勉強になりました。
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革命で荒れ果てたランスのカテドラルは、大掛かりな修復作業が行われ、 4時間にも及ぶ華麗で厳かな戴冠式が執り行われた。 まるで、その場にいるような再現。 |
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フランス王家の象徴ユリの花と、 シャルル10世のシンボルの 二つのLが絡みあう刺繍があちらこちらに。 |
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カテドラルの高い天井から30を越えるシャンデリアが、 煌びやかな輝きを放っていた。そのひとつ。 |
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天蓋は下から見れるように、2階への階段上にあり、 天蓋の中央の太陽のお印が見える。 |
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歴代の国王が戴冠式で被った「シャルルマーニュの王冠」は、 革命で破壊され、ナポレオンが皇帝になる際に製作させたもの。 |
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聖油入れ。 メロヴィング朝フランク王国の初代国王クロヴィスの洗礼の際に、額に聖油を付けたが、 その聖油は、聖霊が白いハトとなり天の使者として地上に届けたとされている。 それ以降、フランス国王はランスでの戴冠式で聖油を受け、正式に王権を得ることになる。 |
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シャルル10世が戴冠式で使用した手袋のひとつ。 4回も変えてたそう。 |
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戴冠式の前日に一夜を過ごした大司教館の王の寝室。 シャルル10世を迎えるために、様々な品が集められた。 ルイ14世がヴェルサイユ宮殿で使用していたカーペット。 鏡の前の置時計は、ナポレオンが息子のために作らせたもの。 壁を飾る燭台はエリゼ宮から運ばせた。 |
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5日間に渡って行われた祝宴は、 カテドラル近くの大司教館トー宮で行われ、 その際のテーブルの一部も再現。食器はすべてセーヴル焼き。 |
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シャルル10世の朝食のセッティング。 |
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キュレーターの説明を熱心に聞く私たち。 まるで生き字引のようなすごい知識のキュレーター。 |
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戴冠式に招待されたヴィクトル・ユーゴーへの 国王からのプレゼント。 |
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戴冠式を終えパリに戻ったシャルル10世。 |
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この時の馬車は8頭立てで大きく、 展示会場に入りきれないので実物の一部と絵で再現。 |
革命を起こし、王政が廃止されたとはいえ、フランス人がかつての王朝時代にノスタルジーを抱いているのが伝わってくる。初めて公開される品々がほとんどの稀有な展覧会。
7月20日まで
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